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女神は、力を禁じた

 最初にその声を聞いたのは、

 この世界に来て、まだ自分の名前も定まっていない頃だった。


 白い。

 いや、白というより――

 何もない場所だった。


 地平も空もなく、上下の感覚も曖昧で、

 ただ、意識だけが浮かんでいる。


『目を覚ましたか』


 声は、近くも遠くもなかった。

 耳ではなく、思考に直接触れてくる。


「……ここは?」


 問いかけると、

 白の中心に、ゆっくりと輪郭が現れた。


 人の形をしているが、人ではない。

 美しいかどうかより先に、

 裁く側の存在だと直感した。


『あなたは修行の途中にある』


 淡々とした声だった。

 感情はない。

 だが、冷たくもない。


『力はすでに持っている。

 戦う技も、勝つための判断も、十分すぎるほど』


 それは事実だった。

 異世界で積み上げた修行も、戦いも、

 すべて覚えている。


「なら、なぜここにいる」


 問いは自然に出た。


 女神は少しだけ、首を傾けた。


『あなたは、

 力を振るうことと、

 正しさを同一視しすぎている』


 図星だった。


 勝てば正しい。

 守れれば正しい。

 生き残れば正しい。


 そう教えられてきた。


『だから、次の修行を与える』


 女神は、はっきりと言った。


『この世界では、

 他人に暴力を振るってはならない』


 一瞬、意味が分からなかった。


「……それは、

 戦うな、ということか?」


『違う』


 即答だった。


『選ぶな、ということだ』


 女神は続ける。


『殴れば解決する状況で、

 殴らない選択をする。

 力を使えば終わる場面で、

 使わない判断をする』


『それができたとき、

 あなたは力の持ち主ではなく、

 力の管理者になる』


 理解はできた。

 だが、納得はできなかった。


「理不尽だ」


 思ったままを言う。


「暴力を振るわないことで、

 傷つく人間もいる。

 守れない命もある」


『そうだ』


 女神は否定しなかった。


『だからこれは、

 簡単な修行ではない』


 白い空間が、わずかに揺れた。


『徳とは、

 正解を選び続けることではない』


『最適解を捨て続けることだ』


 胸の奥が、静かに痛んだ。


『この修行を終えたとき、

 あなたは元の世界へ戻れる』


『戻りたければ、

 暴力を振るわずに、

 人の中で生きなさい』


 問い返す前に、

 意識が急速に落ちていく。


 最後に聞こえた声は、

 命令ではなく、確認だった。


『――それでも、来るか?』


 答えは、もう決まっていた。


 そして今。


 校舎裏で、殴らなかった拳の感触が、

 まだ腕に残っている。


(来た以上、やるしかない)


 空を見上げると、

 もちろん女神の姿などない。


 だが、

 越えてはいけない線だけは、

 はっきりと見えていた。


 修行は、まだ続いている。


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