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殴らない理由

 放課後の校舎裏は、いつも静かだ。

 わざわざ通る生徒はいないし、監視の目も届きにくい。


 だから、声をかけられた瞬間、俺は少しだけ思った。

(ああ、今日はここか)


「なあ、無視すんなって」


 背後からの声は三人分。

 足音の重さ、呼吸の乱れ、距離の取り方――

 振り返らなくても、配置は分かる。


 俺は立ち止まったが、振り返らなかった。


「聞こえてんだろ?」


 肩を強く掴まれる。

 力の入れ方が雑だ。

 この程度なら、肘を一度返すだけで、相手の腕は折れる。


 ――折れる。

 その未来が、あまりにも鮮明に浮かぶ。


(だめだ)


 内側で、はっきりと線が引かれた。


 殴るな。

 蹴るな。

 他人に暴力を振るうな。


 それが、この世界で課された修行だ。


「なに黙ってんだよ。調子乗ってんのか?」


 背中を押され、数歩よろめく。

 体勢を立て直す必要すらなかった。


 異世界で戦っていた頃なら、

 この距離、この殺気、この数――

 一瞬で終わっている。


 だが今の俺は、

 終わらせないために、ここにいる。


「……用件は?」


 声を荒げずに言うと、

 相手は一瞬だけ戸惑ったようだった。


「は? なんだその態度」


「金か? それとも暇つぶしか?」


 事実を並べただけだ。

 怒りも、嘲りも込めていない。


 それが気に食わなかったのだろう。

 男の一人が、拳を振り上げた。


 ――見える。

 軌道も、速度も、着地点も。


 この拳を避け、足を払い、地面に伏せさせ、

 そのまま制圧する未来が、

 頭の中で正確に再生される。


(……だめだ)


 俺は一歩、後ろに下がった。


 拳は空を切り、男は前のめりになる。

 仲間が慌てて支えた。


「逃げんのかよ!」


「いいや」


 俺は答える。


「殴らないだけだ」


 一瞬、沈黙が落ちた。


 理解できない、という顔。

 当然だ。

 力を持つ者が、それを使わない理由など、

 普通は想像できない。


「意味わかんねえ……」


「分からなくていい」


 俺はカバンを持ち直し、校舎の方を見た。

 この先に、人が来る気配がある。


 時間を稼げば、それでいい。


「今日はそれだけか?」


 問いかけると、

 男たちは舌打ちをして、離れていった。


 背中に視線を感じながら、

 俺はゆっくりと歩き出す。


 殴らなかった。

 蹴らなかった。

 勝たなかった。


 それでも、負けてもいない。


(……これでいい)


 どこか遠くで、

 見下ろすような気配が、ほんの一瞬だけ揺れた。


 ――修行は、まだ終わらない。


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