虹の道
あっという間に辿り着いた、鐘塔の最上階。長い長い階段の前で、涼しい顔をしているリアが、息も絶え絶えな天を心配そうに眺めている。
「大丈夫?」
そう尋ねられても、返事もできない。緩く頭を横に振り、大丈夫じゃないと伝えるので精一杯だった。
ごめんね、と謝りながらリアが天の背を撫でる。火照った体に、彼女の冷たい手が心地よかった。
ようやく呼吸も落ち着いたところで、すっと水を差し出された。前にもこんなことがあったなと思いながらそれを受け取り、一気に喉に流し込む。頭の痛くならない程度に冷えた水が、喉を通り過ぎていく。ちょうどよく、体も火照りも取れたことだろう。
「ありがとうございます」
「ううん、私が無理させちゃったしね。これくらい」
こんなことが前にもあったような気がする。天は差し出された手を取らず、自分の力で歩いた。大丈夫かと言わんばかりの視線を感じるが、その視線を振り払うように軽く頭を振る。
「あれ、もう平気?行く?」
天の前に回り込んでリアが尋ねた。やはり心配そうに天のことを見つめている。
端から見れば無表情のはずなのによく分かるようになったものだな、と笑みを浮かべ、「大丈夫ですよ、行きましょう」と返した。
他のところよりも長い廊下をふたり並んで歩きつつ、特に会話も無く進んでいく。ちらりと彼女の方を見てみれば、片手で自身の髪の毛を弄りながら、もう片方の手でランプを揺らしていた。
ふとその様子に目を留めて、そういえばリアはいくつか似たような古代遺物を持っていたなと思い至った。
「それ、この間のものですか?」
それ、と天が指さすものへ視線を向けて、あぁこれ?と軽くランプを掲げてみせた。
それです、と天が頷くと、彼女もうんと頷いた。
「なんか使えそうだなーって。使えなかったらしまう」
どこか語尾が跳ねるような余韻を残す彼女の声は、先程までとはまた違った雰囲気を纏っている。
(楽しそう?いえ、機嫌が良いのは確かでしょうけど……)
なんとなく何を考えているのか当ててみたくなって、歩きながらうーんと考える。
そんなことを考えられているとは知らずに、リアはランプをくるくると振り回している。火がついているものをそんなふうに振り回さないで欲しい、と思いながら、天は少し距離を取った。
そんな天を見て、「燃えないから大丈夫だよ」と首を傾げて言うリア。そういうことじゃない、と彼女の鈍感さに少し呆れてしまった。
いくら燃えないとはいえ、なんとなく怖いものは怖いのだ。
「……それで、一体いつになったらその鏡の繋がっていた場所に着くんですか?」
どれだけ歩いていても、廊下の様子は何も変わらないままだ。隣を歩くリアが立ち止まるような雰囲気も微塵も感じないし、天自身も魔力など全く感じない。
リアは天の質問には答えず、どこか難しい顔をして言った。
「なるほど、これはちょっと不味いかも。流石に気付かれるよねぇ、妨害されちゃってるや。ほら、天、見て」
リアが天の手を取って、壁へ向かって指を指し、彼の視線をそちらへ誘導した。
小さく開いていただけの四角い穴は大きく広がり、外は虹色の光が渦巻いている。
明らかにおかしい、と気付いた時にはもう先程までの鐘塔からはかけ離れていた。
そのまま外を見ていたら酔ってしまいそうだと視線を繋がれた手に落とせば、ぎゅっと強く握られた。天が不安を感じているのだと思ったのだろう、リアは一度手を離すと、もう一度繋ぎ直した。
今度は、リアの指から短い糸が伸びていて、それが天の指にしっかりと結びついた。
「これで大丈夫。もしはぐれても、この糸が繋がってるうちは連絡も取れるからね」
さ、行こう。にっこり笑ってそうは言ったものの、動き出そうとしないリアの瞳に視線を合わせる。どんな状況でも動じない彼女が、少し羨ましくなった。
多分、彼女は天が歩き出すのを待っている。それが分かって、分かった上で、なんとなく歩き出したく無かった。
優しい彼女を困らせたいような。いつも振り回してくる彼女を振り回したいような。
(……何を考えているんだ)
軽く頭を振って浮かんできた思考を打ち消し、足を踏み出す。天の予想通り、リアも歩き出した。天が止まれば、リアも止まる。なんだか楽しかった。
「もー、どうしたの天ってば」
早く行こーよー、と不満げに言っているのに、自分からは歩き出さない。早く行きたいなら、リアが天を引っ張って行けばいいのに。
「どうしてリアさんから歩かないんですか?」
「えー、それは……だって、最近色々とやらかしがちじゃん、私。だから、あんまり自分から動くとまた天に無理させちゃうかもしれないし」
楽しいと夢中になっちゃうしね、とどこか気まずそうに頭を掻きながら言う。想像出来ていた答えのはずなのに、本人の口から言われるとどうしてかくすぐったくなるような気がした。
そうですか、と返した声は、少しばかり掠れてはいなかったか。
「じゃあ、早いところここから出ましょうか」
天がそう言えば、分かりやすく目を輝かせるリア。幼い見た目の彼女が見せる微笑ましい様子に、思わず頬が緩む。
今度は、無闇に立ち止まることはせずに歩き続けた。
歩を進めるにつれ、外の景色は段々と変化していく。はじめは虹色、次は赤色。どんどんと色が変わっていた。
いつの間にか真っ赤な光が差し込んでいたのには驚いたが、隣を歩くリアが「次は何色になると思う?私は青かな」なんて聞いてくるものだから、気味悪がるような隙は無かった。
次は、彼女の予想は外れて橙色だった。あれ、と首を傾げるリア。
「赤の次は青かと思ったんだけど。法則性ない感じ?」
「さあ。似た色に変わっているのかもしれませんよ。次は黄色でしょうか」
「それ、あるかも」
まるで夕焼けのような光だ。けれど降り注ぐ光はどこまでも冷たく、無機質なものだった。いつの間にか二人の手は離れている。天の手には、リアの冷たさだけが残っていた。
次は二人の予想通り黄色。黄色の光が差した途端、二人揃って顔を見合わせ、そしてぱっと笑顔になった。
「当たりましたね、予想」
「当たった!凄いねぇ、天」
二人で笑い合いながら、歩みを止めずに進んでいく。次は何色になるかな、なんて予想を立てていたが、二人とも大体の予想はついている。
次に差した光の色は緑。これまでに散々見てきた色だが、また石の色とは違った緑色だった。
「ほら、私の言った通りでしょう?やっぱり虹の色になってるんですよ」
「うん、そうだね。じゃあ……紫色を通り過ぎたらどうなるんだろうね?」
自慢げな天の言葉に頷きながら、立ち止まったリアが後ろを振り返って言った。さっき緑色に切り替わったばかりで、後ろには黄色の光が差している。
天が黙ったままでいると、リアは後ろを向いたまま器用に歩き出す。
「私はね、この先には何もないと思う。ただ人が立ってて、周りには何もないの。石でできた広い空間の真ん中に、絶望したように立ちすくんでるか崩れ落ちてるか」
「……何故、そんなに細かく?」
「なんとなく……ってか、鏡が見せてくる」
天も見る?とくるりと前を向いたリアが言ってくるものだから、天はそれを丁重に断って話だけを聞くことにした。
どういう状態なのかと尋ねると、リアもあまり良く分からないらしく、うーんと首を捻りながら憶測混じりに話し出した。
「多分、これもこの鏡の効果なのかな。どうして見えるのかは分からないけど、天の本に乗ってるかな。後で教えてね。で、まぁよく分からないけどなんか見えるの。元々魔力の繋がってたところかな。そこの様子だと思う!」
鏡を引っ張り出して、リアはその鏡面を天の方に向けた。天には自分の顔が写っただけに見えたが、彼女は先程言ったようなものが見えているらしい。
彼女曰く、「これが古代遺物だったら説明はつくけどね」だそうだ。
そのまま進んでいけば、次は青い光。まるで廊下が水の中に沈んでしまったかのように見える。
天がつい立ち止まって外を見れば、つられたようにリアも外を見る。景色は何も変わらない、ただ色が変わっているだけ。
それなのに、こうも印象が違うのが、当たり前なのに急におかしく思えて。天はつい何か違いを探すように、外をじっと見つめた。
再び歩き始めれば青色の光がだんだん濃くなり、どんどん水の底の方へ、光の届かない水底へ沈んでいくようだ。
「なんか、夜みたいだね」
天が水の底へ沈むように思っている間、リアは夜の底へ沈む感覚でいたようだ。光が暗いって変な感じ、と独り言のように呟きながら、今度はリアが足を止めた。
両手の指で四角を作って、まるでその藍色の光を切り取ろうとするかのように指をきゅっと閉じた。親指と人差し指がぴったりくっつく。
何をしているのかは天にはよく分からなかったが、とにかく彼女は満足したようだ。
そして、長い間歩いてきてついに紫の光が外から差し込み始めた。先程、リアが藍色の光が夜のようだと行っていたおかげで、天にはこの紫が夜明けのように映った。
「私達の予想が合ってるなら、これで最後の筈なんだけど」
まだまだ先が見えない。なんだか、いつまでもこの廊下が続くような気がしてきた。このまま進んでいけば、また赤い光が見えるのではないかと。
「もー、このポンコツ鏡。もっと近いところを見せてよね〜」
大きな鏡にリアが文句を言う。彼女も、少しはこの終わりの見えない廊下に不安を感じているのだろうか。
今度は、天からリアの手を取った。一瞬驚いたような顔をしたが、彼女はすぐに天の手を握り返す。
次に見える光が普通の光であることを願って、二人は手を繋いだまま鐘塔の廊下を進んでいった。




