水上散歩
じゃあ、とまずはこの場所のことを聞くことにした二人。男は一つ頷いて答えた。
「ここは祈りの間だ。ここで、神への祈りを捧げて、恵みを受け取る」
へえ、とフードを引っ張りながらリアは言った。あまり初対面で顔を見せたくはないらしく、万が一も無いように、といった徹底ぶりだ。
「恵みとは?」
気になったので天が尋ねる。男はあぁ、と頷いて、少し声を潜めた。
「それはな、雨だよ。魔力を含んだ雨」
予想外の言葉に、上手く返事が出来なかった。普通の雨ならともかく、魔力の含んだ雨をわざわざ求めるなんて。どちらもそう変わりはしないだろうに。
そう思ったが、どうやら違うようだ。天がどこか微妙な顔をしていることが分かったのだろう、男はさらに詳しいことを語るために口を開いた。
「おいおい、そんな顔するなよ。魔力の雨ってのは凄いんだ。ここは雨が降らないから、水が少ないんだ。それに、あの翠の石に吸われちまって魔力も少ない。それを補給するためには、これが一番なんだよ」
ここにいるのは普通の人間のほうが少ないからな、と言われ気付く。男の腕が、溶けかけていることに。薄暗いから分からないが、きっと影も無いのだろう。
「お兄さん、水の民?へえ、それじゃあ納得もいくけど……」
不自然に言葉を切ったリアは、その後を口にするのをためらうように顎に手を当てる。ややあって、天を手招きして、その耳元でこそこそと囁いた。
「鏡、ずっと上の方に繋がってた。この水の上まで。そっちに魔力が持っていかれてる。一回確かめに行かない?」
すっかり顔は見えなくなっているが、リアがどんな顔をしているかは大体分かった。きっと、好奇に満ちて目を輝かせている。
どうせ天が首を横に振っても、彼女は一人でそこへ行くだろう。置いていかれるのは御免だ、と頷く。それを見て、リアも頷いた。
「貴重な情報をありがとう、優しい信仰者。私たちはもう行かなきゃ」
立ち上がったリアがそう告げると、男は少し残念そうな顔をした。
「そうか。出口は分かるか?」
「分かるよ、心配してくれてありがとう。それじゃあ」
行こうか、と天の手を取ってリアは出口へ向かった。
「おい、嬢ちゃん、そっちに行っても何も……」
「安心して、きちんと出られるから!」
彼女が足を向けたのは、壁の一部。天やリアが入ってきたのとも違う場所を軽くつま先でトントンと叩く。
そうすると、パラパラと細かい破片が壁から剥がれて落ちてきた。それを見て、リアは楽しそうに声の調子を上げた。
「天、少し離れといて!危ないから」
天はリアの立っている場所から離れろという意味かと思って少し離れたが、どうやらそうでは無かったようだ。
リアは天の腕を掴んでぐっと引き寄せ、流れるように壁を蹴り飛ばした。途端にグラグラと地面が揺れだし、天井にヒビが入る。
「ちょ、リアさん!?」
「大丈夫、結界は張ってる!」
リアはそのまま二度、三度と壁を蹴り、どんどんヒビは大きくなっていく。
いくら安全だと言われても、恐怖を感じない訳ではない。天の尻尾はくるんと丸まり、耳もぺたりと伏せられている。
そんな天の様子を知ってか知らずか、リアは壁を蹴るのを止めて天井を仰いだ。天の腕を掴んでいた手は、安心させるように彼の手を握った。
「ほら、綺麗に穴空いた!」
見てみて、とリアに導かれるまま上を見れば、ヒビの間に、ぽっかりと穴が空いていた。
「……後でちゃんと直すから」
感動よりも不安が勝っていた天の顔を見て、言い訳をするようにモゴモゴと言ったリア。天の手を引っ張って、その穴の真下まで進む。
「じゃあ、今から飛びまーす」
「は?」
当たり前のように、あまりに軽く言い放たれた言葉に天が疑問を呈する前に、彼の体が宙に浮いた。
「ちゃんと安全だから!一気に行くよ!」
リアの声が下から聞こえたと思ったら、一気に上に引っ張られるような感覚が天を襲った。悲鳴を上げる時間も余裕もなく、水上まで引き上げられた。
一瞬遅れて、リアも水面に顔を出す。全く濡れた様子もなかったが、全身を水上に出した彼女はブルブルと体を震わせた。水に濡れた犬のようだ。
「さぁ、行こうか。謎解きの答え合わせしに行こう」
そう言って水上を歩き出すリア。いつの間にか繋いでいた手は解かれていた。そのことが少し名残り惜しく感じながらも、その後を追いかける。
「答え合わせって……。大した推理もしてないでしょう」
「いーの!この一連の謎の答えを見に行くんだから、答え合わせでしょ?」
魔力が少なくなっている証拠のように、水面の虹色はかなり薄くなっていた。
じっとそれを見つめる天に気がついたのか、リアは立ち止まって天が動くのを待っている。
「魔力、抜けてるでしょ。あとちょっとで全部抜けきったらもうおしまい、私達はとっとと地上に戻るだけだよ」
「……それなのに、今からこの塔の上に行くんですか」
水面を見つめたまま、リアの方は見ずに聞いた。彼女のことだ、好奇心の赴くままに動いているのかもしれない。分かってはいたが、確かめずにはいられなかった。
「だって気になるじゃん」
あぁ、予想通りだ。ね、ほら早く、と急かすリアに、やっと天は顔を上げて歩き出した。水面はすっかり透明になっている。もう見ておきたいものは無かった。
「あの鏡、ほんとに不思議。良くできてるよ、でもなぁ……」
前を行くリアが、ぶつぶつと何かを独りごちている。ここでなんのことを言っているか聞いても、彼女はきっとこちらの声など聞こえないだろう。そのくらい集中しているのが分かった。
そろそろ水上散歩もおしまいだ。しっかりと地面を踏みしめれば、目の前にあるのはあの鐘塔の扉。
「こっから一気に上まで上るよ。道中見てられないから」
天の隣に並んだリアが、そう言った。そんなことをこちらに言われても、寄り道ばかりしていたのは彼女の方だろうに。
それでも、天は黙って頷いた。リアが一番伝えたいのは、「一気に上まで」の部分だろう。
ギィィ、と錆びついた音を立てて扉が開く。すぐに見えた階段に向かって、どちらからともなく歩き出した。




