第5話 初心者街と、追跡者の気配『改稿後』
遅れてすみません。m(._.)m
学園編進みそうにないのでやめました。
後悔は、していない。(キリッ)
転移の感覚は、思っていたより不快だった。
身体が一度ばらばらにされ、見えない手で無理やり組み直されたような感覚。足元が戻った瞬間、クオリアは膝をつき、石畳へ片手をついた。
「……気持ち悪い」
「初回転移で吐かなかっただけ優秀だ」
頭上から、冷たい声が降ってくる。
顔を上げると、先ほど森で助けてくれた獣人の少女が腕を組んで立っていた。黒い耳が不機嫌そうに揺れている。
その背後には、灰色の石壁に囲まれた街並みが広がっていた。
低い屋根の家々。往来を行き交う人々。荷車を引く獣。剣や杖を持った冒険者らしき姿。空気には焼いた肉と香辛料、鍛冶場の煙、それから大勢の人間が暮らす場所特有の匂いが混じっている。
始まりの草原とは違う。
ここには、生活があった。
《初心者街エルディアへ到着しました》
《通信機能が一部解放されました》
《簡易地図が使用可能になりました》
《所属登録を行うことで、各種施設が利用可能になります》
次々と表示される案内に、クオリアはようやく息を吐いた。
生きて街へ辿り着いた。
それだけのことが、ひどく大きな達成に思えた。
「おや、賑やかな場所ですね」
「初心者街にしては人が多い」
遅れて、二人のカルシウムが転移の光から現れる。
カリウムは服についた灰を払い、塩酸はなぜか転移陣の模様を覗き込んでいた。あれだけの竜に追われていたというのに、二人とも妙に平然としている。
獣人の少女は、その姿を見るなり露骨に眉をひそめた。
「なんでチュートリアル案内人が二人もいる」
「親切だからです」
「手厚い支援です」
「嘘をつけ。普通は一人だ」
クオリアはゆっくり二人を見る。
「普通は一人なんですか?」
「個人差があります」
「先ほどは世界が判断すると説明しました」
「答えを濁してますよね」
「世界とは曖昧なものです」
「便利に使わないでください」
少女の視線が、カルシウムたちからクオリアへ移る。
「お前も大変そうだな」
「今の一言だけで、少し救われた気がします」
「勘違いするな。同情しただけだ」
そう言って、少女は踵を返した。
「ついてこい」
「どこへ?」
「冒険者組合だ。街に入った新参者は、そこで身元と能力を登録する」
「登録しないとどうなりますか」
「宿に泊まれない。仕事を受けられない。倉庫も使えない。あと衛兵に怪しまれる」
「行きます」
迷う理由はなかった。
クオリアが立ち上がると、全身に鈍い痛みが走る。生命力は回復薬で四十八まで戻っているものの、疲労までは消えていないらしい。
少女は数歩先を歩きながら、ちらりと振り返った。
「遅れるな」
「努力します」
「努力じゃなくて歩け」
「厳しいですね」
「黒天竜に追われた直後に軽口が出るなら、まだ余裕がある」
確かに、その通りかもしれなかった。
街の中を歩く間、クオリアは何度も周囲へ目を向けた。
すれ違う人々の反応は自然だった。露店の店主は客と値段を巡って口論し、道端では子供たちが木の剣を振り回している。冒険者らしき男が酒瓶を抱えて眠り、近くの女性がその腹を蹴っていた。
作られた行動には見えない。
全員が、それぞれの事情を抱えて生きている。
「見すぎだ」
前を歩く少女が言った。
「珍しくて」
「お前のいた場所には街がなかったのか?」
「草原しかありませんでした。あと竜」
「最悪の初期地点だな」
「あなたはこの街の人なんですか」
少女の足が、ほんの少しだけ止まった。
「違う」
短い答えだった。
「じゃあ冒険者?」
「それも違う」
「では、どうしてあの森に?」
「質問が多い」
「助けてもらった相手のことを知りたいだけです」
「必要ない」
切り捨てるような声音だった。
だが、怒っているというより、距離を取ろうとしているように見える。
クオリアはそれ以上聞かなかった。
代わりに、先ほどから気になっていたことを尋ねる。
「名前くらいは教えてもらえませんか」
少女は前を向いたまま答えた。
「まだ必要ない」
「呼び方に困るんですが」
「好きに呼べ」
「黒耳さん」
少女の耳がぴくりと動いた。
「殺すぞ」
「好きに呼べと言ったのはそっちです」
「限度がある」
「では、弓の人」
「もっとましなものにしろ」
「助けてくれた人」
今度は返事がなかった。
ただ、少女の歩調が少しだけ速くなった。
やがて、大きな建物の前へ辿り着く。
石造りの二階建てで、入口の上には剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられていた。中からは話し声と食器のぶつかる音が聞こえてくる。
《冒険者組合エルディア支部を発見しました》
扉を開けた瞬間、何人もの視線が集まった。
原因は明らかだった。
黒い耳の少女。
白衣姿の奇妙な男が二人。
そして初期装備のまま、土と灰にまみれたクオリア。
目立たないほうが難しい。
「おい、あれって……」
「森の狩人じゃないか?」
「なんで初心者を連れてる」
小さなざわめきが広がる。
少女は一切気にせず、奥の受付へ向かった。
受付にいた女性は、柔らかな茶髪を後ろでまとめた人物だった。クオリアたちを見ると、仕事用の笑顔を浮かべる。
「ようこそ、冒険者組合エルディア支部へ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「新参者の登録だ」
少女がクオリアを顎で示す。
受付の女性は彼を一目見たあと、視線をカルシウムたちへ移した。
「チュートリアル案内人が二名?」
「よく聞かれます」
「人気者なので」
「そういう意味ではないと思います」
受付の女性は困惑したものの、すぐに仕事へ戻った。
「では、こちらへ手を置いてください」
差し出されたのは、透明な水晶だった。
人の頭ほどの大きさがあり、内部には薄い光が漂っている。
「この鑑定晶で、種族、基礎能力、適性職を確認します。一般公開を望まない情報は、本人の意思で秘匿できます」
「壊れたりしませんか」
「通常は壊れません」
通常は。
その言葉に嫌な予感がした。
クオリアは背後のカルシウムたちを見る。
二人とも、期待に満ちた顔をしていた。
「なんで楽しそうなんですか」
「未知の結果に期待しています」
「爆発する可能性もありますから」
「先に言わないでください」
受付の女性が不安そうに二人を見る。
「爆発は困ります」
「大丈夫です。たぶん」
「その言葉、信用できないんですよ」
逃げるわけにもいかず、クオリアは水晶へ右手を置いた。
冷たい感触が掌に広がる。
一秒。
二秒。
何も起きない。
やはり心配しすぎだったか。
そう思った瞬間、水晶の内部に黒い線が走った。
ひびではない。
墨を垂らしたような影が、水晶の中心からゆっくり広がっていく。
受付の女性の表情が変わる。
「手を離してください」
クオリアはすぐに手を離した。
だが、黒い影は止まらない。
水晶全体を侵食し、淡く光っていた内部を完全に塗り潰していく。組合内のざわめきが消え、誰もがその光景を見つめていた。
やがて、水晶の表面に白い文字が浮かぶ。
《種族:ギアス》
《照合結果:該当なし》
《適性職:判定不能》
《危険性:判定不能》
《登録権限を上位機関へ移行します》
受付の女性の顔から血の気が引いた。
「上位機関……?」
カリウムが身を乗り出す。
「珍しいのですか」
「珍しいどころではありません。通常、街の支部で登録できない者は、王都の中央組合へ送られます」
「王都まで行く必要があるんですか」
クオリアが尋ねると、女性は首を振った。
「いいえ。この表示の場合は、向こうから来ます」
「誰が?」
受付の女性は答えなかった。
水晶に、新たな文字が浮かび上がる。
《特別監査官へ通知しました》
《対象者は、その場で待機してください》
《逃亡した場合、敵対行動と判断します》
組合内の空気が一気に張り詰めた。
周囲の冒険者たちが、僅かに距離を取る。
クオリアは額へ手を当てた。
「街に着いて早々、犯罪者みたいになったんですが」
「まだ犯罪者ではありません」
塩酸が慰めるように言う。
「まだ、を強調しないでください」
「逃げるか?」
獣人の少女が低く尋ねた。
冗談ではない。
彼女の右手は、いつでも弓を取れる位置にある。
クオリアは少し考え、首を振った。
「逃げません」
「理由は?」
「ここで逃げたら、本当に敵だと思われるからです」
「正しい判断とは限らないぞ」
「それでも、自分で決めました」
少女は何も言わなかった。
ただ、その金色の瞳がわずかに細められる。
その時、組合の外で鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
街中の話し声が止まるような、低く重い鐘の音。
受付の女性が窓の外を見る。
「……もう来た?」
「何がですか」
「特別監査官です。通知から到着まで、普通は数日かかるはずなのに」
扉の向こうで、規則正しい足音が近づいてくる。
一人ではない。
武装した者たちの足音。
同時に、クオリアの視界へ赤い文字が浮かんだ。
《観測者が一名増加しました》
《現在の観測者数:二名》
《警告》
《一名は、すでに街の内部に存在します》
背筋が冷える。
外から来る監査官とは別に、誰かがすでにいる。
クオリアは反射的に周囲を見回した。
冒険者。
受付職員。
カルシウムたち。
黒い耳の少女。
誰もがこちらを見ている。
その中の誰かが、観測者なのか。
あるいは、人の姿すらしていない何かが、この場に紛れ込んでいるのか。
その瞬間、水晶に映っていたクオリアの影が、遅れて笑った。
本人は笑っていない。
だが、水晶の中の影だけが口元を歪めていた。
誰にも気づかれないほど、ほんの一瞬。
クオリアだけが、それを見た。
そして、頭の奥に声が響く。
『ようやく、近くまで来られた』
黒天竜ノクスとは違う声。
優しく、静かで、それなのに逃げ道を塞ぐような声だった。
組合の扉が開く。
銀色の鎧をまとった一団が、建物の中へ足を踏み入れる。
その先頭に立つ男は、クオリアを見るなり剣の柄へ手を置いた。
「特別監査対象、クオリア」
よく通る声だった。
「世界法違反の疑いにより、貴殿の身柄を一時拘束する」
街へ着けば、安全だと思っていた。
だが、どうやらこの世界は、初心者を休ませるつもりなど最初からなかったらしい。




