第9話:星の静寂の休日
星導国家アストライア。
その中心に位置する絶対安全領域『星の静寂』の休日の朝は、息を呑むほど美しい。
空を見上げれば、雲よりも高い位置に『星時計の魔法陣』がドーム状に展開している。
巨大な天球儀の歯車がカチリ、カチリとゆっくり噛み合いながら回転し、星座を模した幾何学模様が、透き通ったガラスのように陽光を和らげている。
魔法と科学が美しく入り混じる、神秘的で巨大なシステム。
その光の下には、白亜の石造りの建物と、群青色の屋根が連なる多層構造の街並みが広がっている。
丘陵地帯を縫うように流れるアーチ状の水路はキラキラと光を反射し、建物の合間には緑豊かな空中庭園が浮かぶ。
カンカン、とリズミカルに金属を打つ職人の音。
石畳の通りを、魔力で動くレトロで優雅な『魔導トラム』が、ガタゴトと心地よい音を立てて走っていく。
チートスキルや魔法が一切使えないからこそ、人々が知恵を絞り、手作業で作り上げた「純粋な技術」が息づく、温かくてアナログな世界だ。
「はぁ〜、いいお天気!」
私は大きく伸びをして、隣を歩くクロエの腕にギュッと抱きついた。
「ちょっとセレン、歩きにくいわよ」
「えへへ、だって楽しいんだもん」
クロエは呆れたように笑いながらも、私を振り払ったりはしない。
彼女のカーディガンの柔らかい感触と、じんわりとした体温が私の腕に直接伝わってくる。
結界の外に出る『境界ターミナル』の転送陣を踏み越えれば。
その瞬間、ピィィィンッ! という高い音と共にシステムが起動し、私の体は1ミリの『到達拒否』バリアに覆われてしまう。
どんな攻撃も弾き飛ばす、無敵で孤独なスタイリッシュ空間の出来上がりだ。
でも、この結界の中ではすべてのスキルが強制的に「オフ」になる。
だから私は、普通の女の子として、大好きなクロエと腕を組んで歩くことができるのだ。
「ほら、今日は一週間分の買い出しなんだから、ボーッとしてないで荷物持ってよね」
「はーい!」
私たちは市場が立ち並ぶ商業区画を歩いていた。
焼きたてのパンの香ばしい匂いと、色鮮やかな野菜や果物がずらりと並んでいる。
「おじさん、このリンゴとジャガイモ、たくさんちょうだい!」
「おう、嬢ちゃんたち! いつもありがとな、おまけしとくぜ!」
私は受け取った大きな紙袋を両手で抱え込んだ。
「うっ……結構、重いかも……」
結界の外なら、重さのベクトルもバリアで弾いて「ふんわりフワフワ〜」と軽く持てるのだけれど、ここではそうはいかない。
私はフラフラとよろめきながら、ぽんこつな足取りでクロエの後をついていく。
その時だった。
「おいコラ! 俺様を誰だと思ってやがる! 外の世界じゃ泣く子も黙るBランク冒険者、『爆炎のガルド』様だぞ!!」
市場の入り口付近で、怒鳴り声が上がった。
見れば、派手な毛皮の鎧を着た大柄な男が、果物屋の店主に凄んでいる。
どうやら、外の無法地帯からやってきたばかりで、この街のルールをよく分かっていないらしい。
「こんな果物一つで銀貨だと!? ふざけるな、俺様のスキルでこの店ごと灰にしてやる!」
男はドヤ顔で右手を高く掲げ、指をパチンと鳴らした。
スカッ。
「……あれ?」
男がもう一度、力強く指を鳴らす。
スカッ。スカスカッ。
「お、おい! なんで俺の最強の爆炎が出ねぇんだよ!?」
男は焦って何度も指を鳴らすが、小さな火花一つ散らない。
「ぷっ」
私は思わず吹き出しそうになった。
絶対安全領域の中で、攻撃スキルなんて発動するわけがないのだ。
「ち、チィッ! スキルが駄目でも、俺の身体強化された力なら……!」
男は実力行使に出ようと、果物屋の木箱を蹴り飛ばそうとした。
しかし。
「兄ちゃん、ここは外の世界じゃねえぞ」
ぬっ、と背後から現れたのは、果物屋の隣にある精肉店の店主だった。
毎日毎日、巨大な肉の塊を切り分け、自分の手足で重い荷物を運んでいる、純粋な筋肉の塊のようなおじさんだ。
「スキルに頼りきって、基礎体力をサボってたモヤシっ子が、この街でデカい顔すんな」
「ひっ……!?」
精肉店のおじさんが、男の首根っこをヒョイッと片手でつまみ上げる。
スキルによる身体強化が剥がれ落ちた冒険者は、鍛え上げられたアナログな筋肉の前には、まるで赤子のように無力だった。
「うわああああっ、離せぇー!」
男はあっけなく市場の外へと放り投げられ、ドサッという情けない音と共に転がっていった。
周囲からは、市場の職人たちのドッと沸くような笑い声が起こる。
「……外の人って、大変そうだねー」
私は呑気にそう呟きながら、屋台で買ったばかりのクレープをパクリと頬張った。
甘い生クリームが口いっぱいに広がって、ほっぺたが落ちそうだ。
「ほんと、あんなのばっかり。セレンも、外の任務では気をつけるのよ?」
「うん、わかってる。危ない攻撃が来ても、バリアをツルツルにして横に滑らせるだけだから大丈夫だよ」
私はニコッと笑って、クレープの残りを口に放り込んだ。
口の端にクリームがついてしまったけれど、クロエが呆れながらハンカチでサッと拭き取ってくれた。
直接触れてもらえるのが、なんだかすごく嬉しい。
「……ま、いっか。今日も平和だし、ご飯は美味しいし!」
私は両手に抱えたジャガイモの重みすら愛おしく感じながら、大好きなこの街の景色を眺めて、ゆっくりと歩き出した。




