第78話:愚手とローストビーフ
ナハトローゼ家別邸のパーティ会場は、まさに「虚飾」という言葉を煮詰めたような空間だった。
巨大なクリスタルのシャンデリアが、着飾った貴族たちの宝石を照らし出し、弦楽四重奏の優雅な調べが、毒の混じった談笑を覆い隠している。
「……んむ。カリナちゃん、このローストビーフ、とっても柔らかいよ。お口の中で溶けちゃう。雪かな?」
私は会場の隅、山盛りの料理が並ぶビュッフェコーナーで、銀の皿に盛ったお肉を口に運んでいた。
正直、コルセットが胃袋を締め付けていて、呼吸をするだけで精一杯なのだけれど、目の前にある「ご馳走」という誘惑には勝てなかった。
「セレン、食べ過ぎだぞ。ただでさえそのドレス、苦しそうなんだから……。ほら、エビのフリットも食べるか?」
護衛兼付き人として隣に立つカリナが、呆れ顔で私を嗜める。
けれど、そんな彼女の皿には私以上に山積みの料理が載っていた。
「……私より、お山が高い」
「こ、これはあれだ。不測の事態に備えての栄養補給だ。……居候として、セレンたちの食費を浮かせるための作戦でもある!」
「なるほど、訓練ということだね。……私も、この締め付けられた胃袋にいくつ入るか、自分自身を試してるの。限界突破への挑戦よ」
「そうか。さすが先輩、食事も訓練の一環だったのか……!」
カリナが真面目な顔で頷き、二人でモリモリとお肉を頬張る。
結界内だから、味も、香りも、直接感じられる。
(……幸せ。ずっと、こうして食べていられたらいいのになぁ)
そんな私たちの平和な修行は、会場を揺らす不吉な重低音によって打ち切られた。
◇ ◇ ◇
ゴォォォンッ、という鐘の音のような衝撃。
次の瞬間、天井のシャンデリアが一斉に消灯し、会場は不自然な闇に包まれた。
「な、なんだ!?」「電気が消えたぞ!」
パニックになる貴族たち。そのどよめきを切り裂くように、バルコニーの上段に一人の男が姿を現した。
「ハハハ! 気分はどうだ、シーカーズの諸君! そして、古臭い法に縋る『星読み』の末裔よ!」
スポットライトのように魔導光に照らされたのは、ナハトローゼ家の次期当主、モルドレッドだった。
彼の手には、どす黒い紫色の煙を吐き出す奇妙な形の香炉が握られている。
「それは……『虚無の香炉』か!?」
会場の別の場所で談笑していたフェリクさんが、鋭い声を上げた。
彼の横では、アリアちゃんがすでにドレスの裾から分解済みの銃身を取り出そうとしている。
「ご名答だ、フェリク! この館は今、王都の結界から切り離された! 聖域は死んだのだ! ここは力がすべてを決める、弱肉強食の外の世界と同じ……すなわち、私の独壇場だッ!!」
モルドレッドが吼えると同時に、会場の壁際に控えていた私兵たちが一斉に抜剣した。
彼らの剣には、本来王都では見ることのできない、禍々しいスキルの魔力が宿っている。
◇ ◇ ◇
「お前たちはここで『事故』に遭うのだ! 反抗的な調査員と、それを唆したルーメン家が、暴走した古代遺物の犠牲になった……という悲劇にな!」
モルドレッドが私を指差す。
私兵たちの背後から、大型の魔導砲を構えた狙撃手たちが現れた。
「死ね! 氷の処刑人!!」
放たれたのは、三条の紅蓮の火柱。
ドレスを焼き尽くし、肉を焦がし、骨まで灰にする破壊の奔流だ。
「セレン!!」
カリナが叫び、大剣を抜こうとする。
けれど、私はそれより一瞬早く、心の中で安堵の溜息を吐いていた。
(……あ。なんだか、空気が『ピリピリ』してきた)
香炉の煙が会場を満たした瞬間、私を縛り付けていた透明な重圧が消えた。
同時に、私の意識とは無関係に、あの音が耳の奥で鳴り響く。
――ピィィィンッ!
「……あ。バリア、戻ってきた」
私は無表情のまま、手に持っていた『星図盤の撞球杖』を足元の石畳にトン、と突いた。念のためと、ドレスの下に《《仕舞い込まれていて》》、正解だった。
バリアがある今なら、もう足元の感触を気にする必要はない。
バリアが床を1ミリ浮かせてくれるから、この不便なヒールだって、もう痛くない。
「……せっかくのローストビーフ、焦がしちゃダメですよ」
私はステッキの先端で、空中の一点を適当に指差した。
直後、迫りくる紅蓮の火柱が、私の身体の1ミリ手前で「透明な壁」に激突した。
『ピィィィィンッ!!』
高く、澄んだ拒絶の音。
火柱はバリアに触れた瞬間、その運動エネルギーと熱量を完全に書き換えられ、不自然な角度――すなわち、バルコニーの上で笑っているモルドレッドと、魔導砲を構えた私兵たちへと向かって、倍以上の速度で跳ね返っていった。
「な……ッ!? ぐ、ぎゃああああああっ!!」
ドォォォォォンッ!!
バルコニーで爆発が起き、モルドレッドが悲鳴を上げて転げ回る。
攻撃を放った私兵たちも、自分たちの魔法に飲み込まれて吹き飛んでいった。
◇ ◇ ◇
「……ふぅ。お肉、無事だった」
私は煤ひとつ付いていないお皿を見つめ、満足げに頷いた。
周囲を見渡すと、会場の異変を察知したカリナが即座に一般の貴族たちの前に立ち、大剣を盾にして彼らを守っていた。
さらに、館の外から凄まじい衝撃音が響く。
「海の藻屑になりたくなきゃ、そこをどきなァ!!」
「シグナム先輩!! ここ海じゃないですよ~!!」
シグナムさんの怒声と共に、正面玄関が巨大な水圧の刃によって粉砕された。
結界が消えたことで、外に待機していたシーカーズの精鋭たち――そしてオスヴァルド、エマ、シグナムさんたちが、フル装備で雪崩れ込んできたのだ。
「セレン、無事か!!」
オスヴァルドが炎の盾を掲げて突入してくる。
「うん。みんな、早かったね」
私が呑気に手を振る中、フェリクさんがゆっくりと、倒れ伏すモルドレッドへ歩み寄った。
燕尾服に汚れ一つない彼は、絶望に顔を歪めるモルドレッドを、絶対零度の瞳で見下ろした。
「……結界を解除すれば、彼女の『呪い』も解き放たれる。最強の矛を手に入れたつもりが、自分自身で最強の防壁を復活させてしまうとは」
フェリクさんは優雅に、けれど心底蔑むように薄く笑った。
「モルドレッド卿。盤上遊戯において、最も愚かな手は何だかご存知ですか?」
彼は指をパチン、と鳴らした。
彼の固有スキル『凶星の崩蝕』が発動し、モルドレッドが必死に握っていた『虚無の香炉』に、ピシリと無数の亀裂が入った。
「――自分の王を、自らの手で詰ませることですよ」
パリンッ! という音と共に、禁忌の遺物が砕け散る。
モルドレッドの絶叫が響く中、私はカリナに「冷めないうちに食べよ?」と最後の一切れのローストビーフを差し出すのだった。
正直結構怖かった。
表情筋は間違いなく死んでた。
今の私、間違いなく「氷の処刑人」に見えちゃってたよね?
もっと本当。危ない時に女の子らしい反応が出来たらなあ。




