第77話:虚無の香炉と姫君
「――見事な手際だ、フェリク・ルーメン。我が家が裏で動かしていた『星狩り』の資金源をこうも鮮やかに、かつ公にせず突きつけてくるとはな」
王都の貴族街、ナハトローゼ家の深奥にある執務室。
現当主アルベール・ナハトローゼは、手元の抗議文を暖炉の炎へと放り込んだ。
紙面は一瞬で黒く焦げ、塵となって消えていく。
「それに引き換え、我が愚息は……。なぜ正面から『法と権威』で潰さず、泥棒のような真似をして尻尾を掴まれる。ナハトローゼの力とは、そのような小細工なしに相手を屈服させる絶対的なものであるべきだというのに」
アルベールは深く、冷酷な溜息を吐いた。
彼にとって「星鍵の断片」は、手に入れば有用な資源に過ぎない。
それよりも優先されるべきは、軍事権を担う名門としての「名誉」と「体面」である。
彼は無能な息子へ「結果を出せ」と言ったが、それは家名を汚してまで足掻けという意味ではなかった。
しかし、その親の真意は、地下の隠し金庫に籠もる息子には微塵も届いていなかった。
◇ ◇ ◇
「ヒ、ヒヒッ……! 泥臭い学者どもめ、ルーメンの毒蛇め……! 私を、この私を、これほどまでに辱めて……タダで済むと思うなよ……!」
暗い金庫の中、モルドレッドは血走った目で、一つの香炉を抱きしめていた。
ナハトローゼ家の守護遺物――『虚無の香炉』。
それは本来、王都が大災害や反乱に陥った際、軍部が独断で結界の法則を一時的に上書きし、騎士たちにスキルの行使を許可するための「国家保障級」の兵器である。
例えるならば核兵器にも等しいその代物は、当主の許可なく持ち出すことなど、死罪に相当する大罪だ。
「これがあれば……結界の守りなど消し飛ぶ。王都のど真ん中だろうと、私兵団の魔導砲で塵にできるのだ……。フェリクも、あの女も、まとめて『事故』にしてくれるわ……!」
狂気に染まった笑い声が、冷たい金庫の壁に反響していた。
◇ ◇ ◇
「……で、これがその『死出の旅路』への片道切符ってわけ?」
数日後。境界探査局本部の会議室。
カペラ局長が、銀色のトレイに乗せられた豪華な招待状を指先で弾いた。
黒い紙に金の刺繍、大輪の薔薇を模したナハトローゼ家の印章。
『先の監査における非礼を詫び、シーカーズが成し遂げた「星骸の奈落」の偉業を称えるため、親善の夜会を開催したい』
「誰が見ても見え透いた罠ね」
クロエが腕を組んで吐き捨てる。
ケプラー副局長も、ゼンマイ駆動の義手をガリガリと鳴らして同調した。
「場所はナハトローゼ家の私領の別邸……。あそこは王都の端で、警備もあいつらの身内ばかりだ。行く必要はねぇ。断っちまえ」
「いえ。ここで逃げれば、彼らに『寛大な和解の提案を、無礼にも拒絶した』という政治的な口実を与えてしまいます」
静かに口を開いたのは、フェリクさんだった。
彼は月の紋章のネクタイを整え、いつもの穏やかな微笑を浮かべている。
「あの男が、これほどの手間をかけて私を……いえ、私たちを招くというのです。どのような盤面(罠)を用意したのか、直接見ておく必要がある。局長、ここは私にエスコートをお任せいただけませんか?」
「……フェリク。あんた、セレン君を守り切れるのね?」
「命に代えても。それに、当日は私の妹――アリアも同行させます。ルーメン家の名代として二人が出席すれば、ナハトローゼも表向きは手出しできません」
頼もしすぎる隊長の宣言に、会議室の空気がわずかに和らいだ。
◇ ◇ ◇
「うぅ……。クロエ、苦しい……。これ、本当にお洋服なの? 拷問器具じゃないの?」
パーティ当日。私たちのアパート。
私は鏡の前で、見たこともないほどフリフリで豪華なドレスに身を包み、涙目で訴えていた。
「我慢しなさい、セレン。ナハトローゼの連中に『やっぱり星屑拾いの娘だ』なんて思われたら、シーカーズの面汚しなんだから!」
クロエが私の背後のコルセットを容赦なく締め上げる。
「あわわわっ、お腹が……お腹が圧迫されて、これじゃローストビーフが一切れも入らないよぉ……」
「あんたは食べるためにパーティに行くわけじゃないでしょ! ……ほら、できたわ」
鏡に映った私は、まるでどこかの国のお姫様のようだった。
けれど、このドレスはただの服ではない。
クロエが徹夜で魔改造した、防刃・防弾、さらに空間波長を安定させる特殊繊維を編み込んだ「超高性能・非魔導式防護服」なのだ。
「セレン、とっても綺麗……。まるでお人形さんみたい」
リビングでは、同じくパーティ用のドレス(動きやすさ重視)を着たカリナが、目を輝かせて私を見つめていた。
彼女は今日、私の「付き人」として会場に潜り込むことになっている。
「カリナも、かっこいい。……でも、二人とも気をつけて。今日はフェリクさんの計画通り、お外にはオスヴァルドたちもいるから」
そうなのだ。
ナハトローゼの館から少し離れた森の中では、エマやシグナムさん、そしてフィールドワーク部隊の精鋭たちが、シーカーズ特製の隠密装備を携えて待機している。
いざという時、バリアのない私を守るための「盾」は、幾重にも用意されていた。
コンコン。
控えめなノックの音と共に、扉が開く。
「お待たせしたね、セレン。……おや、これは」
入ってきたフェリクさんは、完璧に仕立てられた黒の燕尾服に身を包んでいた。
その横には、同じく銀色のドレスを纏い、無表情のまま小さなバッグ(中身は解体済みの魔導銃だろう)を下げたアリアちゃんもいる。
フェリクさんは私を一目見て、優雅に片目を細めた。
「最高に美しいよ、セレン。これなら、泥棒たちの毒気も一瞬で浄化されそうだ」
「……フェリクさん。綺麗だけど、やっぱりこれ苦しいの。終わったら、脱がせてね?」
「ふふっ。善処しましょう」
フェリクさんは優しく笑い、私の手を取って、エスコートのために腕を差し出した。
結界内だから、彼の腕の確かさと、ほのかな紅茶の香りがダイレクトに伝わってくる。
「さあ、参りましょうか。退屈な夜会を、少しばかり『掃除』しに」
私はフェリクさんの腕に捕まりながら、
(……ローストビーフ、いくつまで入るかな)
と、相変わらずマイペースなことを考えつつ、華やかで危険な決戦の夜へと踏み出した。




