第76話:アルベール・ナハトローゼ
「――以上の映像記録により、ナハトローゼ家が裏で星狩りを雇い、本局および局員へ危害を加えようとした事実は明白です」
王都の夜。
シーカーズ本部の局長室で、フェリクさんが淡々と報告を締めくくった。
机の上には『魔導カメラ』の記録結晶が置かれている。
「それにしても……」
ケプラー副局長が、からくり義手で顎を撫でながら、信じられないものを見るような目で私を見下ろした。
「Aランク星狩りのシオン・ブラックソーンといえば、外の世界じゃ名の知れた手練れだぞ。それを、通信を絶たれた状態から無傷で撃退するとはな。……セレン、お前さん、本当にどういうからくりでアレを跳ね返したんだ?」
「えっと……ステッキでトンってして、そのまま、お返しドーンって」
「……相変わらず、天才的な言語化能力ね」
カペラ局長が呆れたようにため息をついた。
「まあいいわ。これで、表立った嫌がらせも、裏からの強硬手段も、ナハトローゼの連中はしばらく手が出せなくなったはずよ。フェリク、後始末は見事だったわ。セレン君たちも、本当によくやってくれた」
「隊長として当然の責務です」
フェリクさんが優雅にお辞儀をする。
「さて、今日のところはこれで解散にしましょう。皆さんも、ゆっくり休んでください」
その言葉が出た瞬間、私の頭の中から小難しい政治のお話は綺麗さっぱり消え去った。
私の関心事はただ一つ。リュックの中に大事にしまってある、市場で買った特上のお肉だ。
(早く帰って、クロエにお肉焼いてもらわなきゃ!)
◇ ◇ ◇
「わぁ……すっごくいい匂い!」
アパートの共有リビング。
湯気を立てるお鍋から、お肉と野菜の溶け込んだシチューの香りが部屋いっぱいに広がっていた。
結界内の私は、バリアが消えてただの不器用な十九歳の女の子になる。
お鍋を持とうとすれば「あちちっ」となるし、包丁を持たせれば指を切りそうになるので、ご飯の支度はもっぱらクロエの担当だ。
「はい、お待たせ。特上肉のシチューよ。セレンもカリナも、いっぱい食べてね」
クロエがエプロン姿で、三つの深皿をテーブルに並べる。
「いただきますっ!」
私は木のスプーンをしっかり握り、ふーふーと息を吹きかけてから、とろとろのお肉を口に運んだ。
お肉の旨味と甘みが口いっぱいに広がって、ほっぺたが落ちそうになる。
結界内だからこそ、こうして温かさと柔らかさを、素肌で、舌で、直接感じることができるのだ。
「うん、美味しい! クッキーもよかったけど、やっぱりクロエのご飯が一番だよ」
私が満面の笑みを浮かべると、クロエは照れくさそうに「ふふっ、大げさね」と笑った。
しかし、私の向かいの席では、カリナがシチューに手もつけず、何故か背筋をピンと伸ばして正座をしていた。
「セレン先輩、クロエ先輩。……改めまして、本日は私の不徳の致すところで、セレン先輩を危険な目に遭わせてしまい、誠に申し訳ありませんでしたッ!」
カリナがガバッと頭を下げる。
その真剣すぎる態度に、私とクロエは顔を見合わせた。
「ちょっとカリナ、家の中でまでそのガチガチの敬語やめてよ。こっちまで息が詰まるわ」
クロエが苦笑いしながら諭すが、カリナは頑なに頭を上げない。
「しかし! 私は見習いから正規の調査員になりました。シーカーズの規律として、偉大な先輩方には……」
「カリナ。シチュー、冷めちゃうよ?」
私がスプーンを持ったまま首を傾げると、カリナの肩がビクッと跳ねた。
「あのね、カリナ」
私はカリナの目を真っ直ぐに見つめた。
「お外でお仕事してる時は、カリナも立派な調査員だから、私のこと『先輩』って呼んでくれていいよ。でもね、お家の中では、私たちは家族みたいなものなんだから。……堅苦しいのは、なしにしよ?」
「そうだよ、カリナ」
クロエも同意するように頷く。
「あんた、私服の時まで『クロエ先輩』って呼ぶつもり? 私たち、一つしか違わないんだから。ご飯の時くらい、普通の女の子に戻りなさいよ」
「……っ」
カリナは真っ赤になって俯き、それから恐る恐る顔を上げた。
「……わ、わかった。……セレン、クロエ」
カリナはもじもじしながら、スプーンを手に取った。
「その……美味しいシチュー、ありがとう。……すっごく、お腹空いてた」
「ふふっ、どういたしまして」
「いっぱい食べてね、カリナ!」
アパートの小さな食卓に、三人の笑い声が響く。
結界の外の残酷なルールなんて届かない、私たちだけの、最高に温かくて平和な時間だった。
◇ ◇ ◇
その頃。
王都の高級街にそびえ立つ、ナハトローゼ家の豪奢な屋敷。
次期当主であるモルドレッドの私室は、重苦しい空気に包まれていた。
「……それで? Aランクの精鋭を揃えておきながら、女一人、学者数人を相手に、無様に逃げ帰ってきたと?」
高級なソファに深く腰掛けたモルドレッドが、ギリッと歯ぎしりをして睨みつける。
その視線の先には、全身を包帯で巻かれ、ひどく血の気を失ったシオン・ブラックソーンが立っていた。
「……悪いが、あの『氷の処刑人』は俺の手には負えねえ。……あれは防御とか、魔法とか、そういうチャチなもんじゃねえ。理屈が通じない、空間のバグだ」
シオンは忌々しそうに吐き捨てる。
「報酬の残りは要らねえ。俺は手を引かせてもらう。……忠告しておくぜ、坊ちゃん。あのバケモノと、その後ろにいるルーメンの毒蛇を敵に回すのはやめておけ」
それだけ言い残し、シオンは足を引きずりながら部屋を去っていった。
残されたモルドレッドは、机の上に置かれた書類を乱暴に床へ払い落とした。
フェリク・ルーメンから送られてきた、本部襲撃の証拠録画データと、静かだが残酷な「最後通告」の書面だ。
表の政治力である監査も、裏の暴力である星狩りも、すべてシーカーズに完封されてしまった。
「ふざけるな……。ふざけるなッ! たかが泥臭い学者風情が、この私をコケにしおって……!」
モルドレッドが怒りに震えていると、背後の重厚な扉が静かに開いた。
「――見苦しいぞ、モルドレッド」
「……っ! 父上……」
そこに立っていたのは、ナハトローゼ家現当主、アルベール・ナハトローゼ。
王都の軍事権を握る、冷徹な瞳を持った初老の男だった。
「ルーメン家から、当主名義で不快な抗議文が届いた。……小賢しい真似をして、尻尾を掴まれるとはな」
アルベールの声には怒りすらない。ただ、無能な駒を見下すような絶対的な冷たさがあった。
「我々ナハトローゼの力は、絶対でなければならん。……結果を出せぬなら、次期当主の座など、他の兄弟にいつでもすげ替えられると思え」
「っ……! も、申し訳ありません、父上! 必ずや、あのシーカーズの連中に目に物見せてやります!」
モルドレッドが床に額を擦りつけるように平伏する。
アルベールはふん、と鼻を鳴らし、そのまま背を向けて立ち去った。
一人残されたモルドレッドは、爪が手のひらに食い込んで血が滲むほど拳を握りしめた。
その血走った眼球には、もはや貴族としての矜持ではなく、追い詰められた獣の狂気が宿っていた。
「ルーメン……氷の処刑人……! 許さん、絶対に許さんぞ……!」
彼はよろよろと立ち上がり、部屋の奥にある隠し金庫へと向かう。
そこには、ナハトローゼ家が密かに管理している、危険すぎる「禁忌の古代遺物」が眠っている。
「泥臭い学者どもめ。……この王都ごと、あの遺物で飲み込んでくれる……!」
温かいシチューを囲む私たちの平和な夜の裏側で。
傲慢な貴族のプライドは、破滅へのカウントダウンを静かに始めていた。




