第74話:天敵の強襲
王都アストライアを包む『星時計の魔法陣』の光が、境界線付近では薄く、頼りなく揺れている。
石畳の隙間から外の世界の「毒」である紫色の苔が顔を出すこのエリアは、常に空気がピリピリと震えていた。
「……私のスキルを調べるためなのに。みんなにこんなところまで来てもらって、なんだか申し訳ないの」
私は背負ったリュックのストラップをぎゅっと握りしめ、隣を歩く仲間たちに視線を向けた。
今日は、持ち帰った『星鍵の断片(要石)』をより精密に解析・保存するための「特殊合金ケース」を、境界線ギリギリにある第零開発区の外部工房まで取りに行く任務だ。
「何を言ってるのよ、先輩! 先輩を守るのは、シーカーズ正規調査員、そして『先輩の忠犬』である私の義務だよ!」
「カリナ、先輩はつけなくていいよ? 今まで呼び捨てでやってきたじゃん」
「けど今はお仕事中だから! シーカーズではセレンは先輩だから」
「あと私、犬を飼った記憶はないなあ~」
「居場所をくれた恩人だから!! 気にしないで!」
と言いながらカリナが、腰に提げた『星屑の大剣』の柄を叩いて胸を張る。
「そうだよ、セレン。同期のよしみで、危ない時は私が背中を押してあげるから。……まあ、押しても1ミリ手前で止まっちゃうんだけどね」
エマが茶目っ気たっぷりに笑う。
そして、私たちの前を歩く大きな背中が、豪快に肩を揺らした。
「はっはっは! 殊勝なことだ。だがなセレン、俺のことは気にするな。採取物の解析が終わるまでの、ただの暇つぶしさ」
蒼い髪を潮風に遊ばせ、首から赤い羅針盤を提げた男――シグナム・レッドコンパスさんが、男前で渋い声を響かせる。
「シグナムさん、海の調査から帰ってきたばかりなのに。……お家でゆっくり寝てなくて、よかったの?」
「見晴らしの悪い天井を見つめてるよりは、こうして歩いてる方が性に合ってるんだよ。なあ、エマ?」
「だったら、今度私と一緒に森林遺跡の調査に行きましょうよ、シグナム先輩。生態・植物調査の素晴らしさを教えてあげますから♪」
「あそこはダメだ。木ばっかりで見通しが悪い。俺はやっぱり、水平線が見えないと落ち着かねぇんだ」
シグナムさんはそう言って笑いながら、周囲の建物や路地へ鋭い視線を配っている。
豪快に見えて、その一挙手一投足には「海の猛威」を知る者特有の慎重さが宿っていた。
カリナはそんなシグナムさんを、少し緊張した面持ちで見つめている。
(カリナちゃん、シグナムさんと会うの初めてだもんね。海の男って、なんだか圧がすごいし)
『――セレン、聞こえる? 座標、工房まであと三百メートルよ。周囲の魔力波長に異常なし。油断しないでね』
イヤーカフから、本部に残っているクロエの落ち着いた声が届く。
「……うん、わかった。クロエ、帰りにお肉買っていくね」
『はいはい、楽しみにしてるわ。』
そんな、いつもの平和なやり取り。
けれど、その安寧は、突然の「震え」によって断ち切られた。
◇ ◇ ◇
ガタガタガタッ!!
「……え?」
周囲に置かれた金属製のゴミ箱や看板、街灯が、まるで何かに怯えるように激しく震え出した。
次の瞬間、シグナムさんの赤い羅針盤が、狂ったように回転を始める。
「野郎ども、伏せろッ! 何か来るぞ!」
シグナムさんの叫びと同時に、路地裏から影が飛び出した。
「――見つけたぜ。シーカーズの『人形姫』」
「あ! あなたは……!!」
現れたのは、黒い革鎧に身を包み、不敵な笑みを浮かべる男。
Aランク星狩り、シオン・ブラックソーン。
「シオン・ブラックソーン!? 貴様、まだ王都に……!」
カリナが即座に大剣を抜く。
しかし、シオンは戦おうとはしなかった。
彼は指先を私に向け、そのスキル――『磁星の収奪』を発動させる。
「悪いな、まずは邪魔者を隔離させてもらう!」
ドォォォォンッ!!
周囲の鉄骨や放置されていた馬車が、見えない糸に引かれるように猛スピードで動き出した。
それは私と仲間たちの間に割り込み、一瞬にして巨大な金属の壁となって、カリナたちを向こう側へ弾き飛ばした。
「先輩!!」
「セレン、逃げて!!」
瓦礫の向こう側からカリナたちの叫びが聞こえる。
しかし、シオンの狙いは「物理的な攻撃」ではなかった。
「……っ!? 耳が、ぐいぐい引っ張られる……っ!」
私のイヤーカフが、強烈な力で外側へと引っ張られる。
バリアは「私への危害」には反応するが、身に着けている「物」への磁力干渉には無力だ。
ピィィィィンッ! という虚しい音を立てて、私の耳からイヤーカフが剥ぎ取られた。
それだけじゃない。
リュックの中にあった、工房で受け取ったばかりの予備の金属ケースまでもが、シオンの手元へと吸い寄せられていく。
『――セレン! 応答して! セレ……ッ』
プツン。
クロエの声が、完全に消えた。
私の世界から、一番大切な「繋がり」が失われた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
「……ははっ! もらったぜ。命綱の通信機と、大事な遺物ケース。……おい、どうした? 指示役がいなけりゃ、お前はただの案山子か?」
シオンがイヤーカフを弄びながら、勝ち誇ったように私を見下ろす。
通信が途絶えた。クロエのアドバイスも、計算も届かない。
今までなら、ここで私は泣きべそをかいて、右往左往していただろう。
けれど。
(……くっ、やられた……。私の注意不足だった。クロエが徹夜で作ってくれたイヤーカフなのに……。みんなが、私を守るために頑張ってくれているのに)
胸の奥が、熱くなるのを感じた。
悔しさが、恐怖を塗り替えていく。
瓦礫の向こうで、シグナムさんのハルバードが金属を砕く音が聞こえる。
カリナが必死に私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
「……ううん。泣いてる場合じゃない」
私はゆっくりと、腰の『星図盤の撞球杖』に手を伸ばした。
クロエの声が聞こえなくても、私のバリアは消えていない。
私が学んできたことは、私の身体の中にちゃんと残っている。
シオンの視点からすれば、その光景は「戦慄」以外の何物でもなかった。
通信を絶たれた瞬間に泣き喚くはずの少女が、一切の表情を消し(実際は必死に強がっているだけだが)、冷徹な銀の瞳で真っ直ぐに自分を射抜いてきたのだ。
「指示がないと動けないなんて……。誰が決めたの?」
私はステッキを構え、地面をコン、と突いた。
バリアの「到達拒否」が、私の足元の石畳を確かな手応えで捉える。
「……私の物、返して。お肉のメモ、それに入ってたんだから」
「……あ、あ? 何を言ってやがる……!」
シオンの顔から余裕が消える。
彼は焦ったように、周囲の瓦礫から生じた無数の鉄片やボルトを、弾丸のように私へ一斉に射出した。
「死ね! 氷の処刑人!!」
迫りくる、死の豪雨。
けれど、私は一歩も引かなかった。
「……そのまま、お返しするよ」
私はステッキで空中の「一点」を突き、反射角を固定する。
金属の弾丸が私の1ミリ手前で激突しようとする、その刹那――世界が白く弾けた。




