第73話:チェックメイト
「……夜中に食べるクッキーって、どうしてこんなに罪深い味がするのかな」
深夜の王都。
境界探査局本部の地下深く、第零開発区のさらに奥に設けられた隠しシェルターの中で、私はサクサクとクッキーをかじっていた。
「あんたねぇ……自分の命が狙われてるかもしれないっていうのに、随分と呑気ね」
隣で複数のモニター画面を操作しながら、クロエが呆れたようにため息をついた。
フェリクさんの予見通り、今日の深夜、ナハトローゼ家に雇われたと思われる「星狩り」の隠密部隊が本部に侵入してきたのだ。
目的は『星鍵の断片(要石)』のデータ、あるいはそれを見つけた私の誘拐だろう。
結界内では、私のバリアスキル『孤星の絶対距離』はオフになっている。
今の私は、ちょっと運動神経の悪い普通の女の子だ。
素直に言えば戦力外である、ほんと、すんません。
だからこそ、こうしてクロエと一緒に安全なシェルターに隔離され、モニター越しに事態を見守っている。
「だって、クロエが淹れてくれた紅茶とクッキー、美味しいんだもん。……泥棒さんたち、大丈夫かな? 私たちの本部って、けっこう危ないからくりがいっぱいあるよね」
「ふふっ、そうよ。重要な研究物がある場所の警備が、ただの鍵だけなわけないじゃない」
クロエは自信満々に笑い、モニターの一つを指差した。
◇ ◇ ◇
画面の中では、黒装束に身を包んだ星狩りたちが、本部の暗い廊下を忍び足で進んでいた。
『おい、静かにしろ。相手は学者ばかりの温室だ。万が一見つかっても、結界内でスキルが使えないモヤシどもなど、俺たちの敵ではない』
リーダー格の男がそう嗤い、保管庫への扉に手を掛けた――瞬間だった。
バキィィィンッ!!
『な、なんだっ!? ぐわあっ!!』
扉の裏に仕掛けられていた純粋な物理ギミック――『超高張力スプリングネット』が弾け飛び、先頭の数人が一瞬で天井近くまで吊り上げられた。
『クソッ、罠だ! 魔法の気配なんてなかったぞ!?』
『ゲホッ、ゴホッ! なんだこの煙……目が、目がァァッ!』
続いて床のダクトから噴き出したのは、魔力を一切含まない『圧縮トウガラシガス』だった。
スキルに頼りきり、魔力感知でしか危険を察知できない未熟な星狩りたちにとって、純粋な化学と物理法則によるトラップは完全に想定外の代物だ。
パニックに陥る星狩りたちの前に、重厚な足音を響かせて三つの影が現れた。
『はっはっは! 結界内で俺たちに挑むとは、いい度胸をしているな!』
大盾を構えて先頭に立ったのは、豪快な笑い声を上げるオスヴァルドだった。
魔法が使えなくとも、日頃から重い防具で鍛え上げられた彼の純粋な膂力は、生半可な星狩りを凌駕している。
『先輩たちの邪魔はさせない! 私の剣は、結界内でも重くて痛いぞ!』
続いて飛び出したカリナが、身の丈ほどもある『星屑の大剣』を力任せに横薙ぎに振るう。
元・フリーの傭兵として、力ではなく泥臭い技術で生き抜いてきた彼女にとって、スキルの使えない乱戦はむしろお手の物だ。
大剣の平で強打された星狩りが、悲鳴を上げて壁に吹き飛ぶ。
『……私が居た頃より随分と星狩りも堕ちたものだ。現場を舐めるなよ、ヒヨッコども』
とどめとばかりに、ケプラー副局長が地鳴りのような声と共に歩み出た。
ギリリッ、ガリガリッ! と、彼の左腕の『ゼンマイ駆動式・からくり義手』が重厚な機械音を鳴らす。
ケプラー副局長が義手で星狩りの剣を掴み、純粋な物理トルクでぐしゃりとへし折った。
『ヒィィッ!? ば、化け物……っ!』
『退け、退けェ! 結界の外へ出ろ! 外に出てスキルさえ戻れば、こんな奴ら……!』
からくりと物理の暴力に完全に戦意を喪失した星狩りの残党たちは、這うようにして本部の出口へと逃げ出していった。
◇ ◇ ◇
「わぁ……みんな、すごいね。」
モニターの前で、私は感心のあまり拍手をした。
クッキーをもう一枚口に放り込む。
「ええ。でも、これで終わりじゃないわ。フェリクさんの『盤上遊戯』は、ここからが本番よ」
クロエがニヤリと笑い、別のモニターへと画面を切り替えた。
そこには、王都の外縁部――『星時計の魔法陣』の光が届かなくなる境界線の風景が映し出されていた。
逃げ出した星狩りたちは、フェリクさんが意図的に封鎖を解いていたルートを通って、一直線に結界の外へと誘い出されていた。
『ハァ、ハァ……抜けたぞ! ここから先は結界外だ!』
『よし、俺たちのスキルが戻った! さあ、ここから本部を木端微塵に……』
境界線を越え、星狩りたちが醜い笑みを浮かべて振り返った、その時だった。
――パンッ! パンパンッ!
月明かりに照らされた高台から、不可視の弾丸が正確無比に降り注いだ。
アリアちゃんの狙撃だ。
魔力を纏った弾丸は、星狩りたちの武器と足をピンポイントで撃ち抜き、一瞬にして彼らをその場に縫い留めた。
『ぐああっ!? な、なんだと……!?』
崩れ落ちた星狩りたちの周囲を、エマをはじめとするフィールドワーク部隊の面々が、音もなく包囲する。
そして、その輪の中心に、優雅な足取りでフェリクさんが歩み出た。
彼の手には、状況を記録する『魔導カメラ』が握られている。
『本局への不法侵入、窃盗未遂、および逃走中の本局に対する明確な攻撃意思を、映像記録と共に確認しました』
フェリクさんは、月の紋章のネクタイを整えながら、倒れ伏す星狩りたちを見下ろした。
その瞳には、容赦のない「殲滅者」の冷酷な光が宿っている。
『これより、境界探査局は王都法に基づき、『正当防衛』による制圧行動を完了とします。……貴族の皆様への素晴らしいお土産ができましたね』
完璧な詰みだった。
結界内では物理ギミックで圧倒し、結界外では法と証拠で完封する。
シーカーズの知恵と技術は、外の暴力を見事に打ち砕いたのだ。
「……フェリクさん、また笑顔で怖いこと言ってる。でも、みんな怪我がなくてよかった」
私はほっと息を吐き、最後の一口のクッキーを飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
王都から遠く離れた結界外の闇の中で、一人の男が通信用の魔導具を握り潰していた。
「……なるほど。全滅か」
Aランクの星狩りであり、今回の襲撃のリーダー格であるシオン・ブラックソーン。
彼は闇の中で、ギラリと猛禽のような目を細めた。
「温室育ちの学者と舐めていたが、随分と底意地の悪いからくりと、優秀な盤面を持っているらしい」
彼は腰に提げた短剣に触れ、低い声で嗤う。
「……なら、搦め手は終わりだ。俺の『磁星の収奪』で、あの氷の処刑人を直接引きずり出すとするか」
王都を包む暗雲は、まだ晴れてはいなかった。
最悪の天敵が、私に狙いを定めて動き出していることを、私はまだ知らない。




