第69話:崩壊する宇宙と真実のマップ
ガシャァァァンッ!!
見えないガラスのような床が砕け散り、巨大な星の海が音を立てて崩壊していく。
公転していた魔力結晶たちが軌道を外れ、隕石のようにバラバラと降り注ぐ。
「いやあああああっ!!」
私は小箱から取り出した『星鍵の断片』をしっかり抱え込み、崩れゆく星の海を全力で駆け出した。
……と言っても、こんな空間で結界外の私がまともに走れるわけがない。
足場が崩れるたびに体が落下し、次の瞬間には『孤星の絶対距離』が「1ミリ手前」で強烈な反発力を生み出す。
ぽよん! ぽよん! ぽよーんっ!
「ひえええっ、目が、目が回るぅぅっ!」
私は悲鳴を上げながら、崩壊する宇宙空間をスーパーボールのようにバウンドし続けた。
どんなに巨大な結晶が降ってきても、見えない壁がすべて弾き飛ばしてくれる。
実際は、三半規管がぐちゃぐちゃになって涙と鼻水で顔がひどいことになっているのだけれど。誰にも見られていないのが救いだった。
『セレン! 前! ゲートが閉まるわ!』
イヤーカフからのクロエの叫びに顔を上げる。
星の海の端、私が入ってきたあの黒い石の扉が、ゆっくりと閉ざされようとしていた。
「……お願い、間に合ってぇぇっ!」
私は最後のバウンドの勢いを利用して、閉まりかけの扉の隙間へと弾丸のように飛び込んだ。
ドォォォンッ!
私の背後で、重厚な扉が完全に閉ざされた。
直後、背中側の扉から凄まじい衝撃と地鳴りが伝わってくる。
星の海が完全に崩落し、永遠に閉ざされた音だった。
◇ ◇ ◇
「……はぁ、はぁ。……たすかったぁ……」
私は暗い石の床に転がったまま、ぜえぜえと息を吐いた。
バリアのおかげで怪我は一つもないけれど、精神的な疲労は限界を突破している。
『……セレン! 無事!? 怪我はない!?』
「うん……クロエ、無事だよ。本当のお星様にはならずに済んだみたい」
私はゆっくりと体を起こし、周囲を見回した。
そこは、祭壇の部屋に入る前にいた「巨人の墓場」。
家ほどもある人間の頭蓋骨や、巨大な獣の骨が積み重なる奈落の底だ。
けれど、何かが違った。
「……あれ?」
腰に提げていた『星糸の巻尺』を見る。
さっきまで狂ったように回転したり止まったりして、完全にバグっていた銀色の糸。
それが今は、しゅるり、と静かに一定のテンポで巻き取られていた。
『……魔導盤の数値が、一気に正常値に戻ったわ。空間の波長の歪みも、認識阻害の呪いも、完全に消滅したみたい。セレン、あんたが「要石」を外したからよ』
クロエの安堵したような声が響く。
「そっか。……じゃあ、もう道がぐちゃぐちゃに見えたりしないんだね」
『ええ。それに、周囲の魔力反応も完全に沈黙したわ。もう、骨の化け物たちが襲ってくることもないはずよ』
クロエの言葉通り、ランタンの光を向けても、積み重なる巨人骸骨や骸山羊たちはピクリとも動かなかった。
空洞の眼窩に宿っていた青白い炎も消え去り、ただの巨大な「化石の山」へと戻っている。
「……よかった。本当にお化けさんたち、眠ってくれたんだ」
私はホッと胸を撫で下ろし、真っ暗な奈落の底を、来た道へと向かって歩き始めた。
◇ ◇ ◇
帰り道は、嘘のように静かだった。
行きでは足がすくんだ巨大な石棺の斜面も、ただの急な階段としてゆっくり登っていく。
バリアがあるから手を突いて登ることはできないけれど、『星図盤の撞球杖』を杖代わりにして、足元の摩擦を調整すれば難なく進めた。
『それにしても、セレン。あんた、とんでもない大発見をしたわよ』
通信機越しに、クロエが興奮した声で語りかけてくる。
『カペラ局長が言っていた、「かつて星が落下して、世界が歪んだ」っていう伝承。あれは本物の隕石じゃなくて、この暴走した古代のシステム……あるいは大罪人たちそのもののことだったのよ』
「……星が落ちたって、お星様がドカンって降ってきたわけじゃなかったんだ」
『そうよ。だから古代の人々は、その影響を恐れて地中深くに封じ込め、物理空間から完全に切り離したの。それが「この世ではない座標」であり、王都の星図にすら載っていなかった理由よ』
私は中層の広場、車輪骸骨たちが自滅して粉々になった通路を歩きながら、クロエの解説に「ふむふむ」と耳を傾けた。
『過去の探検隊が恐れた、狂わす死体や、道が消える迷宮。あれはただの「表層の防衛システム」に過ぎなかったの。一番の真実は、あの黒い扉の奥にあった』
「うん、すごく綺麗なプラネタリウムだったよ。……お外の世界より、ずっとお星様が近かった」
『中層の壁画にあった、「見えざる檻にて、永遠の静寂を与えん」っていう言葉。あれは、お墓のことなんかじゃなかった。音も空気もない、「星の海(疑似宇宙)」そのものを指していたのよ』
クロエの声には、未知の歴史を紐解いたシーカーズとしての純粋なロマンが溢れていた。
「……へえ。じゃあ、怖いお化け屋敷の奥に、すっごく綺麗なプラネタリウムが隠してあったんだね。古代の人って、すごく大掛かりなドッキリをするんだね」
「お化け屋敷??墓地なんだけど……まぁ、いいか。そういうこと……あんたにかかると、神話のロマンも形無しね。」
「ん?今何か諦めたでしょ??」
クロエが呆れたように笑う。
その笑い声を聞くと、私の心にこびりついていた恐怖も、少しずつ溶けていくような気がした。
「ま、いっか」
壁からトゲトゲの矢が飛んできた通路も、今ではただの静かな石畳だ。
呪いの動力が消え、完全に機能停止したこの遺跡は、もう誰の認識も狂わせることはない。
『この真実のマップと、星律魔導式のデータ……。セレン、あんた歴史を覆す大発見をしたのよ。カペラ局長、これ見たら嬉しすぎて倒れるかもね』
「そっか。……局長さん、また私の頭をワシャワシャ撫でてきそう。……幽霊になる準備しなきゃ」
私は冗談めかして呟きながら、ようやく地下墓地の入り口、微かに地上の光が差し込む石段まで戻ってきた。
そこには、王都へと繋がる転送陣のビーコンが、静かに青い光を放って待っていた。
「……ねえクロエ。私、もう帰っていい? お仕事、いっぱい頑張ったよ」
『ええ、もちろんよ。完璧な調査だったわ、セレン』
「……早くカリナのハチミツパイ食べたいし。お風呂入って、お布団でぐっすり寝たいな」
『ふふっ、はいはい、お疲れ様。転送陣のビーコンを起動して。こっちでも温かいお茶を淹れて待ってるから』
「うんっ!」
私はビーコンの前に立ち、システムの起動を待つ。
世界で一番ささやかな願いを叶えるための、少しだけ怖い冒険。
(……温かいスープと、甘いパイ。……それと、みんなの顔)
視界が白銀の光に包まれる瞬間、私は見えない壁の中で、最高に幸せな笑顔を浮かべていた。




