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第7話:神話の防衛機構

梅干しのおにぎりで無事にエネルギーを補給した私は、古代遺跡の奥へと足を踏み入れた。


神話の時代に作られたというその神殿跡は、蔦が絡まり、分厚い埃が積もっている。


「うーん……埃っぽくてやだなぁ。結界の外に出た瞬間に『空気のフタ』を閉じといてよかった」


私の常時発動スキル『孤星の絶対距離(アストラルリジェクト)』のおかげで、カビ臭い空気も埃も、私の肌の1ミリ手前で完全に弾かれる。

息苦しさもないし、服が汚れることもない。


ヒュンッ!


突然、頭上の暗がりから巨大なギロチンの刃が落ちてきた。

侵入者を排除するための古代のトラップだ。


「わっ、危ない。はい、横にツルッとね」


私に直撃する1ミリ手前で、刃の落ちる勢いを少しだけ横にスライドさせてあげる。


ガァァァァンッ!!


軌道を逸らされた巨大な刃は、そのまま壁の石柱に激突し、派手な音を立てて粉々に砕け散った。

相変わらず、勝手に自滅してくれるので助かる。


私は瓦礫をヒョイヒョイと乗り越えながら、さらに奥へと進んでいく。


やがて、開けた広間に出た。

そこには、巨大な『星の天球儀』を掲げた女神の石像が静かに佇んでいた。


「……これ、王都の神殿にある天球儀に似てるな」


それを見上げた瞬間、ふと、4年前の記憶が蘇った。


◇ ◇ ◇


この国では、15歳になると『星の天球儀』から、一人一つだけ『星の刻印(固有スキル)』を授かる成人の儀が行われる。


「やった! 俺、『彗星の瞬動(コメット・ステップ)』だ!」

「私は『双子星の魔弾(ジェミニ・バレット)』! これで特級騎士も夢じゃないわ!」


同級生たちが華やかで強力なスキルを授かり、歓喜の声を上げる中。

私の手に刻まれたのは、『孤星の絶対距離(アストラルリジェクト)』という聞いたこともないスキルだった。


絶対安全領域である『星の静寂(アストラルサイレンス)』の結界内では、スキルは強制的に無効化される。

だから、その時私に何が起きたのか、すぐには分からなかった。


悲劇が起きたのは翌月。

学校の課外授業で、初めて結界の外縁部にある観測施設へ行った時のことだ。


結界のゲートを一歩出た瞬間、私の全身を見えない薄氷のようなバリアが覆った。

それがシステム『到達拒否』の強制起動だった。


お昼休み。

私はクロエが作ってくれた、成人の儀のお祝いの温かいスープを飲もうとした。


けれど、マグカップを傾けた瞬間、スープは私の唇の1ミリ手前で見えない壁に弾かれ、バシャッと地面にこぼれ落ちてしまった。


「え……?」


私は焦って、こぼれたスープを拭こうとした。

でも、ハンカチを持つ指先は布から1ミリ浮いていて、うまく掴めない。


「セレン、どうしたの!?」


心配して駆け寄ってくれたクロエに、私は泣きそうになって抱きつこうとした。


ドンッ。


けれど、私の体はクロエに触れる1ミリ手前で、彼女の体を無情にも弾き飛ばしてしまった。


「どうして……っ、私、ただ普通にご飯を食べて、クロエと手を……!」


結界の外では、誰も私に触れられない。

私も、誰にも触れられない。

圧倒的な隔絶。世界から自分だけが切り離されたような、孤独な牢獄。


その直後だった。

外郭都市の防壁を越えて、はぐれ魔物が施設に乱入してきたのだ。


パニックになり逃げ惑う生徒たちの中で、立ち尽くしていた私に向かって、巨大な魔物が牙を剥いて突進してきた。


(ああ、食べられちゃう……)


そう思って目を閉じた瞬間。


ドゴォォォォォォンッ!!


魔物は私の鼻先1ミリの空間に激突し、その凄まじい突進の勢いを丸ごと自分に跳ね返され、勝手に首の骨を折って即死した。


どんな攻撃も届かない無敵の盾。

そして、日常のすべてを拒絶する致命的な呪い。


あまりの出来事に心が壊れそうになった私は、自分の感情にフタをした。


「……ま、いっか」


悲しみを隠すように平坦な声で呟き、無表情を作った。無理やりに。

周囲から「感情を持たない」と呼ばれるようになったのは、この日からだった。


◇ ◇ ◇


王都・第一学術区にある『境界探査局シーカーズ』本部。

局長室では、青白く光る魔力モニターの前で、オスヴァルドが頭を抱えていた。


「おいおい局長……なんだよこのデータ。あの『火毒の嵐竜』が、自分のブレスの熱と勢いで勝手に黒焦げになって自滅してるじゃねえか……」


彼が見ているのは、結界の外でセレンが戦った(立っていただけの)戦闘ログだ。


カペラ局長は、コーヒーカップを片手に妖しく微笑んだ。


「ええ。相変わらずのデタラメっぷりね。彼女の『孤星の絶対距離』は、どんな異常な熱量も質量も、完全に『拒絶』して反発させる。最強の盾どころか、世界そのものをバグらせるイレギュラーよ」


「あいつ、マジでバケモンですね……。結界の中のアパートじゃ、よく段差でつまづいて転んでる、ただのドジっ子なのに」


オスヴァルドは冷や汗を拭いながら、信じられないというように首を振る。

彼自身、強力な炎系のスキルを持つ実力者だが、セレンの規格外さにはいつも肝を冷やしていた。


「だからこそ、私たちシーカーズには彼女が必要なのよ。オスヴァルド君」


カペラ局長の声が、ふっと真剣なトーンに変わる。


「私たちの最終目標……未踏領域の最深部にある『神の玉座』。あそこは、強力なスキルや膨大な魔力を持つ者ほど、その力に当てられて自滅してしまう絶対不可侵の深淵よ」


オスヴァルドが息を呑む。


「面白いっすね。てことは少なくともこの国の人間は15歳を迎えてしまたっら最後、そこに《《絶対到達できない》》ってわけだ」


『神の玉座』は、神話の時代の真実が眠るとされる、人類未踏の最危険地帯だ。


「でも、あらゆる事象を“拒絶”する彼女のバリアだけは別。世界で唯一、あの恐ろしい最深部でさえ“お散歩感覚”で歩けるのよ」


カペラはモニターに映るセレンの現在位置を指差した。


「彼女のあのハズレスキルは、人類が神の領域へ至り、この世界の謎を解き明かすための唯一の希望(鍵)なの」


◇ ◇ ◇


「あ、これだ」


カペラ局長たちが重々しい話をしている頃。

私は遺跡の最深部で、淡く光る小さな箱形の古代遺物アーティファクトを発見した。


目的の物を手に入れて、今日のフィールドワークは無事終了だ。


「よいしょっと」


私は両手で箱を持ち上げようとした。

しかし、当然ながら私の指先は箱から1ミリ浮いている。


ツルッ。


「あわわっ」


見えないバリアに挟まれた箱は、スイカの種のようにツルツルと滑ってしまい、うまく持ち上げられない。


「うーん……ツルツル滑って持ちにくいなぁ。落として壊しちゃったら怒られちゃうし」


私は箱と格闘しながら、イヤーカフのマイクに向かって呼びかけた。


「ねえクロエ、私、エコバッグ持ってたっけ? これ、手で持つの難しいんだけど」


『……あのねぇ、セレン。神話級の遺物をスーパーの買い物みたいに言わないでよ』


通信機の向こうで、クロエが深くため息をつく音が聞こえた。


「だってぇ、滑るんだもん。あ、そうだ。リュックの中のお弁当箱、空っぽだから、その横の隙間に入れちゃおっと」


『遺物にお弁当の匂いが移ったら、カペラ局長が泣くわよ……。まあいいわ、早く帰ってきなさい。今日はセレンの好きな、温かいシチューにしておくから』


「ほんと!? やったー!」


シチュー!

結界の中なら、スープもシチューもこぼさずに、美味しく食べられる。


私はツルツル滑る箱をなんとかリュックに押し込むと、足取りも軽く、平和で温かい日常が待つ王都への帰路についた。

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