第67話:巨人骸骨
情けない悲鳴が、暗黒の縦穴に吸い込まれていく。
足場にしていた巨大な石棺が、骸山羊との激突の余波で崩壊し、私は瓦礫と一緒に真っ逆さまに落下していた。
普通の人なら、死を覚悟する高さ。
でも、私の周囲には神話時代の理を刻んだ『古代の防衛機構』が常に息づいている。
――『ピィィィンッ!!』
奈落の底。
落下速度が最大に達した私の身体が「床」に激突した瞬間、鼓膜を劈くような硬質の音が響いた。
激しい反発。
私の身体を包む『孤星の絶対距離』が、底なしの闇の底に横たわる石の地面を「一ミリ手前」で烈しく拒絶したのだ。
ドォォォンッ! と衝撃波が周囲の塵を吹き飛ばし、私は巨大なスーパーボールのように上空へと跳ね返った。
そのまま、暗闇の中で何度も何度もバウンドを繰り返す。
「ふえっ、目が回るぅ……どっちが上で、どっちが下ぁ……」
三半規管がパニックを起こし、私は空中でもがく。
バリアのおかげで痛みはゼロ。けれど、内臓がふわふわと浮き上がる不快な感覚までは防いでくれない。
ようやく、反発が収まり、私の身体は「床」の上で静止した。
1ミリ浮いた状態で。
「……はぁ、はぁ。……たすかった。……クロエ? クロエ、聞こえる?」
イヤーカフに指を添える。
けれど、返ってくるのは『ザザッ……ピーッ……』という、鼓膜を刺すようなノイズだけだった。
「クロエ……? 返事して、お願い。……ひとりぼっちは、いやだよ……」
恐怖がぶり返し、声が震える。
腰に提げた『星糸の巻尺』に目を向けると、銀色の糸が狂ったように高速で回転し、今度はぴた、と止まってしまった。
深層の空間歪曲が強すぎて、距離の計測が完全にバグってしまったらしい。
暗闇。
絶対的な、死の静寂。
私は震える手で『星糸の巻尺』のランタン機能を最大に強めた。
青白い光が、ゆっくりと周囲をなぞっていく。
「……あ。……なに、これ」
光が捉えたのは、岩でも石棺でもなかった。
それは、家一軒分はある巨大な「人間の頭蓋骨」だった。
空洞になった巨大な眼窩。
その横には、巨木の幹ほどもある「腕の骨」が、山をなして積み重なっている。
ここは地下の墓地なんて可愛いものじゃない。
神話の時代、あるいはそれ以前に存在したであろう「巨人たちの墓場」だ。
「……おおきい。……こんなの、王都の教科書にも資料にも書いてなかった」
あまりの光景に、私は一瞬、恐怖を忘れて呆然とした。
そして、私の心の中の「シーカーズ(調査員)」が、小さな火を灯した。
(ああ、そうだ。……採取、しないと。誰も見たことがない、巨人の骨……)
「……よし。……ハチミツパイのために、お仕事、頑張る」
私はカチカチの無表情に戻ると、震える指で『波長同調式・転写レンズ』を構えた。
レンズ越しに魔力の光を照射し、巨人の骨に刻まれた不気味な紋様を記録していく。
(……この骨、普通の骨じゃない。……なんか、魔導回路みたいなのが表面に浮き出てる)
私は『波長同調式・ピンセット』を取り出し、骨の表面に付着していた、星のように輝く微細な結晶を慎重に摘み取った。
そのまま、クロエが同調させてくれた採取用の硝子瓶へと落とし込む。
もしかして。
私は、この場所に到達した人類第一号だ。
少なくともシーカーズでは第1号だ。
その事実が、少しだけ私の背中を押してくれた。
その時だった。
――ゴリッ……。
ズズズ……。
背後の「山」が、動いた。
通路だと思っていた巨人の肋骨の隙間から、巨大な「指の骨」が這い出してきたのだ。
「……ひっ」
ランタンの光を向けると、そこには四つん這いで這い回る、骨だけの巨人――『巨人骸骨』が姿を現していた。
その大きさは、さっきの骸山羊の比ではない。
家屋そのものが襲いかかってくるような、圧倒的な質量の暴力だ。
巨人は音もなく、その巨大な拳を、私の頭上から振り下ろした。
――ギシィィィィンッ!!!
「……いたくない。……全然、いたくないもん!」
私は必死に自分に言い聞かせながら、しゃがみ込んだ姿勢で衝撃を耐える。
巨人の一撃は、私の1ミリ手前で、まるで目に見えないダイヤモンドの盾に阻まれたかのように火花を散らして止まった。
巨人は首をかしげるように、何度も何度も拳を叩きつけてくる。
そのたびに、足元の石棺の残骸が砕け、凄まじい振動が響く。
「……もう。……調査の邪魔、しないで」
私は涙目のまま、『星図盤の撞球杖』を引き抜いた。
巨人の次の拳が振り下ろされる瞬間。
私はステッキの先端で、巨人が体重を支えている巨大な脛の骨をトン、と突いた。
瞬時に、巨人と地面との間の摩擦がゼロへと書き換えられる。
「オ……オォォ……ッ!?」
巨体はバランスを崩し、氷の上で滑るようにズルリと姿勢を崩した。
そこへ、巨人が私を押し潰そうとしている「下向きの力」に、ステッキの角度を合わせて「横向きのベクトル」を足してあげる。
「……はい、そのままお返しするよ!」
ドゴォォォォンッ!!
自らの凄まじい怪力を、そのまま斜め後ろへと反射された巨人は、まるでひっくり返ったカメのように無様に吹っ飛んだ。
巨体は背後の骨の山を派手に崩しながら激突し、複雑な構造の骨格が自重に耐えきれず、ガラガラと音を立てて崩壊していく。
「……ふぅ。お片付け、ひとつ完了」
私はステッキを腰に戻し、乱れた銀髪を整える(実際には一欠片の埃もついていないけれど)。
その瞬間、イヤーカフのノイズの隙間から、一瞬だけ鋭い声が割り込んできた。
『……レン! 逃げ……ザザッ……そこ……座標が……「この世」じゃな……ッ!!』
「クロエ!? 座標が、なに!?」
通信は再びノイズに飲まれた。
ランタンの光の向こう。
巨人の骨の山が崩れた奥に、不自然なまでに「平らな」黒い石の祭壇が見えた。
そこには、今まで見てきたアンティークな遺跡とは全く異なる、無機質で、冷徹な、星の術式が明滅していた。
私は恐怖で足をガクガクさせながらも、吸い寄せられるようにその祭壇へと歩を進める。
王都へ帰るための、あるいはこの呪いを解くための「鍵」が、そこにあるような気がして。
「……クロエ。……怖いけど、いってくるね」
私はランタンの光を握りしめ、本当の深淵へと足を踏み入れた。




