第66話:恐怖のスーパーボール
ガアアアアアッ!!!
闇の底で、巨大な獣の骨『骸山羊』たちが一斉に咆哮を上げた。
ねじ曲がった太い角。巨大な骨格。
青白い眼光が、完全に私を「獲物」として捉えている。
「……い、いやあああああっ!!」
私は『星図盤の撞球杖』を構えていたことすら忘れ、くるりと背を向けて一目散に走り出した。
無理だ。あんな大きなワンちゃん?? (骨だけど)、絶対に勝てるわけない。
食べられちゃう。噛み砕かれちゃう。
恐怖で頭の中が真っ白になった私は、自分が無敵のバグスキルを持っていることなんて、すっかり忘却の彼方に投げ捨てていた。
『ちょっとセレン!? 逃げる必要ないでしょ! あんたのバリアなら絶対に抜かれないんだから、落ち着いて対処しなさい!』
イヤーカフからクロエの焦った声が響くが、今の私にはお母さんに怒られている子供のようにしか聞こえない。
「むりむりむり! 怖いもん! 怖いもんは怖いもん!!」
私はランタンのわずかな光だけを頼りに、巨大な石棺の上を無我夢中で駆け抜ける。
しかし、ここは足場の悪い地下墓地の深層。
パニック状態の私が、まともに走れるはずがなかった。
「……あっ」
ガクッ。
自分の足が見事に空回りし、私は前のめりに盛大に転倒した。
――普通なら、ゴツゴツとした石棺の表面に顔面から激突し、大怪我をしているところだ。
しかし、ここは結界外。
何度も言うけど、私の身体を覆う『孤星の絶対距離』は、どんな時でも私から1ミリの空間を完全拒絶する。
ぽよんっ!
「……ひゃっ!?」
地面に激突する一ミリ手前で、凄まじい反発力が発生した。
転んだ勢い(運動エネルギー)をそのまま地面から弾き返された私は、まるでゴムまりかスーパーボールのように、暗闇の中を斜め上へとバウンドしたのだ。
ぽよん! ぽよーん! ぽよんっ!
「あわわわっ! 止まらないぃ!」
私は悲鳴を上げながら、巨大な石棺の上をボールのように跳ね回りながら逃げ続けるという、最高にシュールなドジっ子逃走劇を展開することになった。
傍から見れば、一切の表情を変えない銀髪の美少女が、謎の超軌道で高速バウンドしながら暗闇を移動しているように見えるだろう。
怖すぎる。お化けよりも私のほうがよっぽど異常な存在だ。
◇ ◇ ◇
ぽよんっ、と大きく跳ねた後、私はようやく足から着地した。
しかし、そこは逃げ道のない行き止まりだった。
「……あ。道が、ない」
ランタンの光が照らしたのは、巨大な石棺の端。
その先は、どこまで続いているのかもわからない、本当の「奈落の底」だった。
『セレン! 後ろ!』
クロエの叫びと同時に、背後から地響きが迫る。
振り返ると、私を追いかけてきた骸山羊たちが、じりじりと半円状に包囲網を敷いていた。
青白い眼光が、逃げ場を失った私を見下ろしている。
「……うう。もうだめ、食べられるぅ……」
私は恐怖のあまり、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。
目をきつく瞑り、ガタガタと震える。
ガアアアアッ!!
先頭の骸山羊が、巨大な角を突き立て、私を串刺しにしようと全力で飛びかかってきた。
轟音と共に、家屋のような質量の骨が私に激突する。
――ギシィィィィンッ!!!
鼓膜を劈くような、金属同士が軋む不快な激突音。
火花が散り、強烈な衝撃波が周囲の粉塵を吹き飛ばす。
「……ひっ!?」
私は思わず首をすくめるが、痛みはどこにもない。
骸山羊の巨大な角は、しゃがみ込んだ私の頭上で、見えない硬い壁にピタリと止められていた。
『……いい加減にしなさい!』
イヤーカフから、鼓膜を震わせるほどの大音量でクロエの怒声が響いた。
それはまさに、オカンがダダをこねる子供を叱りつけるような、絶対的な威厳を持った声だった。
『あんたは、世界で一番硬い女の子なの! 相手の力を利用して、さっさと弾き飛ばしなさい! 王都でハチミツパイが待ってるんでしょ!』
その声が、パニックになっていた私の脳みそに冷や水をぶっかけた。
「……そ、そうだ。私、バリアあるんだった……!」
私は涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げ、腰に差していた『星図盤の撞球杖』を震える手で引き抜いた。
◇ ◇ ◇
「……く、靴裏……ツルツルになれぇぇっ!」
私は立ち上がりながら、ステッキの先端で足元の石棺を思い切りトン、と突いた。
バリアの波長が足元から広がり、骸山羊たちが踏みしめている地面の摩擦係数を瞬時にゼロへと書き換える。
「ギャウッ!?」
踏ん張りを失った巨大な骸山羊たちは、自らの凄まじい突進の勢いそのままに、氷の上のようにツルツルと滑り出した。
巨大な質量のバケモノたちが、制御不能のまま私に向かって滑ってくる。
私はステッキを構え、一番手前に迫った骸山羊の側面に、ステッキの先端を合わせた。
「お、お返し……ドーン!!」
ステッキを通じて、バリアが受け止める反発の反射角を少しだけ横方向――つまり、「奈落」の側へと誘導する。
ドゴォォォォンッ!!!
骸山羊は、自らの突進エネルギーを100%そのまま反射され、巨大な砲弾のような勢いで弾き飛ばされた。
横に滑らされた巨体は、隣で滑っていた別の骸山羊に激突。
ビリヤードのブレイクショットのように、巨大な骨の塊が次々と玉突き事故を起こす。
メシャァッ! ガラガラガラッ!
凄まじい衝突音と共に、骸山羊たちは絡み合いながら、石棺の縁から暗黒の奈落へと真っ逆さまに落ちていった。
静寂の底へと、巨大な骨が落ちていく音が遠ざかっていく。
「……ふぅ。や、やったぁ……」
私はへなへなと、その場にぺたりと座り込んだ。
怖かった。本当に怖かった。お家に帰ってクロエの作った温かいスープが飲みたい。
『はぁ……心臓に悪いわ。でも、よくやったわセレン。やっぱりあんたの「環境ハック」はデタラメね』
通信機越しのクロエも、大きく安堵の溜息を吐いている。
「えへへ……クロエが怒ってくれたから……」
私が少しだけ笑みを浮かべた、その時だった。
ピキッ……。
ピキピキピキッ……!!
お尻の下から、不吉な音が鳴った。
先ほどの骸山羊の凄まじい猛撃と、それを反射したエネルギーの反作用。
何百年も手入れされていない古代の巨大石棺の屋根(足場)が、その衝撃に耐えきれず、限界を迎えていたのだ。
『……セレン、足元……! 波長が崩壊してる!』
クロエの切羽詰まった声。
私が「え?」と間抜けな声を上げた瞬間。
ズドドォォォォンッ!!!
足元の巨大な石の床が、爆発したように崩落した。
バリアは「外部からの干渉」を防ぐが、「足場がなくなることによる落下」までは防いでくれない。
「あ、れぇぇぇぇぇ……っ!?」
私は巨大な石棺の瓦礫と一緒に、ランタンの光すら届かない、さらなる深い深い「本当の底」へと真っ逆さまに落ちていくのだった。




