第60話:昇格面談
祝賀会のバーベキューから数日後の、静かな夜。
アパートのリビングでは、カリナが山積みのノートと睨み合いながら、呻き声を上げていた。
「うう……ダメだ。また古代語の文法が頭から抜け落ちちゃった……」
「大丈夫だよ、カリナ。温かいハーブティー淹れたから、少し休んで」
私がマグカップを直接手渡すと、カリナは「ありがとう、セレン」とそれを受け取り、小さくため息をついた。
明日はついに、カリナの『正規調査員・昇格面談』の日だ。
「あんたの筆記の成績はギリギリ赤点回避ってところだけど、実技と熱意は誰よりも証明されてるわ。自信持ちなさい」
向かいの席で魔導具のメンテナンスをしていたクロエが、眼鏡を光らせながら励ます。
「うん……。でも、カペラ局長たちを前にしたら、緊張で全部忘れちゃいそうで……」
孤児院育ちで、ただ剣を振るうことだけが価値だと信じてきたカリナにとって、自分の知識と経験を言葉で証明するこの面談は、どんな凶悪な魔獣と戦うよりも恐ろしい試練なのだ。
私はカリナの背中に手を回し、ぽんぽんと優しく叩いた。
「カリナなら絶対大丈夫。私たちが保証するよ」
◇ ◇ ◇
翌朝、シーカーズ本部の厳粛な特別応接室。
重厚な木扉の向こう側で、いよいよ運命の面談が始まろうとしていた。
「ねえ、ちょっと見えないわよ、オスヴァルド」
「押すなクロエ、バレちまうだろうが」
「……ん。静かに」
扉のすぐ外では、私とクロエ、オスヴァルド、アリアちゃん、そしてエマが、壁に耳をぴったりとくっつけて中の様子を盗み聞きしていた。
応接室の中には、カペラ局長、カノープス先生、そしてフィールドワーク部隊統括責任者のフェリク先輩が並んで座っているはずだ。
『それでは、カリナさん。私から最初の質問を』
扉越しに、フェリク先輩の穏やかで知的な声が聞こえてきた。
『前回の見習い面接では、極限状況下で「調査を中止し、生きて帰る」と素晴らしい答えを出してくれましたね。では、さらに問います。もし遺跡の深部で、頼みの綱であるあなたの「星屑の大剣」が破壊され、固有スキルが完全に封じられたとします。その上で強大な魔獣に追い詰められた場合、あなたは前線の調査員として、どうやって仲間とデータを守り抜きますか?』
少しの沈黙。
やがて、カリナの真っ直ぐな声が響いた。
『……傭兵時代の私なら、素手でも魔獣に飛びかかって玉砕していたかもしれません。でも、今は違います。エマ先輩との調査で、魔物をむやみに破壊せずとも、生態を理解していれば忌避剤などで退けられることを学びました』
扉の外で、エマが嬉しそうにガッツポーズをした。
『武器が壊れても、周囲の地形を利用して足止めを試みたり、物理的な弱点を探って環境で自滅を誘う方法を考えます。そして、この結界内のアナログな生活で培った純粋な腕力で、負傷した仲間と重い調査機材を担ぎ上げ、絶対に地上へ帰還します! データを本部へ持ち帰るまでが、シーカーズのお仕事ですから!』
フェリク先輩が「……素晴らしい回答です」と微笑む気配がした。
◇ ◇ ◇
『では次、ワシからじゃ』
カノープス先生の渋い声が続く。
『お主はこの数ヶ月、頭から煙を出しながら古代語や歴史を学んできたな。ただの文字の暗記から始まり、星の律動の理屈まで、多くの知識を詰め込んだはずじゃ。……では問う。力やスキルがすべてを支配する外の世界において、我々が古の埃っぽい石板や化石を命懸けで持ち帰ることに、一体どんな「価値」があると思うかね?』
『……最初は、クビになりたくないから必死に暗記していただけでした』
カリナの素直な告白に、私たちは思わず顔を見合わせてクスッと笑った。
『でも、先輩たちと一緒に遺跡の壁画や化石を記録して、それが王都の皆さんの研究に繋がり、新しい魔導具になっていくのを見ました。歴史の記録は、ただの過去の石っころじゃありません。今を生きる誰かのための「知恵」になり、私たちが理不尽な外の世界を生き延びるための「力」になるものです。誰もが平等に生きられるこの街を守り、未来へ繋ぐための、大切な宝物だと思います!』
『……うむ。よくぞそこまで理解した』と、カノープス先生が深く頷いた。
『最後に、私からよ』
カペラ局長の声が、空気をピンと引き締める。
『素晴らしいわ。でも、正規の調査員になるということは、常に未知とロマンの最前線に立つということ。それは同時に、かつてのあなたを捨て駒にしたような傲慢な貴族や、理不尽な星狩りたちと再び対峙することも意味するわ。力だけで価値が決まる外の世界のルールに、あなたはもう一度、今度はシーカーズの調査員として真っ向から立ち向かう覚悟はあるかしら?』
『あります』
カリナの迷いのない即答が、扉を突き抜けて私たちの胸に響いた。
『私はもう、たった一つのスキルにすがる、一人ぼっちの持たざる傭兵じゃありません。私には、私の本当の価値を認めてくれた仲間がいて、帰る温かいアパートがあります。だからこそ、外の世界の理不尽なルールにはもう屈しません。これからは、暴力やスキルではなく、この街で学んだ知識と技術、そして最高の相棒である大剣を使って、シーカーズの一員として世界の理を解き明かしてみせます!』
静寂。
そして。
『……合格よ、カリナ・ストラテス。今日からあなたは、シーカーズの正規フィールドワーカーよ!』
「やったーーーーっ!!!」
局長の合格宣言と同時に、私とクロエたちは我慢できずに扉を開け放ち、応接室へと雪崩れ込んだ。
「ええっ!? みんな、聞いてたの!?」
「当たり前じゃない! よく言ったわね、カリナ!」
「カリナちゃん、最高だったよーっ!」
オスヴァルドがカリナの頭をガシガシと撫で回し、エマが飛びつく。アリアちゃんも無言でカリナの手を握った。
フェリク先輩やカノープス先生も「やれやれ」と苦笑いしながら、その騒ぎを温かく見守ってくれていた。
◇ ◇ ◇
その日の夕暮れ。
私たちはカリナの昇格祝いのプレゼントを選ぶため、王都の職人街を歩いていた。
結界の淡い光が、石畳を優しく照らしている。
「ねえカリナ、何が欲しい? 武器のお手入れセットとか、可愛いお洋服とか!」
私が前に回り込んで顔を覗き込むと、カリナはふと、その場に立ち止まった。
「……カリナ?」
「あ……ごめんなさい、なんか、急に……」
カリナの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
孤児院で育ち、文字も読めず、傭兵として力とスキルだけが自分の価値だと思い込んでいた少女。
悪徳貴族に騙され、捨て駒にされ、ボロボロになって死にかけていた彼女は。
今、シーカーズという温かい学術機関で、自分の努力と知識、そして「自分自身」を初めて真っ直ぐに認められたのだ。
「私……本当に……ここに、いていいんだね……」
その場にしゃがみ込み、両手で顔を覆って泣き崩れるカリナ。
「もう。何言ってるのよ」
クロエが優しい声で呟く。
私はカリナの隣にしゃがみ込み、その華奢な体を、両手でぎゅっと抱きしめた。
「カリナは、私たちの大切な仲間だよ。これからもずっと、一緒に美味しいご飯を食べようね」
カリナは私の胸の中で、「うん……っ」と声を上げて泣き続けた。
私の心臓にある古代システムの呪いは、まだ解けていない。
星のマップが示した、途方もなく長い『全国スタンプラリー』が私たちを待っている。
けれど、最強で優しい仲間たちと、新たに加わった頼もしい後輩がいれば。
この理不尽な世界だって、きっと笑って歩いていける。
「さあ、お祝いのケーキも買いに行こっか!」
私の言葉に、みんなが笑顔で頷く。
私たちの途方もなく長い冒険の続きは、また明日から、賑やかに幕を開けるのだ。




