第58話:翠星の翔跡
境界ゲートを抜け、魔導トラムが深い緑の海へと進んでいく。
天空を覆う『星時計の魔法陣』の光が届かない場所まで来ると、王都の平和な空気が一変し、外の世界特有の濃厚で荒々しい魔力の気配が肌を刺した。
「よし! 結界外到達。スキル、正常起動を確認!」
トラムから降り立ち、元気よく声を上げたのはエマ・グリーンライトだ。
彼女が腰の巨大なゼンマイ式デバイスをカチャリと操作すると、足元に淡い緑色の魔力の粒子がフワリと舞い上がった。
「カリナちゃん、準備はいい? ここから先は徒歩だよ!」
「はい、エマ先輩! スキル、武器、共に問題ありません!」
カリナ・ストラテスは、背負った漆黒の『星屑の大剣』の柄を力強く握りしめた。
孤児院育ちで傭兵上がりだった彼女にとって、シーカーズの正規の調査手法を学ぶこの機会は、絶対に無駄にできないものだった。
◇ ◇ ◇
二人が足を踏み入れたのは、世界樹のふもとに広がる古代密林『緑緑の揺り籠』。
人の背丈を優に超える巨大なシダ植物が道を塞ぎ、時折、空を覆う巨木の隙間から星脈の奔流がオーロラのように揺らめいている。
「……ッ、エマ先輩! 前方に敵対生物です、斬り捨てます!」
カリナが瞬時に大剣を引き抜き、鋭い踏み込みで構えた。
茂みの奥から、粘着質の液体を滴らせた巨大な食虫植物――『古代モウセンゴケ』の群れが、獲物の気配を察知してウネウネと触手を伸ばしてきていた。
「ストーップ! カリナちゃん、剣を引いて!」
エマが慌ててカリナの肩を掴んで制止した。
「えっ!? でも、道を塞いでいます。このままでは……」
「いい? カリナちゃん。私たちシーカーズの仕事は、邪魔なものを破壊することじゃないんだよ。目的はあくまで『知る』こと。この古代モウセンゴケは絶滅危惧種なんだから、傷つけたらカペラ局長に大目玉食らっちゃうよ!」
エマは腰の大量のポーチから、小さな魔導アンプルを取り出した。
それを軽く振って前方に投げると、特殊な配合の煙が周囲に広がる。
すると、先ほどまで凶暴だった触手たちが、まるで嫌な臭いから逃げるようにシュルシュルと道を空けた。
「これはクロエ特製の『忌避剤(植物用)』。相手の生態を正しく理解していれば、戦わなくても道は開けるんだ。……さあ、今のうちにこの子たちの葉脈データを記録しちゃおう!」
エマは楽しそうにスケッチブックと魔導カメラを取り出し、観察を始めた。
カリナは呆気に取られた後、自身の剣を見つめ、静かに鞘へと収めた。
(……そうだった。戦うことだけが、外の世界での生き方じゃないんだ。セレンたちが言っていた「お勉強」の意味が、少し分かった気がする)
カリナはエマの隣に屈み、彼女の指示通りに重い記録用機材を支えながら、真剣な眼差しで植物の生態をノートに書き留め始めた。
図書室で知恵熱を出した甲斐があったと、カリナは小さく微笑んだ。
◇ ◇ ◇
調査は順調に進み、二人は目的地である古代樹の地層サンプル採取ポイントに到達した。
エマが樹の根元に魔導ドリルを当て、貴重な化石標本を慎重に切り出している、その時。
カサリ、と頭上の枝が不自然に揺れた。
「……ッ!? エマ先輩、上です!」
カリナの叫びと同時に、上空から巨大な影が音もなく飛びかかってきた。
それは、硬い樹皮のような装甲を全身に纏い、完全に周囲の環境に擬態していた巨大魔獣――『迷彩の森蜘蛛』だった。
「わわっ!? このエリアの生態系にはいないはずの外来種だよ! まずい、完全にこっちを捕食する気だ!」
蜘蛛の鋭い鎌が振り下ろされる。
カリナが大剣でそれを受け止めるが、凄まじい重量に足元の泥が深く抉れた。
「カリナちゃん、私が足場を作る! 注意を引くから、トドメをお願い!」
エマが空中に向かって跳躍した。
固有スキル――『翠星の翔跡』!」
空中の何もない空間をエマの革ブーツが蹴りつける。
その瞬間、足元に緑色の魔力の軌跡が硬質な「足場」として顕現した。
さらに彼女は、腰の巨大なゼンマイを解放する。
シャガァァッ!
『ゼンマイ駆動式・双刃アンカー』が射出され、巨木の枝に深々と突き刺さる。
エマはワイヤーの巻き取りと空中足場を駆使し、重力を完全に無視した立体機動で、巨大な蜘蛛の周囲を弾丸のように飛び回り始めた。
「キシャァァァッ!」
混乱した蜘蛛が粘着性の糸を吐き散らすが、エマは空中をジグザグに跳ねてそれを躱し、すれ違いざまにアンカーの刃で魔獣の関節に浅い傷を刻み込んでいく。
「今だよ! その蜘蛛、関節の装甲が薄い! そしてあの樹皮の質感……乾燥と『雷』に弱いはず!」
生態調査員としての、的確すぎる弱点分析。
「分かりました! お任せください!」
カリナが地面を強く蹴り、漆黒の大剣を頭上に掲げた。
スキル発動――『|変星の纏刃』!」
特殊合金製の大剣の波紋が、周囲の大気から強引に魔力を吸い上げる。
バチバチと青白い雷光が、巨大な刃全体に高密度の『雷の理』として纏いついた。
エマのワイヤーアクションに翻弄され、蜘蛛が体勢を崩したその一瞬。
傭兵時代に培った、一切の迷いがないカリナの踏み込みが炸裂する。
「はぁぁぁぁっ!!」
雷を纏った漆黒の刃が、エマが指示した関節の隙間を的確に捉え、硬い装甲ごとバターのように切り裂いた。
過負荷の雷撃が魔獣の内部回路(神経)を完全に焼き切り、巨大な蜘蛛は断末魔の叫びと共に、音を立てて地面に崩れ落ちた。
◇ ◇ ◇
「ふぅ……。すごいねカリナちゃん! 傭兵の腕っぷしと、調査員としての観察眼、両方バッチリだったよ!」
エマがアンカーを巻き取りながら空中から着地し、ゴーグルを額に上げながら満面の笑みで親指を立てた。
カリナは少し照れくさそうに、けれど誇らしげに大剣の雷光を解除して背中に戻す。
「……エマ先輩の正確な指示と、完璧な陽動があったからです。私、もっともっと勉強して、いつかセレンやみんなと本当に肩を並べられるようになりたいです」
「あはは、その意気だよ! よし、採取も終わったし、王都に帰ろう!」
エマが採取した巨大な化石標本が入ったリュックを、カリナが「私が持ちます!」と軽々と担ぎ上げる。
二人の明るい笑い声が、古代密林に響き渡った。
見習い少女の背中は、この過酷な外の世界で、確実に「シーカーズの調査員」のそれへと成長していた。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
王都アストライア、シーカーズ本部の図書室。
「……っくしゅん!」
山積みの資料の中で、セレン・アークライトが可愛らしくくしゃみをして、顔を上げた。
「……ん。誰か私の噂してるかな?」
「風邪でも引いたんじゃないの? 結界内なんだから、温度変化には少し気をつけなさいな」
向かいで新しい魔導具の設計図を引いていたクロエが、呆れたように温かいハーブティーを差し出す。
「えへへ、ありがとう。……ねえクロエ。カリナ、エマの足引っ張ってないかな。ちょっと心配だな」
「あの二人なら大丈夫よ。エマはああ見えて慎重だし、カリナの腕力はアンタよりずっと頼りになるんだから」
「あ、それは確かに……。ま、いっか。カリナなら絶対大丈夫だよね」
セレンは陶器のカップを素手で包み込み、その温もりを直接手のひらで楽しみながら、窓の外を見上げた。
夕暮れ時の『星時計の魔法陣』が、美しく紫色の光を放ち始めている。




