第41話:お肉の底辺×高さ÷2は、星暦412年の挟み撃ち
シーカーズ本部、最上階の局長室から、いつものような慌ただしい声が聞こえる日々が戻ってきた。
次の目的地である『炎獄の古炉』の正確な座標と、システムにアクセスするための情報を特定するべく、カペラ局長やシーカーズの技術者たち解析チームが昼夜を問わずデータと睨み合っているのだ。
一方の私は、次の出番が来るまで、王都の結界内や近郊での簡単なフィールドワークや、本部の資料整理といった地道な「お仕事」をこなしていた。
そんなある日。
本部の長い廊下を歩いていると、向こうから高く積み上げられた古い資料の束を抱えたカリナが歩いてきた。
最近の彼女は、シーカーズの雑用・見習いとしてお茶汲みや資料運びといった雑用をこなしながら、空き時間は資料室の老学者たちから「調査員としての基礎学力」をみっちりと詰め込まれている。
歴史、算術、そして古代語の基礎。
元々、傭兵として剣一本で外の世界の荒波を生き抜いてきた彼女にとって、机に向かう時間は魔物との死闘よりも過酷な試練らしい。
「カリナ、お疲れ様。手伝おうか?」
私が声をかけると、カリナはまるで油の切れたゼンマイ仕掛けのゴーレムのように、ギギギ……と首をこちらに向けた。
「あ、セレン……。だいじょぶ、デス。重力ト質量ノ法則ニヨレバ、この資料の重さハ……」
よく見ると、カリナの頭頂部から「プスプスプス……」と、何かがショートするような音と共に、かすかな湯気のようなものが上がっていた。
完全に知恵熱でオーバーヒートを起こしている。
◇ ◇ ◇
「か、カリナ? ちょっと休憩室に行こっか」
私は彼女から資料の束を半分受け取り、休憩室のソファーへとカリナを連れ込んだ。
「ふぅ……。今日のお昼、何食べる?」
私がワクワクしながら尋ねると、カリナの焦点の合わない瞳が宙を彷徨った。
「……はい。お肉の底辺×高さ÷2は、星暦412年の挟み撃ち……ゆえに答えは『突撃』です」
「……? カリナ、それお肉の面積求めてるの?? うーんと、手軽にサンドイッチにする?」
「サンドイッチの主成分は……名詞、いや動詞……? 過去形にするとサンドイッテッド……?」
「カリナ……」
私は思わず、カリナの顔の前で両手をパタパタと振った。
(あ、これ完全に壊れちゃってるな……)
普段は私よりもずっとしっかりしていて、重い荷物も軽々と持ってくれる頼もしいカリナだけど。
脳内メモリが完全に未知の学問で埋め尽くされて、会話の回路がバグってしまっているようだ。
私はいつもの自分のポンコツを棚に上げて、彼女の頭をいいこいいこと撫でてあげた。
◇ ◇ ◇
しかし、カリナの試練はシーカーズ本部だけでは終わらない。
その日の夜。
私たちのアパートの共有リビングでは、さらに恐ろしい『夜のスパルタ読み書き教室』が開講されていた。
「いい、カリナ。ここの古代語の活用は不規則だから、理屈じゃなくて体で丸暗記するのよ。はい、この単語を十回書いて」
エプロン姿のクロエ教官が、容赦なくペンでノートをトントンと叩く。
カリナは鉛筆を握りしめたまま、ワナワナと肩を震わせていた。
「ううっ……もう、頭に入らないよぉ……。文字が、文字がゲシュタルト崩壊して、魔物の群れに見えてきた……」
カリナの目がグルグルと回り始める。
そして、ついにその時がやってきた。
「うわあぁぁぁん! もう無理ー!」
カリナが持っていた鉛筆をポイッと放り出し、なんとリビングの床の上にゴロゴロと転がり始めたのだ。
「文字って軽すぎるよ! ペンを握っても手に物理的な衝撃が全く足りないー! 斬撃の重みが欲しいよぉー!」
「ちょ、ちょっとカリナ!? 埃が舞うから転がらないの!」
完全に知恵熱で幼児退行してしまった駄々っ子モード。
手足をバタバタさせて「うわーん」と嘆く彼女を見て、私はあることに気がついた。
以前、『月涙の廃都』の地下迷宮を調査した時のこと。
暴走した魔力炉のコアが引き起こした「泥の濁流」が、逃げ場のない地下通路に押し寄せてきた。
極限の疲労と魔力酔いに侵され絶望したカリナは、杖代わりにしていた愛用の大剣を取り落としてしまったのだ。
あの時、私はバリアと特注コートの反発力を利用して濁流を真っ二つに切り裂き、水圧を利用して上の階層へと一気に吹き上がる形で脱出したのだけれど。
激流に揉まれながら一緒に打ち上げられたその大剣は、落下の衝撃によって無惨にも真っ二つに砕け散ってしまった。
武器に自然の理を付与する彼女の固有スキル『変星の纏刃』。
その対象となる大剣を失って以来、カリナはずっと丸腰のまま、見習いのお仕事と勉強だけを続けていたのである。
「剣振りたいよぉ……筋肉がなまっちゃうよぉ……。重たい鉄の塊を、思いっきりぶん回したいよぉ……」
床に突っ伏したまま、カリナが涙目で訴えかけてくる。
◇ ◇ ◇
完全に知恵熱で限界を突破してしまったカリナを見て、クロエはふぅと大きな溜息をついた。
手にしたペンを置き、ノートをパタンと閉じる。
「……仕方ないわね。このままじゃ頭より先に精神が爆発しそうだし。明日の勉強はお休みにしましょう」
「えっ!?」
床に転がっていたカリナが、ピクッと反応して顔を上げた。
「うん! じゃあカリナ、明日は新しい剣を買いに行こっか!」
私がすかさず笑顔で提案した。
「シーカーズの初お給料も入ったし! これから調査のお仕事のお手伝いにもカリナの武器は絶対必要だもんね!」
「新しい、剣……!!」
その単語を聞いた瞬間。
カリナの焦点の合っていなかった瞳に、バチィッ! と強烈なハイライトが戻った。
「行きます! 絶対行きます!!」
先ほどまで床を転がって駄々をこねていたのが嘘のように、カリナは弾かれたように一瞬でシャキッと立ち上がった。
頭頂部からプスプスと上がっていた知恵熱の煙も、すっかり消え去っている。
「ふふっ、本当に現金な子ね。……まあ、私も外の素材を使った新しい武具の相場は見ておきたいし、一緒に行ってあげるわ」
「わーい! クロエも一緒だ!」
結界の中の平和な夜。
難しい古代のシステムのことや、外の世界の危険な人間たちのことなんて、今は関係ない。
明日は三人で、王都の職人街にある武器工房へのお買い物だ。
あの砕け散った大剣の代わりになるような、カリナにぴったりの「重たい鉄の塊」が見つかるといいな。
私はそんなことを考えながら、完全に復活してリビングの隅でシャドー素振りの真似事を始めたカリナを見て、ふふっと笑ったのだった。
あのプスプス煙が出ていたカリナも可愛かったけれど、やっぱり彼女には、元気に動いている姿が一番似合うのだ。




