第39話:傲慢な貴族と盤上の支配者
天敵シオン・ブラックソーンを退け、神話の時代から眠り続けていた『星鍵の断片』の回収を終えた私たちは、静かな興奮を胸に地下施設を後にした。
再び地上へと戻れば、そこにはどこまでも続く白銀の砂漠と、崩れ落ちた白亜のビル群が夕刻の淡い光に照らされている。
「……ふぅ。お外はやっぱり、ちょっと空気が重たいね」
私は漆黒のコートの襟を正しながら、平坦な声で呟いた。
バリアのせいで砂粒一つ肌に触れることはないけれど、地下のクリーンな空間から戻ってくると、外の世界特有の「澱んだ魔力」の感触が肌を刺すような気はする。
私の一ミリ手前では、アリアちゃんが無言で巨大な狙撃銃を背負い直し、周囲を警戒している。
(……あ。お腹空いたなぁ。今日の夕飯、クロエは何を作って待っててくれるかな。温かいシチューがいいな。それとも、昨日話してたハンバーグの残りかなぁ。それか……)
私の頭の中は、すでに王都へ帰った後の献立のことでいっぱいになっていた。
そのため、私の瞳はいつにも増して「一点を見つめて動かない」冷徹なモードになっていたのだが、それが周囲にどう映るかまでは、到底考えが及んでいなかった。
砂丘を越え、帰還ポイントである境界ターミナルのビーコンが見え始めた、その時だった。
ザッ、ザッ、ザッ――。
整然とした足音が砂漠に響き、私たちの行く手を遮るように、数十人の武装集団が姿を現した。
こんな私でもわかる。
彼らは以前見かけた「ならず者」の私兵とは明らかに格が違った。
統一された銀の軽装鎧を纏い、その胸元には大輪の薔薇を模した紋章が刻まれている。
そして、その中心。
砂漠という過酷な環境には全く不釣り合いな、金糸の刺繍が施された華美な外套を羽織った青年が、傲慢な笑みを浮かべて立っていた。
◇ ◇ ◇
「お見事だ、探査局のネズミ諸君。まさかあのシオン・ブラックソーンを追い払うとは、驚きを禁じ得ないよ」
青年の声は、透き通るように綺麗だったが、その奥には隠しきれない傲慢さと、他人を虫けらと同じように見下す冷たさが宿っていた。
「……だれ?」
私が首を傾げて問いかけると、男は眉をピクリと動かし、鼻で笑った。
「私の名を知らぬとは、これだから教養のない平民は困る。……だが、今はいい。君たちが地下施設から持ち出したそのデータ、およびサンプルをすべてこちらへ渡しなさい」
「……え? これはシーカーズの大事なお仕事の成果だよ? ダメだよ」
私が当たり前のことを言うと、男は芝居がかった動作で首を振った。
「いいかね。この廃都から出土する強大な遺物は、国家の治安を脅かす極めて危険な代物だ。国境を護る我らナハトローゼ家には、それらを管理・接収し、不適切な流出を防ぐ『義務』がある。これは国家の安全保障に関わる公務だ」
『――セレン、アリア! 聞こえる!?』
右耳のイヤーカフから、王都の工房にいるクロエの焦りきった声が響いた。
『相手が悪すぎるわ……! ナハトローゼ家は、この国の軍事権の一部を握る超有力貴族よ。その次期当主を相手に問題を起こしたら、探査局全体が不敬罪で潰されかねない……!』
名前は、モルドレッド・ナハトローゼ。
星導国家アストライアでも五指に入る名家、ナハトローゼ家の次期当主。
二十歳の若さで私兵団を率いる、エリート中のエリートらしい。
「……政治、なの?」
私は困惑して呟いた。
私の『孤星の絶対距離』は、飛んでくる剣や魔法ならいくらでも「ピィィンッ!」と跳ね返せる。
けれど、相手が振りかざしてきた「権力」や「法律」という目に見えない重圧は、私のバリアではどうしたって弾き飛ばすことができない。
◇ ◇ ◇
どうしていいか分からず、私がぼーっと立ち尽くしていると。
私の一ミリ手前でずっと沈黙を守っていたアリアちゃんが、静かに一歩、前へと踏み出した。
「……断る。これは、境界探査局の管轄」
その声は、砂漠の夜風よりも冷たく響いた。
モルドレッドは不快そうに目を細め、腰の細剣に手を掛けた。
「ほう、ただの調査員風情が、私の言葉に異を唱えるか。身の程をわきまえなさい。君たちの組織など、私の父が一言命じれば明日には解体されるのだよ」
「……身の程。それは、そちらの言葉」
アリアちゃんは表情一つ変えず、懐から古めかしい、けれど気品溢れる金属製の印章を取り出した。
「……私は、アリア・ルーメン。ルーメン家が一つ、この調査を続行する。ナハトローゼといえど、他家の正当な探索権を侵害することは……許されない」
モルドレッドの顔から、余裕の笑みが消えた。
「……ルーメンだと? あの、王都の地下に隠居した『星読みの一族』か」
ルーメン家。
兄のフェリクさんとアリアちゃんの両親は、現在こそ結界内で静かに暮らしているが、その親族たちは今なお外の世界で古い領地を守り続ける貴族家系だ。
王都でも指折りの名家であるルーメンの名を出され、モルドレッドは一瞬、苦虫を噛み潰したような顔になった。
貴族同士の公式な対立は、彼にとっても非常に面倒な事態を招く。
しかし、彼の瞳に宿る強欲な光は消えていなかった。
「……なるほど。確かにルーメンの名は重い。だが、君は今、ただの調査員としてここにいる。証人もいないこの場所で、不幸な事故によってサンプルが紛失したとしても……誰も文句は言えまい?」
モルドレッドが右手を上げ、周囲の私兵たちに合図を送る。
兵士たちが一斉に、魔力を帯びた槍や剣をこちらへ向けた。
「力ずくでも、『保護』させてもらうよ。構えろ!」
一触即発。
アリアちゃんが銃を構えようとした、その時だった。
◇ ◇ ◇
「――おや。妹が、ずいぶんと失礼な扱いを受けているようですね」
砂丘の向こう側から、穏やかな、けれど芯の通った澄んだ声が響き渡った。
一同の視線がそちらに向く。
そこには、仕立ての良い調査員服を完璧に着こなし、優雅に砂の上を歩いてくる長身の青年が立っていた。
「……フェリクさん!」
私が声を弾ませると、フェリクさんの隣には、大きな荷物を背負いながらも涼しい顔をしたカリナの姿もあった。
「二人とも! 無事みたいでよかった!」
「調査が早く終わったので、様子を見に来たんですよ。……まさか、ナハトローゼ家の次期当主とある方が、女の子相手に兵を向けている現場に出くわすとは思いませんでしたが」
フェリクさんは口元に柔らかな笑みを湛えているが、その瞳は一切笑っていない。
「……『凶星の崩蝕』……フェリク・ルーメン……」
モルドレッドの声が、微かに震えた。
外の世界で「無慈悲な殲滅兄妹」として恐れられる兄の登場に、私兵たちの間にも動揺が広がる。
フェリクさんが一歩、また一歩と近づくたび。
彼の周囲の空気が、まるで質量を持ったかのように重く、鋭く変質していく。
それはスキルを発動する前の、純粋な威圧。
「モルドレッド君。ナハトローゼ公が、君のこの振る舞いを知ったら……悲しむでしょうね。他家の娘を脅し、国家の公共機関から成果を奪おうとしたとなれば……」
フェリクさんはモルドレッドの目の前で立ち止まり、その整った顔を覗き込んだ。
「それとも。私がここで君の兵をすべて『解体』して、事故として処理しましょうか?」
その瞬間。
モルドレッドは、自分が底なしの沼の縁に立たされているような感覚に陥った。
フェリク・ルーメンがその気になれば、この場の全員が数秒で塵になることを、彼は本能で理解してしまったのだ。
「ちっ……。独立独歩の学者風情共が……今日は引いてやろう」
モルドレッドは忌々しげに吐き捨て、顔を真っ赤にして背を向けた。
「行くぞ! こんな砂まみれの場所、長居する価値もない!」
ナハトローゼの軍勢は、逃げるように砂丘の向こうへと去っていった。
◇ ◇ ◇
「……ふぅ。怖かったぁ。フェリクさん、ありがとう!」
私は緊張が解け、へなへなと座り込みそうになるのをこらえてお礼を言った。
バリアがあるから怪我はしなかっただろうけれど、あのピリピリした空気は心臓に悪い。
「いいのだよ、セレン。……アリア、よく頑張ったね」
「……ん。フェリク兄様、遅い」
アリアちゃんはいつもの無表情に戻り、フェリクさんの隣へトコトコと寄っていく。
「あはは、ごめんね。さあ、カペラ局長も首を長くして待っています。王都へ帰ろう」
カリナも私のリュックの重さを気遣って、「セレン、荷物半分持つよ!」と元気に笑いかけてくれた。
「うん! 帰ったらクレープも食べたいな!」
「……ん。私も、甘いもの」
夕暮れの白銀砂漠を、四人の足音が重なり合って進んでいく。
結界の外の世界は、理不尽な悪意や権力が渦巻いている。
けれど。
私の周りには、そんな不自由な壁さえも笑い飛ばしてくれる、最高の仲間たちがいる。
(……今日の夕飯、やっぱりシチューがいいな)
そんな平和な願いを胸に、私たちは光り輝く王都の結界――『星の静寂』へと繋がる帰路を、力強く歩み出したのだった。




