第28話:持たざる者の価値
都市の端に位置する『境界ターミナル』。
転送陣から一歩を踏み出し、王都側へと足を踏み入れた瞬間だった。
「……えっ?」
私の後ろを歩いていたカリナが、足を止めて自分の両手を見つめた。
そして、戸惑ったように何度も手を握ったり開いたりしている。
「魔力が……私のスキルが、消えちゃった。体の中にあった熱みたいなものが、スッと抜け落ちて……ただの、重たい体になっちゃった」
結界の内側である絶対安全領域『星の静寂』。
ここでは、いかなる強力な魔力もチートスキルも、すべて強制的に無効化される。
話では散々聞いていたが、体験するのは初めてだった。
カリナは不安そうに肩をすくめたが、私はそんな彼女の手を(バリアがないから直接!)ぐいっと引っ張った。
「大丈夫だよ! ほら、乗って乗って!」
私たちは魔力で動くレトロな『魔導トラム』に乗り込んだ。
ガタンゴトンと心地よい揺れに身を任せながら、アーチ状の水路沿いを走っていく。
窓の外には、夕暮れの白亜の街並みが広がっている。
カンカンと金属を打つ職人の音、石畳を駆け回る子供たちの笑い声、そして、どこからか漂ってくる香ばしい匂い。
「……これが、魔法もスキルもない街の景色」
カリナは窓に張り付くようにして、その光景に見入っていた。
誰も魔法でズルをしないからこそ、人々が自分の手足で汗をかき、努力して作り上げているアナログで温かい活気。
外の世界の殺伐とした空気とはまるで違う、優しい匂いがそこにはあった。
◇ ◇ ◇
水路沿いにある古いアパートの最上階。
ガチャリとドアノブを回して共有のリビングに入ると、美味しそうな匂いと共にエプロン姿のクロエが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、セレン。それに……あなたがカリナね。よく無事で来てくれたわ。さあ、とりあえず泥を落として着替えましょう」
クロエのオカン全開な手回しの良さで、私たちはすぐにお風呂に放り込まれた。
「はい、カリナさん! 私の服でよかったらこれ着てね!」
お風呂上がり。私は自分のタンスから、ダボダボのキャラクターTシャツと、ゆるゆるのジャージを取り出してカリナに渡した。
「あ、ありがとう。……なんだか、すごく気が抜けそうな服ね」
カリナが苦笑いしながらTシャツに袖を通していると、私は「よーし、ご飯ご飯!」と浮かれてリビングへ向かおうとした。
ドンッ。
「あいたっ!」
浮かれすぎた私は、何もない平坦な廊下で自分の足をもつれさせ、盛大に転んだ。
しかも、近くにあった観葉植物の鉢に頭をぶつけ、葉っぱを頭に乗せて情けないポーズで床に這いつくばってしまった。
「い、痛ぁい……」
「……えっ?」
カリナがポカンと口を開けて固まっている。
(えっ……あの、死地を無傷で歩き回って、巨大な魔獣を瞬殺した無敵のバケモノが……何もないところで転んで泣いてる……?)
「はいはい、セレン。結界の中じゃバリアの反発力はないんだから、ちゃんと足元見なさいっていつも言ってるでしょ」
呆れ顔のクロエが、私の頭の葉っぱを取って引っ張り起こしてくれる。
「あの氷の処刑人が、こんなポンコツのドジっ子だなんて……嘘でしょ……ギャップが酷すぎて頭が痛いわ」
カリナは信じられないものを見る目で、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
◇ ◇ ◇
ダイニングテーブルには、クロエが腕によりをかけた豪華な夕食が並んでいた。
肉汁たっぷりのローストポークに、温かい野菜のスープ、そしてふかふかの丸パンだ。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ」
「いただきます!」
私が嬉々としてスプーンを手に取ると、カリナはまだ少し緊張した様子だった。
そんな彼女に、私は籠から取ったパンを直接手渡した。
「はい、カリナさん。クロエのご飯は本当にほっぺたが落ちちゃうんだから!」
「えっ……あ」
カリナは、私が素手で差し出したパンと、私の手を交互に見つめた。
結界の外では、1ミリの壁に阻まれて絶対にできなかった『直接の触れ合い』。
私が彼女の肩をポンッと叩くと、カリナの目からポロリと一筋の涙がこぼれた。
「……ありがとう。いただきます」
カリナは泣き笑いのような顔でパンを受け取り、スープを一口飲んだ。
「美味しい……。なんだか、生きてるって気がする」
温かい食卓を囲みながら、カリナはポツリポツリと自分の過去を話し始めた。
「私ね、スラムの孤児院の出身なの。何の後ろ盾もない『持たざる者』だった」
彼女の言葉に、私とクロエは静かに耳を傾けた。
外の世界の正規の冒険者ギルドである『星狩り』になるには、厳しい試験がある。
けれど、それは戦闘力だけでなく、「筆記試験(教養)」や「推薦状」、そしてそれなりな「受験料」が必要なのだという。
「私はスラム育ちで、文字の読み書きや計算なんて教わらなかった。生きるために剣を振ることしか知らなかったの。だから、試験なんて受かるはずがなくて……フリーの傭兵になるしかなかった」
フリーの傭兵でしっかり実績を残せば、騎士団や貴族の私兵にスカウトされる道もある。だから彼女は、死に物狂いで危険な依頼を受けていたのだ。
「……なら、どうして最初からこの王都に逃げてこなかったの?」
クロエが静かに尋ねる。
魔法が使えないこの街なら、力至上主義の貴族に虐げられることもない。
「手に職が、なかったからよ」
カリナは自嘲気味に笑った。
「この結界内は、純粋な知識や技術で生きる街でしょ? 剣を振ることしかできない私には、ここで生計を立てる手段がなかった。それに……」
彼女は自分の両手をギュッと握りしめた。
「怖かったのよ。孤児で何も持たずに生まれた私にとって、15歳で授かった『変星の纏刃』っていうスキルだけが、人生で初めて得た『《《自分だけの価値》》』だった。……結界に入ってそのスキルが消えちゃったら、私、本当に空っぽの何もない人間になっちゃう気がして」
唯一の財産である力を手放す恐怖。
文字も読めず、帰る場所もない彼女が外の世界で生き残るには、あの悪徳貴族の無謀な依頼を受けるしか道はなかったのだ。
その悲痛な背景を聞いて、私は胸がギュッと苦しくなった。
「空っぽなんかじゃないよ」
私は力強く言った。
「カリナさんが生き残るために必死に頑張ってきたことは、絶対に無駄なんかじゃない。それに、文字が読めないなら、これから少しずつお勉強すればいいんだよ。私が教えてあげる!」
「……セレン、あんたも文字の読み間違い多いでしょ。カリナには私が教えてあげるから安心しなさい」
クロエの的確なツッコミに、私は「あはは」と誤魔化すように笑った。
カリナも釣られたように吹き出し、温かい食卓にはようやく明るい笑い声が響いた。
「これからのことは、ゆっくり考えればいいよ。今日はとりあえず、うちに泊まっていって!」
私が提案すると、カリナは少し申し訳なさそうに頷いてくれた。
◇ ◇ ◇
とはいえ、このアパートは2DK。
私とクロエのそれぞれの部屋と、共有リビングしかない。
特にクロエの部屋は工房と化している。
「カリナさん、私のベッド半分こして一緒に寝よ!」
私はカリナの手を引いて、自分の部屋のドアを開けた。
「お邪魔しまーす……って、うわっ」
カリナが部屋に入って絶句する。
私の部屋はクラシカルなアンティーク調の家具で揃えているのだが、壁一面の本棚から溢れた古い文献や分厚い魔導書、手書きのノートが床に山積みになって散らかっていた。
クロエが定期的に掃除してくれているけれど、没頭するとすぐにこうなってしまうのだ。
「ごめんね、ちょっと散らかってるけど。ベッドの上は綺麗だから!」
私はえへへと笑い、二人で横並びになってベッドに潜り込んだ。
結界の中のベッドは、1ミリ浮くことなくシーツの柔らかさを直接感じられて、本当に気持ちがいい。
「……ねえ、セレン。本当に、ありがとう」
消灯した暗い部屋の中で、隣からカリナの小さな声が聞こえた。
「んー……どういたしましてぇ……」
私は眠気に抗えず、ふわふわとした頭で答える。
今日はいっぱい動いて、いっぱいお弁当とご飯を食べて、もう限界だった。
「私、ここでなら……新しい自分を、見つけられるかもしれない」
カリナが静かに決意を語る。
感動的な空気。
しかし、私の意識はすでに夢の中へと旅立っていた。
そしてすっかり夜も更けだせば……
「……スゥー……グゴォォォォォ……ッ!!」
「えっ」
「んがっ、むにゃむにゃ……お肉ドーン……フガッ!!」
ボカッ!!
「いっ!? ちょっと、あんた寝相悪っ!? 蹴り入れないでよ!!」
平和な結界内のアパートの一室。
私の凄まじいいびきと、無意識のダイナミックな寝相による踵落としをモロに食らい、カリナの悲鳴が夜の星の静寂に虚しく響き渡ったのだった。




