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第21話:月涙の廃都と持たざる傭兵

「セレン君、次のお仕事よ! 今回は単独でのマッピング任務をお願いしたいの!」


 シーカーズ本部の局長室。

 朝から元気いっぱいのカペラ局長が、バンバンと机の上の地図を叩いていた。


 そこには、王都から遠く離れた山間部にある遺跡の座標が記されている。


「場所は『月涙の廃都(ルナ・ティアーズ)』。昔の調査員がなんとか入り口付近に転送ビーコンを設置したから、アクセス自体はすぐにできるわ。……ただし、そこから先の探索進捗率が、ここ10年ずっと15%で止まってるのよ」


「10年もですか? どうして進まないんですか?」


 私が首を傾げると、局長は真剣な顔で頷いた。


「環境が厄介すぎるの。そこは神話時代の気象制御システムが暴走していて、常に『魔力を吸い取る重い雨』が土砂降りになっているのよ」


 局長の話によると、その雨に打たれると、並の冒険者の防御スキルや身体強化は数分で剥がれ落ちてしまうらしい。

 さらに雨粒自体に物理的な重さがあり、長く留まれば体力も根こそぎ奪われる、真綿で首を絞めるような危険地帯だという。


「なるほどぉ。……あ、ってことは、傘を持っていった方がいいですか?」


 私が呑気に尋ねると、隣で一緒に聞いていたクロエが盛大なため息をついた。


「セレン。あなたのバリアは、雨粒だって1ミリ手前で全部弾き飛ばすでしょ。傘なんて差さなくても、あなたは絶対に濡れないわよ」


「あ、そっか」


「そういうこと! この厄介な環境干渉を完全に無視できるのは、世界で君の『孤星の絶対距離』だけなのよ!」


 局長は目をキラキラさせて私の両手(の1ミリ手前)を握りしめた。


「君なら、雨の重さも魔力吸収も一切受けずに、奥のエリアまでお散歩感覚で踏破できるはず!けど絶対に無理はしないようにね。先ずは進展があればそれで良いの。 頼んだわよ、セレン君!」


(お散歩かぁ。なら、お弁当は片手で食べやすいサンドイッチがいいな)


 そんなことを考えながら、私は「了解しました」と元気よく頷いた。


 ◇ ◇ ◇


『境界ターミナル』の転送陣から、指定されたビーコンの座標へとワープする。


 光が収まった瞬間、鼓膜を叩くような激しい雨音が響き渡った。


「うわぁ……ほんとに土砂降りだ」


 そこは、美しいガラス細工のような建物が立ち並ぶ、水没した廃都だった。


 空を分厚い雲が覆っているはずなのに、周囲は不思議なほど明るい。

 降り注ぐ雨粒のひとつひとつが、まるで砕けた月明かりのように淡い銀色に発光しているのだ。


 無数の光の滴が、水没した街のガラスに反射して、街全体が巨大な月のように青白く浮かび上がっている。

 それが『月涙の廃都』と呼ばれる所以だった。


 結界外に出たことで、私の全身を覆うシステムが強制起動する。


 ザーザーと降り注ぐ重く冷たい雨粒は、私の頭上や肩の「1ミリ手前」で見えないドーム状の壁にぶつかり、パシャパシャと弾け飛んでいく。

 足元の深い水溜まりも、私のブーツの裏から1ミリの距離で水面が凹み、絶対に靴を濡らすことはない。


『セレン、通信状況クリアよ。すごい雨ね……モニター越しでも雨粒の重さが伝わってくるわ』


「うん、でも私は全然濡れてないし、寒くもないよ。快適快適」


 私はクロエ特製の計測魔導具を片手に、パチャ、パチャ、と水没した美しい廃都の道を歩き始めた。


 昔の調査員たちが途中で引き返さざるを得なかった、未知のエリアのマッピング。

 私はただ歩いているだけなのに、計測器にはどんどん新しいデータが記録されていく。


(……)


 私は歩きながら、ふと自分の目の前に手をかざしてみた。


 淡い月の光を放つ雨粒が、私の手のひらの1ミリ手前で弾けていく。


 15歳の成人の儀でこのスキルをもらう前は、突然の雨に降られると、服が張り付いて気持ち悪かったし、体が芯から冷えてガタガタ震えたりもした。


 でも今は、どんな土砂降りの中にいても、雨の冷たさを感じることはできない。

 服が濡れる煩わしさも、雨上がりの匂いも、すべてが私の1ミリ手前で拒絶されてしまう。


 外の世界にいる限り、私はもう二度と、雨の冷たさを肌で感じることはないのだ。


(なんだか……あの冷たさが、ちょっとだけ懐かしいな)


 私は見えない壁に弾かれる銀色の雨粒を見つめながら、少しだけ胸の奥がキュッとなるのを感じた。


「……ま、いっか。濡れないってことは、お弁当のサンドイッチも絶対にふかふかのままだしね!」


 私は少しの感傷を頭の隅に追いやり、再び前を向いた。


 ◇ ◇ ◇


 廃都の奥へと進むにつれ、月の涙はさらに激しさを増していった。


 その時だった。


「ハァッ……ハァッ……! 冗談じゃないわよ、こんな所で……!」


 泥水に塗れながらも、身の丈ほどもある巨大な大剣を振り回しているのは、一人の女性傭兵だった。

 長い髪を雨に濡らし、気の強そうな吊り上がった瞳で魔獣を睨みつけている。


 だが、彼女の動きは明らかに鈍っていた。

 彼女が纏っているはずの身体強化のオーラが、降り注ぐ『魔力を奪う雨』によって、みるみるうちに霧散していくのが目に見えてわかる。


『セレン、あの女性、限界が近いわ! 魔力も体力も、あの特殊な雨に吸い取られている!』


「うん、そうだね……って、うわわっ、危ない!」


 最初は遠くから呑気に眺めていた私だけれど、巨大な魔獣が女性傭兵を完全に壁際へと追い詰めたのを見て、さすがに焦った。


『グシャァァァァァッ!!』


 魔獣が大きく口を開けた。

 その口の中に、周囲の月の雨水が凄まじい勢いで集束していく。

 超高圧のウォーターカッターを放つ気だ。


「くっ……! 舐めるなァッ!」


 女性傭兵は逃げ場がないと悟り、死を覚悟したように歯を食いしばって大剣を構えた。


(あのお姉さん、このままじゃ本当にやられちゃう!)


 いくら私がマイペースでも、目の前で人が襲われているのを見過ごせるほど薄情じゃない。


 私は慌てて小走りになり、水溜まりをパチャパチャと跳ねながら、彼女と魔獣の直線上に割り込むように進み出た。


「ちょっと待って! 今助ける!!!」


 私が懸命に叫んだその声は、激しい雨音に掻き消された。

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