第2話:安否を憂う。お弁当の
巨大な岩壁に激突した魔物は、ピクピクと痙攣したあと、完全に動かなくなった。
私はその亡骸には目もくれず、背負っていた鞄から小さな計測用の魔導具を取り出す。
そして、周囲の空気や土壌のデータを淡々と記録し始めた。
私たちが所属する『境界探査局』の主な仕事は、魔物討伐ではない。
広大すぎるこの国のあちこちに眠る、「未踏遺跡」や「既踏遺跡」の調査や生態記録など。
分かりやすく言えば「遺跡調査員」だ。
「セレン、周囲の魔力反応クリアよ。そのまま環境データの採取をお願い」
耳元のイヤーカフから、クロエの落ち着いた声が届く。
「ん。わかった」
私は魔導具のボタンを押す。
……正確には、私の指はボタンの「1ミリ手前」で止まっている。
この国では、15歳の成人の儀で『星の天球儀』から、一人一つだけ『星の刻印(固有スキル)』を授かる。
魔法や剣術は努力でどうにかなるけれど、この固有スキルだけは一生モノだ。
私のスキル『孤星の絶対距離』は、あらゆる事象を1ミリ手前で「拒絶」してしまう。
だから、普通の道具は操作できない。
今持っているこの計測器も、クロエが私のために特別に作ってくれた「1ミリ手前でも反応する」特注品だ。
(あーあ。結界の中にいれば、スキルが消えて普通に触れるのになぁ)
今朝、王都で乗ってきた『魔導トラム』のガタンゴトンという心地よい揺れを思い出す。
誰も魔法やスキルを使わず、自分の手足で生活する平和でアナログな街。
あそこなら、クロエの作ったお弁当だって素手でしっかり持てるのに。
「……お、おい! 貴様、何者だッ!」
背後から、震える声が響いた。
すっかり忘れていたけれど、魔物に追われて腰を抜かしていたエリート冒険者の男だ。
「俺は南の領主お抱えの特級騎士だぞ! なぜ俺の前に立ち塞がった! 俺のスキルを馬鹿にしているのかッ!」
恐怖を誤魔化すように、男がキャンキャンと吠え立てる。
結界の外では、こうして己のスキルや力だけを信じている戦闘狂や傲慢な人がとても多い。
男は腰の剣に手をかけ、私を威嚇してきた。
私はゆっくりと振り返り、男の顔を見つめる。
銀色の髪の間から覗く私の瞳は、周りからは「氷のように冷たく鋭い」と言われがちだ。
男は私の視線を受けた瞬間、ビクッと肩を震わせた。
「ひっ……!? な、なんだその目は……ッ! まるで感情のない、バケモノを見るような……!」
男の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
冷酷無比な『氷の処刑人』に見つめられ、命の危機を感じているのだろう。
でも、本当の私の頭の中は、全然違うことでいっぱいだった。
(……さっきの衝撃で、鞄の中のお弁当、ひっくり返ってないかな。クロエの卵焼き、形崩れてたら悲しいな……)
ただ、ぼーっとお弁当の心配をしていただけなのだ。
「ひぃぃッ! お、覚えてろよ! この恨みは必ず……ッ!」
(恨み???)
勝手に戦慄し、勝手に心を折られた男は、情けない悲鳴を上げながらジャングルの奥へと逃げ去っていった。
結界の中なら普通のおじさんなのに、外の世界だと大変そうだ。
「……なんか怒ってたね。ま、いっか」
私は小さく首を傾げ、再びジャングルの奥へと歩き出す。
イヤーカフ越しにクロエがクスクスと笑う。
「でも、目的地まではあと少しよ。そこを抜けたら視界が開けるはず」
「了解。草のフタ、ポイしちゃおっと」
鬱蒼と茂るジャングルの茨や毒の蔦が私に襲いかかってくるが、すべて1ミリ手前で見えない壁に弾かれる。
私はそれを「反発する力」でポンポンと横に弾き飛ばしながら、散歩でもするような足取りで進んでいく。
やがて、木々の隙間から眩しい光が差し込んだ。
「……わぁ」
思わず、感嘆の声が漏れる。
ジャングルを抜けた先に広がっていたのは、巨大なすり鉢状のクレーター。
そしてその中心には、天まで届きそうなほど巨大な『青銅の時計塔』が、重力を無視して静かに宙に浮いていた。
神話の時代に滅びた、超高度な魔法文明の痕跡。
古代遺跡『星食みの塔』だ。
「クロエ、見えたよ」
「ええ、こっちのモニターにも映像が来てるわ。すごい……外壁の歯車がまだ生きてるのね」
「今回はゆっくりとした探索じゃないのが残念」
クロエの声にも、隠しきれない興奮が混じっていた。
「よし。じゃあ、お弁当食べる前にお仕事終わらせよっと」
私はふわりと微笑み、巨大な浮遊遺跡へ向かって一歩を踏み出した。
第2話をお読みいただきありがとうございます。
ここでタイトルにある「タンタロス」についてのちょっとした説明を。
【神話のあらすじ】
タンタロスはギリシャ神話に登場する王様です。
彼は神々を試そうとして自分の子供を料理して振る舞うなどの大罪を犯し、神々の怒りを買って冥府に落とされてしまいます。
【与えられた永遠の罰】
彼が受けた罰は「永遠の飢えと渇き」でした。
彼はあごまで水に浸かり、頭上には美味しそうな果実がぶら下がっている場所に立たされます。
しかし、喉の渇きを潤そうと身をかがめると「水はスッと足元まで退いて」しまい、果実を食べようと手を伸ばすと「枝が風に吹かれて手の届かないところへ逃げて」しまいます。
「欲しいものが目の前(あと少し)にあるのに、永遠に手が届かない」
これが、いわゆる「タンタロスの責め苦」です
(ちなみに、英語で「じらして苦しめる」を意味する tantalizeの語源にも)。
本作のタイトルやスキルの裏設定にある『タンタロスの渇き』は、
この神話の罰の「概念」を落とし込んでいます。
一見すると「いかなる攻撃も届かない無敵の盾」ですが、
セレンにとっては外の世界じゃ「温かいスープが唇の1ミリ手前でこぼれ落ちてしまう」「大好きな相棒と素手で手を繋ぐことができない」といったような呪いとして機能しています。
目の前にある「日常の温もり」にあと1ミリのところで永遠に手が届かないという絶望感が、
タンタロスの受けた永遠の渇きの罰とリンクさせています。
(あくまでも結界内では普通の女の子です)
神話では「苦痛(罰)」として描かれたものを、
本作では「最強の無双能力の副作用」として再解釈しています。
「面白い」「次も読みたい」と思っていただけましたら、下からブクマ・星評価で応援していただけると嬉しいです!




