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第16話:相棒は天才エンジニア

 昨晩の温かいシチューの余韻が残る、休日の朝。


 私はアパートのふかふかなソファの上で、ダボダボのキャラクターTシャツとゆるゆるのジャージ姿のまま、だらしなくゴロゴロと転がっていた。


「んー……お休み最高ぉ……」


『星食みの塔』での過酷な数日間のフィールドワークを終えたばかりの私にとって、この結界内の平和な時間は何よりも代えがたい至福の時だ。


 そんな私とは対照的に、リビングの片隅にある工房スペースでは、朝からカタカタと小さな作業音が響いていた。


 クロエだ。

 彼女はいつものエプロン姿に、いかつい作業用ゴーグルを装着し、真剣な表情で私の仕事道具である漆黒のコートや計測器のメンテナンスをしてくれている。


 私はソファから首だけを伸ばして、ぼーっとその頼もしい背中を眺めていた。


「……ダメね」


 不意に、クロエが大きくため息をつき、手に持っていた工具をコトンと机に置いた。


「どうしたの、クロエ?」


「今手持ちにある素材じゃ足りない……この部屋の工具じゃ、加工の精度が全然足りないわ。特殊な伝導部品も切らしてるし」


 クロエはゴーグルをおでこに押し上げ、困ったように腕を組んだ。


「ちょっと局の『開発エリア』に行くわよ。セレンも、コートのフィッティング(寸法合わせ)があるから来なさい」


「ええー、お外行くの? 休日なのにぃ……」


「文句言わない! 誰の装備をメンテナンスしてると思ってるの!」


「はーい」


 オカンのようなクロエの号令に、私は渋々ソファから這い上がり、着替えを始めた。


 ◇ ◇ ◇


 身支度を整え、レトロな『魔導トラム』に揺られて、私たちは第一学術区にある『境界探査局シーカーズ』の本部へとやってきた。


 いつも報告書を提出する静かな受付や、図書館のような上の階とは違い、今日私たちが向かったのは、本部の地下深くに位置する『シーカーズ第零開発区』だ。


 分厚い防音扉を開けると、そこは完全に別世界だった。


「わぁ……なんかピカピカしててすごい」


 カンカンとリズミカルに金属を打つ音、プシューッと吹き出す白い蒸気、そして部屋のあちこちで青白く眩しい光を放つ巨大な魔力炉。


 そこは、クロエのような純粋な技術と科学を追求する、変態的(褒め言葉)な技術者たちが集う楽園だった。


 エリアの手前には、まるで博物館のような広々とした『モデルルーム』が併設されている。


 そこには、私たちが毎日乗っている魔導トラムの動力炉のミニチュアや、王都の街中で流通している便利な生活魔導具の試作品がズラリと並んでいた。


 結界内である『星の静寂(アストラルサイレンス)』の平和でアナログな生活は、実はこの地下にいるオタク気質な技術者たちの恩恵によって支えられているのだ。


 私とクロエが工作エリアの奥へと進んでいくと、作業着姿の技術者たちがチラホラとこちらに視線を向けてきた。


 寸法合わせのために私が着ている漆黒のコートを見るなり、彼らの顔がサッと青ざめる。


「おい、見ろよ……」

「ひっ、氷の処刑人……! なんであんな危険人物がこんなところに……」


 ガシャン、と工具を落とす音と共に、ひそひそと怯えたような囁き声が聞こえてくる。


(うーん、今日はお着替えしに来ただけなんだけどなぁ。……ま、いっか)


 相変わらずの不本意な評価に内心で首を傾げていると、奥から白髪のベテラン技術者が小走りで近づいてきた。


 彼も私を見て一瞬ビクッとしたものの、隣を歩くクロエに気がつくと、パッと顔を輝かせた。


「おお、クロエ君!今回の同期システムの論文、良かったよ。次も期待しているからね」


「はい!ありがとうございます」


 クロエは背筋を伸ばし、嬉しそうにハキハキと答えた。


(すごいなぁ。クロエってば、こんなに偉そうなおじさんたちにも尊敬されてるんだ)


 私は改めて、相棒の優秀さを誇らしく思った。


 ◇ ◇ ◇


 ベテラン技術者の案内で、私たちは最新鋭の機材と豊富なパーツが揃った特別工作エリアへと通された。


 クロエはすぐさまゴーグルを装着し、目にも留まらぬ手つきで私の装備のメンテナンスとアップデートに取り掛かった。


「よし、まずはこの漆黒のコートね。対魔力干渉布の表面をコーティングし直して、もっとツルツルに滑るようにしておいたわ」


 クロエが調整を終えたコートの袖を撫でながら言う。


「わぁ、ありがとう! これで、突っ込んでくる敵の攻撃がもっとツルッと滑って、ドーンって自滅しやすくなるね!」


 私が感覚的な言葉で喜ぶと、クロエは呆れたように笑った。


「相変わらずの表現ね。次はこれ、探索用の計測魔導具よ」


 彼女が手にしたのは、前回の塔の調査でも使った手のひらサイズの機械だった。


「塔の最深部で採れたコアのデータを活かして、センサーの感度を上げたわ。これで、指が1ミリ浮いた状態からでも、より広範囲の魔力残滓を拾えるようになるはずよ」


「おおー! すごい!」


「そして……最後がこれ。今日の本命よ」


 クロエが恭しく取り出したのは、一本の銀色のスプーンと、透明な薄いシートだった。


「新しく調整した食事用スプーンと、同調シートよ」


「あっ!」


 私の目が、今日一番の輝きを放った。


「前回の反省を活かして、バリアを透過する際の波長の安定性を極限まで高めたわ。これで、外の世界でもコーンポタージュが一滴もこぼれずに飲めるわよ」


「ほんと!? やったぁぁぁっ!!」


 私は思わず飛び上がって喜んだ。

 外の世界では、私の唇の1ミリ手前でスープが弾け飛んでしまう。


 でも、クロエが特別に波長を合わせてくれたこのアイテムを使えば、口に入れる瞬間だけバリアを透過して、温かいご飯を直接味わうことができるのだ。


 過酷なフィールドワークの中で、美味しいご飯が食べられるかどうかは、私にとって文字通り死活問題だった。


 ◇ ◇ ◇


 クロエの作業を見ていた先ほどのベテラン技術者が、調整されたスプーンと同調シートを覗き込み、驚愕の声を漏らした。


「……おいおい、よくそのスキルを応用したな。対象との距離を1ミリの隙間で完全に固定する魔力波長なんて……どれだけ深淵に潜って研究したんだ??」


 彼は信じられないものを見る目で、舌を巻きながらクロエを見つめている。


 クロエの固有スキル『微星の円環(リトルオービット)』は、小さな光の球を周回させるだけのハズレスキルだ。

 だが彼女は、その「見えない軌道に沿って距離を保つ」という現象の理屈を独学で極め、こうして私のためのアイテムや、世界最高の通信機を生み出している。


「いえ、まだまだです。セレンが外の世界で安全に活動し、温かいご飯を食べるためには、もっと精度を上げないと」


 謙遜するクロエの横顔を見つめながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


 私はクロエのおかげで生かされている。彼女には深く感謝していることを、改めて実感する。

 この呪いのようなスキルのせいで、外の世界ではすべてを拒絶してしまう私。


 けれど、クロエの天才的な技術と優しい心があるからこそ、私は絶望せずに生きていられるのだ。


 そして、私たちフィールドワーカーの調査結果などが、こうしてクロエたち技術者の研究にも活かされたりする。


 だから私は、彼女のためにもっとお仕事を頑張らないと。


 私は決意を新たに、メンテナンスが完了したばかりの漆黒のコートに袖を通した。

 スリットの入ったスタイリッシュなデザインが、私の体にぴったりとフィットする。


「よし、着心地バツグン! これで次の任務もバッチリだね!」


 私はビシッと、外の世界で見せるようなクールな氷の処刑人っぽくポーズを決めてみせた。


 ――ズルッ。


「あわわっ!?」


 しかし、ここは結界の中。


 すべてのスキルが無効化され、私はただの運動神経の悪いポンコツな女の子に戻っている。


 勢いよくポーズを決めた反動で、私は自分の真新しいコートの裾を思いきり踏んづけてしまった。


 ドテッ!!


 床に派手に転がり、情けない音を立ててしまう。


「……えっ?」


「あの氷の処刑人が、何もないところで転んだぞ……?」


 遠巻きに見ていた技術者たちが、ポカンと口を開けて固まっている。


「い、痛ぁい……」


「はいはい、怪我はない? 全く、少しは大人しくしてなさいよね」


 呆れ顔のクロエが、大きなため息をつきながら手を差し伸べて、私を引っ張り起こしてくれた。


「えへへ、ごめんごめん」


 私は照れ笑いを浮かべながら、その温かい手をしっかりと握り返した。

 外の世界では絶対に届かない、1ミリの壁を越えた確かな感触だ。

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