尚美と正人 その4
そうして、いつの間にか尚美は足繁く正人の元へ通うようになり自然と恋人と呼ぶ関係となっていた。
部屋の隙間から吹き込んでいた冷風がすっかり暖かな空気に変わった頃、尚美は大きなキャリーバッグを傍らに置くと手にしていたパスポートと旅券をショルダーバッグに詰め込んだ
「今回は1週間くらいの出張になるけど、帰って来たら少し休みが貰えそうだから、そしたら海とか山とかどこか行こう」
「うん。良いね」
尚美は海外の食料品や雑貨などを輸入販売している貿易会社に勤めており、商品の買い付けで海外を飛び回っている事が多く、恋人とゆっくり過ごす時間はあまり取れてはいなかった。日本を発つ前夜、泊まりに来ていた尚美と正人はほんの少しばかりの時間を過ごしていた。束の間の幸せはあっという間に過ぎ陽を迎える
「またしばらく会えなくなるけど、体調にはくれぐれも気を付けてね」
「うん、大丈夫」
「あと冷蔵庫にご飯の作り置きがしてあるから、ちゃんと温めて食べるんだよ」
「うん、ありがとう」
「あと絵を描き始めると集中しすぎて、まわりが見えなくなっちゃうけどバイトは忘れずに行くんだよ」
「うん、気を付ける」
「それと…」
「尚ちゃん、飛行機の時間に間に合わなくなるよ。タクシーも下で待ってるんだから」
「う、うん…そうだね」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。僕よりも尚ちゃんのが海外なんだから気を付けるんだよ」
色々と口煩く言う尚美の姿も、訳あって家族から離れ一人暮らしをしている正人には心地よく感じていた
アパートの前に停められたタクシーに乗り込むと、尚美は寂しげに正人の顔を見上げる。出会った当初の青白く痩せ痩けていた印象の顔立ちは、僅だが精悍さが感じられるくらいには進歩していた
「じゃあ、行ってきます…お土産いっぱい買って来るね」
「うん、楽しみにしてる。いってらっしゃい」
タクシーはゆっくりと走り出す。後部座席で懸命に手を振る尚美の姿が段々と遠退いて行く。正人の手を振る姿はもうタクシーからは確認が出来ないかもしれない。
それでも正人は尚美を想い、いつまでも手を振り続けていた。




