二号車 『テイク・ザ・エム・トレイン』
落雷だ。
あまりのことに驚き、声にならない声をあげてしまった。
その時、機関車がゆっくりと動いた。
車体が軋む音が微かにしている。
いや、動く訳がない。
しっかりと設置されていた筈だ。
地震か?
そんなことが頭を過った瞬間、別の音がそれを遮った。
泣き声だ。まだ子供が乗ってたのか?
渾身の出発進行を聞かれてしまったかもしれない。……とか言ってる場合じゃぁない。
プラットホームに出ると、足元がかなり揺れている。
泣き声は客車の方からのようだ。
白テントからは案内員がこちらをみている。一目で驚きがわかる表情だ。……が、何かおかしい。
構わず、よろよろとしつつも声の方へ向かうが、窓からよく見えないところのようだ。……扉は最後端にある。……そこで気づいた。
後端の扉の奥に窪んだ所、その狭い隙間。
そこに泣き声の主がしゃがみ込んでいた。
何とか客車の扉に辿り着くとそのまましゃがみ込んだ。
客車には乗れないようだ。……そういえば俺も乗った記憶がない。
木製の扉の取っ手にしがみ付きながら泣いている。
歳の頃は三つか四つか、男の子のようだ。
まだ揺れが続く中、よろけながらも近づくと一緒に下に降りようと促した。会話にはならない。泣きながらママの連呼を叫び続けるだけだ。無理もない。
他には誰もいないようだ。母親の姿も見えない。
その時、また光った。――が、雷じゃない。
窓から見えた中の客席では、ジジジジっと音を撒き散らしながら客車のあちらこちらから放電のようなものが起こり始めた。……ヤバそうだ。
こちらに近づいている気がする。
「いこう!」
泣き続ける子供を抱きかかえると、扉に体をぶつけながら立ち上がった。
子供を抱えた分、さらに動きにくい。とにかくここから離れなければ……異常すぎる。
何とか抱きかかえて歩を進めると、離れたところから誰かを呼ぶ声が聞こえた。
咄嗟に目をやると男性が、辺りを見渡しながらこちらに小走りで近づいて来る。
かなり慌てた様子だ。子供の母親は見当たらない。
しかし、やはり何かおかしい。
この機関車の辺りは、うねるように揺れている。
――が、プラットホームの向こう側はなんともないようだ。
目の端に見えている白テント、ここもなんともないように見える。
案内員は皆、ぼう然としている。
――ここだけが何故か揺れている?
なんとかプラットホームを進むと、先ほどの男性がこちらに気づいたようだ。
駆け寄ろうとしているが、こちらは辺り一面がうねうねと暴れている。
もはや大時化の海原かと見紛う異常さだ。
地鳴りもはっきりと聞こえている。
向こうからは近づこうにも近づけないようだ。
俺は、プラットホームの階段へ急いだ。……思うように歩けない。船酔いしそうなほどだ。
なんとか運転席の辺りまで戻ったところで事態が急変した。
車内で起きていた放電がプラットホームや地面から起こり始めた。
――同時に、機関車を中心に辺り一帯の地面が崩れ出した。
俺も子供を抱えたまま、プラットホームごと沈み始めた。
機関車と客車は絶賛沈降中だ。まったく洒落にならない。
あっという間にその場の全てが足場を失った。
このままでは落ちる。いや、もう落ちてる最中だ。
その時、男性に気づいたのか、腕の中の子供が叫んだ。
「ぱぱ!」
父親確定だ。――って、ママじゃないのか。ツッコむ冷静さはまだある。
距離にして二メートル足らず。――猶予はない。
渾身の力で、子供を父親の方へ投げ上げた。
反動で自分の体が後方へ流され落ちる。
と、そこには自分と一緒に落ちてゆく機関車の運転席があった。
そのままそこへ放り込まれた。
そして更に落ちていく。
見上げると、宙に投げ出された子供は、しっかりと父親の腕で受け止められていた。
こんな状況だが少しは安堵したみたいだ……思わず一言漏れた。
「……駅弁」
――機関車は落ちていった。俺を乗せて。
……真っ暗で、もう何も見えなくなった。
――
――とても長い時間が過ぎている気がする。
死の間際に見るというアレだろうか?
いや、走馬灯らしきものはまだ見ていない。
あんなに沢山買った駅弁や銘菓の数々を食べることも出来なかった。
それが唯一の心残り……いや、唯一じゃない。断じて。
そもそもこれは一体どうしたものか?
それなりの速度で落ちている……筈だが、何かおかしい。
尻の下には、冷たい鉄の感触がある。確かに機関車の中だ。
落下している筈だが、体が宙に浮く感覚はない。
……むしろ前に進んでいるようにすら思える。
まるで真っ暗なトンネルを進んでいるような感覚だ。
――しかし一向に止まる気配が無い。
時間を確かめたいという余裕まで出てきた。
ポケットを探りスマホを取り出すが、なぜか電源が入らない。
今度から時計くらい腕に……付けなくてもせめてポケットに入れておくようにしよう……
と、思ったところで、以前同じようなことを思い、懐中時計を持つことにしたのを思い出した。……普段使わないので、入れっぱなしで忘れてた。
そんな用意周到な自分を自画自賛する為にも、デニムから垂れたチェーンを手繰る。ポケットから取り出すと、竜頭のボタンを押し込んだ。
銀製の外蓋が小気味良い音を立てて開く。
……暗くて見えない。
……そりゃそうか。
骨董市で見つけた、お洒落懐中時計だからなぁ……
外蓋につけられた天馬のエンブレムが少年の心を鷲掴みにして、衝動買いした逸品だ。……暗くて今は見えないが。
しかもアラームにベルとオルゴールが鳴る優れものだ。……調子が悪くて、ベルは鳴らないし、曲も何だかわからんが。
……もっと実用的なやつにすればよかっただろうか?
一時の『少年の心』に流され、お洒落懐中時計を選んだが……今度はライト付きのお洒落懐中時計を選ぼう……今度があったら。
そんな、心底どうでもいいことを考えていると、進行方向であろう先に眩しい光が見えてきた。
いや、何も見えないくらい眩しい。
光が広がっているのか、近づいているのか、どんどん大きくなる。
同時に、意識が薄れてゆく。このまま眠ってしまいそうだ……
その時、不意に誰かに呼ばれた気がした。
あたりの様子が全く分からないが、人の気配がしたような気もする。
それも、かなりの人数がいる気配を感じる。
……落下しているはずだが……?
気を取り直し、その方向へ振り向くと『それ』が見えた。
――黄金に輝く羽が舞い散っていた。
その羽は何故か、こちらに差し出されたように感じられた。
何も考えずそれを掴もうとした。
伸ばした手がそのうちの一つに触れた。
途端、羽は光の粒になって消えてゆく。
羽がすべて消えてしまう……
少し残念な……惜別の情が湧いた……とか感傷に浸ってる場合ではない。
続けざまに自分の手まで粒になって消え始めた!
咄嗟に手を引き戻した。が、それは止まることなく手から腕へ、肩へと広がりつつ消えていく。
視線を落とせば足元も消え始めていた。
既に辺りは眩しい光に包まれて、やがてなにも見えなくなるだろう。
機関車も光の粒に変わってしまうようだ。
……意識が薄れてゆく中、遠くに汽笛が聞こえた気がした。
……記憶してるのはここ迄だ。
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