第40話 『霧の中の飛龍』
巣の中に残された、ひとつの卵。
しかし、その親であった飛龍は――もう戻ることはない。
しばらく沈黙が流れる。
だが、シオンは何も言わなかった。
ただ静かに、その卵を見つめている。
「……。」
ジュンが気まずそうに口を開く。
「シオン様……。」
レオンも静かに言葉を選ぶ。
「先ほどの件ですが……あれは不可抗力ですな。」
「ええ。あの飛龍はこちらへ向かって飛来していました。」
「シオン様が判断されたのは、我々を守るためです。」
ジュンも頷く。
「そうそう。あれは仕方ないって。誰だって、あんな速度で突っ込んできたら防ぐしかないって。」
しかし、シオンは二人の言葉を聞きながらも、表情一つ変えなかった。
思えば――
全属性魔法極大解放・深層昏睡で、一瞬にして眠らせることもできた。
だが。
(しばらく使っておりませんでしたもので……すっかり忘れておりましたわ。)
シオンは心の中で小さく反省する。
「……。」
レオンが少し心配そうに尋ねた。
「シオン様?」
すると、シオンは卵へ静かに視線を向け、いつもの優雅な微笑みを浮かべた。
「分かっておりますわ。」
「次からは、もう少し手加減いたします。」
「ですが……この子には、親を失った理由など分かりませんもの。」
シオンはしばらく卵を見つめていた。
そして、そっと手を伸ばす。
「……この子には、罪はありませんわね。」
レオンとジュンは黙って見守る。
シオンは卵へ優しく触れると、穏やかに微笑んだ。
「ならば、私が親代わりになるとしましょう。」
「……え?」
ジュンが目を丸くする。
「シオン様が……親代わり?」
「ええ。」
シオンは当然のことのように答える。
「生まれる前に親を失った命を、そのまま置いていく理由などありませんもの。」
レオンは静かに頭を下げた。
「……さすがですな。」
「力ある者が、力なき者を守る。それこそが本来あるべき姿なのかもしれません。」
ジュンも苦笑する。
「いや……竜の子の親になる人なんて、初めて見たぞ。」
シオンは卵を優しく抱き上げる。
「大丈夫ですわ。」
「この子が立派な飛龍になるまで、しっかり見届けますもの。」
霧深い禁域の奥。
そこで一つの新しい絆が生まれようとしていた。
シオンは静かに手をかざした。
「では、この巣ごと異空間へ移しましょう。」
すると、巣を包むように淡い光が広がる。
卵はみるみるうちに手のひらサイズになり、そのまま姿を消した。
しかし――
「……。」
光が止まった。
シオンの視線が、巣の奥へ向く。
そこには……。
骨。
そして、また骨。
長い年月を経た、無数の白い欠片が静かに積み重なっていた。
ジュンの表情が曇る。
「……これって。」
レオンも黙って見つめる。
「ここで力尽きた者たち……ですな。」
シオンはしばらく沈黙した後、静かに頷いた。
「仕方ありませんわ。」
「この方々も、ここへ辿り着いた理由があったのでしょう。」
そして、古木の根元へ歩み寄る。
「せめて、安らかに眠れる場所へ。」
シオンの魔法で土が優しく開き、骨は一つずつ丁寧に納められていく。
その時だった。
カラン――。
小さな音が響く。
土の中から出てきたのは、古びた指輪。
さらに、文様が刻まれた短剣。
そして、ところどころ破れた衣服。
レオンはそれらを拾い上げ、目を細めた。
「……これは。」
「ただの遺品ではありませんな。」
ジュンも覗き込む。
「何か分かるのか?」
レオンは静かに頷く。
「この方々にも、帰る場所があったはずです。」
「ならば――」
「これらは、転生陣へ送るべきでしょう。」
シオンは微笑む。
「ええ。」
「最後くらいは、家族の元へ帰れるようにしてあげましょう。」
霧深い禁域の中。
消えた者たちの想いだけが、静かに王城の広間へ送られていった。
「こうして」
飛龍の卵を異空間へ収めた三人は、再び禁域の入口へ戻ってきた。
目の前には、あの古びた立て看板。
『この先、禁域。立入禁止』
その向こうには、これまでと変わらず、霧に包まれた静かな水面。
そして足元――光がきらめき、漂うターコイズ色の水中に、苔むした階段が遥か下へと続いている。
レオンは静かに息を吐いた。
「いよいよ……ですな。」
ジュンは水面を覗き込み、眉をひそめる。
「いや、ちょっと待て。」
「この階段……水の中にあるんだよな?」
シオンは何でもないように頷く。
「ええ。」
「では、進みましょう。」
ジュンが呆れた顔で尋ねる。
「いや……でも、水の中だぞ?」
「息できないだろ?」
するとシオンは、きょとんとした表情を浮かべた。
「まあ……。」
「その程度でしたら問題ございませんわ。」
レオンが首を傾げる。
「その程度……ですか?」
シオンは扇子を開き、何でもないことのように微笑む。
「私、この身で前世では月まで行きましたもの。」
「……。」
「……。」
レオンとジュンの動きが止まる。
数秒の沈黙。
ジュンが小さく呟いた。
「……月?」
「空に浮かんでる、あの月?」
「ええ。」
シオンは当然のように頷く。
「ですから、水中程度で困ることはありませんわ。」
レオンは深く息を吐いた。
「改めて思いますが……シオン様の基準は、我々とは少々違うようですな。」
ジュンは頭を抱える。
「いや、水に潜る話から、なんで月旅行の話になるんだよ……。」
シオンは優雅に笑った。
「昔、月が二つあった時の話ですわ。」
「さて、そろそろ参りましょう。」
三人は、水面の下へ続く苔むした階段へ向かった。
その先に待つのは――
創造主の残した、深き迷宮。
最初、水中へ踏み込んだ二人は――
「うわっ!」
ジュンは思わず手を伸ばした。
水の中では身体の感覚が変わる。
足元は浮き、方向感覚も狂う。
レオンも慎重に一歩を踏み出す。
「……これは、慣れるまで少々時間が必要ですな。」
だが、数分もしないうちに二人は徐々に水中での動きに慣れ始めていた。
「……おかしいな。」
ジュンが首を傾げる。
「俺……普通に息してるぞ?」
レオンも同じように確認する。
「確かに……。」
「ですが、仕組みは全く理解できませんな。」
周囲は完全な水の中。
それにも関わらず、苦しさは一切ない。
まるで地上と変わらない感覚だった。
シオンは振り返る。
「難しく考える必要はありませんわ。」
「必要な環境にしているだけですもの。」
ジュンは苦笑した。
「いや、それが一番分からないんだけど……。」
三人はさらに深く、深く沈んでいく。
しかし――
そこは本来なら光など届かない深淵。
それでも周囲は明るかった。
壁面には古代の文字。
水中とは思えないほど鮮明に見える。
レオンが周囲を見渡す。
「これほど深い場所で……明かりがあるとは。」
ジュンも驚く。
「誰かが置いたのか?」
シオンは静かに前を見る。
「恐らく、創造主が残したものですわね。」
「この程度の小細工……と言ってしまえば、それまでですけれど。」
レオンとジュンは顔を見合わせる。
(……シオン様基準では、小細工なのですな。)
誰も到達できなかった水底の迷宮。
そこは暗闇ではなく――
創造主の足跡を示す、静かな光に満たされていた。
(第41話へつづく)




