第38話 『星の女神降臨』
レオンが剣を掲げる。
「星の女神シオン・ド・ラ・ローザ様、ご降臨!」
シオンは困ったように微笑むと、レオンの耳元へそっと顔を寄せ、小声で囁いた。
「レオン。」
「また、そのような呼び名ですの?」
「私は、ただの伯爵令嬢ですわ。」
レオンは恭しく、一礼する。
「ですが、この世界で、その御姿を目にした者が、伯爵令嬢と呼ぶとは思えません。」
すると、隣にいたジュンが首を傾げる。
「え?」
「シオン様って、この前までは賢者じゃなかった?」
シオンは思わず苦笑する。
「その世界、その世界で、皆さま好き勝手に呼んでくださいますの。」
「賢者になったり、女神になったり……。」
「私は一度も、そのように名乗った覚えはありませんのに。」
ジュンは肩をすくめる。
「なるほど……。」
「シオン様って、どこへ行っても勝手に二つ名が増えていく人なんだ。」
シオンは静かに三色の小瓶へ視線を向けた。
「私の薬を、このようなことに使われましたのね。」
「それでは――。」
「返していただきますわ。」
パチン――。
シオンが指を鳴らした瞬間。
赤い薬を飲んだ者たちの身体から、一斉に赤い光が抜けていく。
「なっ……!」
「力が……!」
全身から力が失われ、立っていることさえ困難になる。
「し、身体が動かん……!」
次に、黄色い薬を飲んだ者たち。
傷口が再び開くことはない。
だが、治癒の力は完全に失われ、痛みだけが戻る。
「ぐあぁっ!」
「傷が……痛む!」
そして――。
眠り薬で倒れていた王や側近たちが、ゆっくりと目を覚ました。
「……ここは?」
「何が起きたのだ?」
ガルドは顔色を変える。
「ば、馬鹿な!」
「薬の効果が……!」
シオンは静かに微笑む。
「私が作った薬ですもの。」
「持ち主が返していただくだけですわ。」
その直後――。
「重力魔法。」
ズンッ!!
広間全体に凄まじい重圧が降り注ぐ。
ガルドをはじめ、反王派の兵たちは一斉に床へ叩きつけられた。
「がはっ!」
「ぐっ……!」
呼吸さえままならない。
指一本動かせない。
シオンはゆっくりと歩み寄る。
「薬は、人を救うためのもの。」
「権力は、人々を守るためのもの。」
「それを履き違えた結果が、今のあなた方ですわ。」
アゼル・ドラグニア国王と、その傍らにいた王妃、そして王女セレナは、ゆっくりと目を覚ました。
互いに顔を見合わせる。
「……何が、起きたのだ?」
国王が戸惑いの声を漏らす。
レオンは剣を納めると、国王の前で片膝をついた。
「国王陛下。」
「ガルド殿が謀反を起こし、陛下を亡き者にしようといたしました。」
国王は驚愕の表情でガルドを見る。
「……何だと。」
レオンは静かに頷いた。
「しかし、ご安心ください。」
「今、この場には――。」
レオンはゆっくりと振り返る。
真紅のドレスをまとい、銀色の長い髪を揺らす一人の女性へ視線を向けた。
そして、高らかに告げる。
「我が師、『星の女神』シオン・ド・ラ・ローザ様がご降臨なされ、反逆者どもへ裁きを下してくださいました。」
国王とセレナは、その言葉に息を呑み、ゆっくりとシオンへ視線を向ける。
真紅のドレスをまとったその姿は、まるで星々の輝きを背負って立つかのような、神々しい存在だった。
その時だった。
ガルドたちのすぐ後方で、空間がゆらりと揺らぐ。
「隠蔽解除。」
何もない空間から、ジュンが姿を現した。
「ひっ!?」
兵士たちが驚く中、ジュンは床へ這いつくばるガルドたちを軽々と踏み越え、シオンの隣まで歩いてくる。
そしてレオンに倣い、片膝をついて国王へ深く頭を下げた。
「初めまして。」
「ジュンと申します。」
「シオン様のお供をしております。」
そう言うと、シオンはスカートの裾を軽くつまみ、優雅なカーテシーを披露した。
「初めまして、アゼル・ドラグニア国王陛下。」
「シオン・ド・ラ・ローザと申します。」
国王は、その姿をしばらく見つめていた。
「……何と。」
「星の女神様が、このような礼を尽くされるとは。」
国王は静かに立ち上がる。
玉座から降りると、シオンの前まで歩み寄り、胸に手を当てて深く一礼した。
「この国をお救いくださったこと、ドラグニア王国を代表して、心より御礼申し上げます。」
「そして、このご縁に心より感謝いたします。」
国王はガルドたちを一瞥すると、その表情から温情を消した。
「衛兵!」
「この反逆者どもを、ひっ捕らえよ!」
「一人残らず牢へ入れよ!」
「ははっ!」
兵士たちは一斉にひざまずくと、ガルドたちへ駆け寄った。
シオンは軽く指を鳴らす。
重力魔法が解消した。
国王は穏やかに微笑む。
「星の女神様。」
「もしよろしければ、今宵、感謝の意を込めて晩餐をご用意したく存じます。」
シオンは一瞬だけ微笑みを止めた。
(……そういえば。)
昼間、王都の露店に並んでいた食材が脳裏をよぎる。
巨大な虫。
得体の知れない魚。
見たこともない魔獣の内臓。
(……王城も、同じ食材ですわよね。)
レオンも同じことを思い出したのか、シオンへそっと視線を送る。
ジュンも苦笑しながら小さく頷いた。
三人の視線が交わる。
(丁重に、お断りいたしましょう。)
その意思は、一瞬の目配せだけで伝わった。
シオンは何事もなかったかのように優雅な笑みを浮かべる。
「国王陛下。」
「そのお気持ちだけで、十分でございますわ。」
シオンは優雅に微笑み、軽くカーテシーを見せた。
「国王陛下。」
「お心遣い、誠にありがとうございます。」
「ですが、私どもは旅の途中。」
「先を急いでおりますので、お気持ちだけ頂戴いたしますわ。」
国王は残念そうに頷いた。
「……そうですか。」
シオンは穏やかな笑みを浮かべたまま、続ける。
「ところで、一つお聞かせ願えますでしょうか。」
「この辺りに、迷宮や古代遺跡のような場所はございませんこと?」
国王は少し驚いた表情を見せる。
「迷宮……ですか。」
国王は少し考え込むように目を閉じた。
「……迷宮ではありませんが。」
「王都の北に、古くから『禁域』と呼ばれる場所があります。」
シオンは静かに耳を傾ける。
「禁域……ですの?」
国王は重々しく頷いた。
「あそこは、一年中、濃い霧に覆われた湿地帯。」
「足を踏み入れた者の多くは、二度と戻っては来ません。」
「魔物に襲われたのか、それとも霧に惑わされたのか……。」
「誰にも分からぬまま、古くから立入禁止の地となっております。」
レオンは腕を組む。
「なるほど……。」
ジュンは少し身を乗り出した。
「そういう場所って、いかにも何かありそうだよね。」
シオンは優雅に微笑む。
「ありがとうございます、国王陛下。」
「どうやら、次に向かう場所が決まりましたわ。」
(第39話へつづく)




