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第31話 『神の使いの噂』

その話を聞いた門兵たちは互いに顔を見合わせた。


一人の門兵が、ゆっくりと執務室の隣の倉庫の扉へ視線を向ける。


そこには、一週間もの間、不平一つ言わず、静かに過ごしている二人の異国人の姿があった。


「……まさか。」


「神の使いってのは……あの二人じゃないだろうな。」


その言葉に、その場にいた門兵たちは一斉に息を呑む。


やがて王都全体を揺るがすことになる出来事が、静かに動き始めようとしていた――。



シオンとレオンは、相変わらず門兵隊長の執務室の隣にある一室で過ごしていた。


石造りの壁と床。


窓には頑丈な鉄格子。


夜になれば外から鍵が掛けられるため、門兵たちは「二人は部屋で大人しく休んでいる」と信じて疑わなかった。


しかし、その部屋は、もはや最初の殺風景な姿ではなかった。


「少し、居心地を良くいたしましょう。」


そう言ってシオンはスカートの裾の見えない埃をパパッと払い、軽く指を鳴らす。


何もない空間がゆらりと揺らぎ、豪華な寝台や彫刻が施された長机、柔らかなソファ、美しい絨毯、銀細工の紅茶セットが次々と姿を現した。


レオンは苦笑する。


「……もう、王城の客間より豪華ですぞ。」


シオンは優雅に紅茶を口へ運び、微笑んだ。


「旅は快適であるべきですもの。」


もちろん、門兵たちはその様子を知らない、不思議な旅人なのだろうとしか思わない。


この世界では魔法など、おとぎ話。


ましてや空間から物を出し入れするなど、誰一人として見たことがなかったからだ。


だが、それすらシオンにとっては仮の姿に過ぎない。


本来なら、魔法袋すら必要ない。


異空間そのものを自在に扱えるシオンは、あえて旅人らしく振る舞うため、収納道具を使っているように見せていただけだった。


そして夜――。


門兵たちが酒を飲み終え、見張りの交代を済ませる頃。


シオンは静かに倉庫兼寝室の重厚な扉を閉めた。


「鍵が掛かる音を確認して。」


「では、参りましょうか。」


レオンは慣れた様子で頷く。


次の瞬間。


誰にも気付かれることなく、小さな転移陣が音もなく開く。


二人はその光の中へ足を踏み入れた。


向かう先は――。


王都の中心。


誰一人として二階層へ辿り着いたことのない、奈落の大迷宮。


だが、シオンとレオンは、この一週間、毎夜そこへ潜り続けていた。


冒険者と鉢合わせしないよう、一階層と二階層の魔物には一切手を出さず、そのまま深部へ。


気付けば、二人は既に二十九階層へ到達していたのである。


そして今夜――。

二人は三十階層へ足を踏み入れようとしていた。



シオン。


「今までの経験からすると…そろそろ、最深部の気がしますけれど。」



レオン。


「ですね。」


レオンは迫り来る魔物を次々と斬り伏せながら答える。


「ここまで来ると、魔物の強さも随分と増しました。」


「ですが、まだ足りませぬな。」


剣を振るうたび、魔物たちは音もなく崩れ落ちていく。


シオンは周囲へ静かに視線を巡らせた。


「ええ……。」


「ですが、この空気。」


「壁て輝く鉱石の種類と数。」


「二十九階層までとは、少し違いますわ。」


その瞬間だった。


ゴゴゴゴゴ……。


迷宮全体を震わせるような低い地鳴りが響く。


二人の前方で、巨大な石壁がゆっくりと左右へ開き始めた。


長い年月、一度も開かれることのなかったかのように、重々しい音を立てながら。


その奥から流れてきたのは、濃密な魔力。


そして――。

「……来ましたわ。」


シオンは静かに微笑む。


「どうやら、この迷宮の主がお出迎えのようです。」


レオンも剣を構え、口元を緩めた。


二人はゆっくりと、開かれた大扉の先へ足を踏み入れた――。


そこは、異様なほど静まり返っていた。


魔物の姿はない。


気配もない。


レオンは眉をひそめる。


「……誰も、おりませんな。」


シオンは静かに目を細めた。


「いいえ。」


「いますわ!。」


「それも、かなりの実力者です。」


レオンが周囲へ視線を巡らせた、その瞬間――。

キィンッ!!


鋭い金属音が迷宮に響く


「ぐっ!」


レオンの肩口を、一閃の刃がかすめた。


鮮血が石床へ飛び散る。


しかし、そこに敵の姿はない。


シオンは微笑みを消し、静かに呟く。


「……隠蔽系のスキル。」


「姿だけでなく、気配まで消していますのね。」


「この重力の中で、この俊敏さ……。」


シオンの瞳が鋭く細められる。


「なるほど……。」


「隠蔽だけではありませんのね。」


「レオン、下がってください。」


レオンは肩を押さえながら、一歩後ろへ退く。


「……申し訳ありません、シオン様。」


「一瞬たりとも姿を捉えられませんでした。」


シオンは静かに微笑む。


「お気になさらず。」


「ここからは、私が相手をいたしますわ。」


その瞬間――。


シオンの周囲だけ、空気が静かに張り詰めた。


次の瞬間――。


「あぁぁぁっ! 痛たたたたっ!」


「まいった! まいったって!」


「降参! 降参だから!」


幼い少年の声が、何もない空間から響いた。


「……子供?」


レオンは肩を押さえたまま目を見開く。


「なぜ、このような場所に……。」


シオンは一瞬だけ、僅かに歪んだ空間を見逃さなかった。


「そこですわ。」


静かに右手を掲げる。


重力魔法グラビティアタック。」


瞬間、見えない何かが地面へ叩きつけられた。


ドサッ!


空間の歪みが消え、一人の小柄な少年が姿を現す。


「いててて……。」


「だから降参だって言ったのに……。」


シオンは少年を見下ろし、静かに微笑んだ。

「ようやく、お姿を見せてくださいましたわね。」


シオンは少年へ静かに歩み寄る。


「さて――。」


「あなたは、どなたですの?」


少年は重力に押さえつけられたまま、苦笑いを浮かべる。


「先に名乗るのが礼儀じゃないのか?」


シオンは優雅に微笑んだ。


「失礼いたしましたわ。」


「私は賢者シオン・ド・ラ・ローザ。」


「こちらは剣聖レオンです。」


「では改めて、お聞きします。」


「あなたは、どなたですの?」


少年は苦しそうな表情を浮かべながらも、ニヤリと笑った。


「僕は、エルフ族のガイアさ!」


「それにしても、自分で『賢者』なんて名乗る奴もいるんだな!」


ガイアはレオンへ視線を向ける。


「まっ、そこの弱っちい剣聖よりは、ずっとマシだけどな!」


レオンは肩の傷を押さえながら苦笑した。


「……言ってくれますな。」


シオンは微笑みを崩さない。


「口がお達者ですこと。」


そう呟くと、右手の指先をわずかに動かした。


次の瞬間――。


「ぐっ……!?」


ガイアの身体に掛かる重力が、さらに増した。


ミシッ……。


骨が軋むような音が響き、ガイアの顔がみるみる青ざめる。


「い、痛い痛い痛いっ!」


「まいった! 本当にまいったって!」


「お願いだから解いてくれぇ~! 苦しい~っ!」


(第32話へつづく)



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