第11話「元・魔王シオン様、隣国の森で迷子
「さて、それでは、この厄介な欠片を取り除きましょうか」
シオン様にとって、それは至って簡単な作業だった。
彼女が白く細い指先で、システム内部に挟まっていた“未知の欠片”をつまみ上げる。
パキッ。
たったそれだけだった。
すると、世界中に広がっていたバグは、まるで霧が晴れるように細かな光の粒となって空へ舞い上がり、音もなく消えていく。
魔獣も。
異常な魔力も。
世界を覆っていた災厄そのものが、データの修復と共に存在を失っていった。
「これでよろしいですわ」
シオン様は何事もなかったかのように扇子を閉じた。
その頃、外界では──。
「──おい! 魔界の小悪魔どもめ、観念して捕まりやがれ!」
「くそっ、人間のくせになんて数だ……! 偵察だけのつもりが、どうしてこんなことに!」
魔獣騒動も終息した頃。
ここは魔界と国境を接する隣国の、鬱蒼とした森の中。
若造魔王の命令で、人間の国へ偵察(無駄な市場調査)に来ていた十人の悪魔軍は、運悪く人間の近衛騎士団に見つかり、ボロボロになりながら国境へ向けて逃げる途中で完全に包囲されていた。
「ハハハ! 魔界の悪魔も大したことはないな! 全員生け捕りにして、見せしめにしてくれるわ!」
「ここまでか……。若頭(若造魔王)に、人間との戦争の準備を進めていると報告せねばならんのに……!」
悪魔たちが絶望し、錆びた剣を握り直した──その時だった。
「──おやめなさいな。美しい森の中で、そんな下品な大声を張り上げるものではありませんわ」
コツ、コツ、と場違いなヒールの音が響き、木々の隙間から優雅に姿を現したのは──フリルの付いた見事なドレスをまとい、日傘を差した一人の美しい人間の少女。
シオン・ド・ラ・ローザ。
本人は有給休暇中の伯爵令嬢を自称しているが──実態は神々すら震え上がる災害そのものである。
(天界から少し、先程の魔獣の被害と魔界の様子を見に行こうとしたら、座標がズレて隣国の森に出てしまったのですが……まさかこんな泥臭い修羅場に出くわすとは思いませんでしたわ)
「あァ!? なんだその人間のお嬢ちゃんは!」
「おい、お前ら! そいつを保護して悪魔を捕らえろ!」
ギラギラと輝く鎧を着た騎士たちが数人、私へ向かって来ます。
一方で、包囲されていた十人の悪魔たちも、目を丸くして私を見ていました。
「おい、人間の小娘! こちらで捕まえて捕虜にするぞ!」
「ハァ。これだから『今の』魔界の連中は困りますのよ」
私はため息をつきながら、お気に入りの扇子をパチンと閉じました。
かつて私がワンオペ組織改革で超優良企業化(恐怖による徹底統治)して差し上げた魔界の軍勢が、たかが人間の騎士ごときに包囲されて泣き言を言っている。そのあまりのみっともなさに、私の『経営者としてのプライド』がチクリと痛んだのです。
「私の作った優良企業(魔界)の看板を背負っておきながら、そんな不格好な負け戦を晒すなど……万死に値しますわ。
──まぁ、有給休暇中に余計な流血沙汰でドレスを汚すのもお上品ではありませんし、あなた方には少々、強制ログアウト(お昼寝)していただきましょうかしら」
「うるさい、まとめて捕まえろ!」
襲いかかる騎士団。
ですが、私は避けることすらしません。第48回目の人生で極めた魔力をほんのミリ単位で指先に込め──ただ、お上品にパチンと指を鳴らしました。
「──【全属性魔法極大解放・深層昏睡】」
フワリ、と。
私の指先から放たれた目に見えない精神魔力の波動が、さざ波のように森全体へ広がっていきました。
次の瞬間──。
「ぶ、ぶはっ!? な、なんだこの猛烈な眠気──」
「お、俺は……今から……寝る……ドサッ」
襲いかかってきていた百何十人もの精鋭騎士たちが、白目を剥く暇すらなく、糸の切れた人形のようにその場にバタバタと倒れ伏していきました。
地響きを立てて大の字に寝転がる騎士、木に寄りかかったままイビキをかき始める隊長。一国の自慢の騎士団が、一瞬にしてただの「お昼寝集団」へと強制書き換え(ハッキング)されてしまったのです。
「ひ、ひえぇ……! な、何が起きたんだ……!?」
傷一つないまま静まり返った森の中で、助けられたはずの悪魔十人は、腰を抜かしたまま顎が外れそうな顔でガチガチと震えていました。
かよわい人間の少女だと思っていた存在が、呪文の詠唱すらなく、指先一つで軍隊を完全無力化させたのですから。
「あ、あなたはいったい……ま、まさか……人間の英雄級か!?」
「いや違う……こんな魔力、聞いたことがない……!」
悪魔のリーダー格が震える声で尋ねます。
私はドレスに付いた見えない埃をパパッと払うと、極上の笑みで彼らを見下ろしました。
「私? ただの有給休暇中のお嬢様ですわ。……それよりあなた方、さっき『若頭』と仰いましたわね? 私が不在の間に、どこの馬の骨とも知れぬ若造が魔王の椅子に座っているようですわね。……フフッ」
私の背後から、かつて魔界を恐怖で支配したあの『伝説の魔王』のどす黒いオーラが、ほんの少しだけ漏れ出します。
「案内してくださる? その生意気な若造のところへ。我が社の監査のお時間ですわ」
命を救われた悪魔十人は、その圧倒的な覇気に本能的な恐怖を察知し、ただただ「は、ははぁっ!! 御意ッ!!」と涙目で平伏するのでした。
(第12話へつづく)




