ep.5:殺しの道具、引き継がれる名刺
建物の奥、獣の脂と鉄錆が混じり合った独特の臭気が濃厚になる場所に、その扉はあった。重厚な石壁に埋め込まれた鉄の扉は、まるで行き止まりを象徴するかのように、鈍い光を放っている。
先頭を歩くビクトリアの歩みが止まる。アッシュがその後ろで気だるげに肩を揺らす中、ヨルグは自分が踏み入れたことのない領域への扉を見上げた。
「ここだ」
ビクトリアが古びた鉄扉を蹴るようにして開け放つ。中には、主を失った無数の武具が、まるでゴミのように雑多に積み上げられていた。
「ここにあるもんは、持ち主が元からいないか、もう死んだかのどっちかだ。好きなものを選びな」
ビクトリアは入り口で腕を組み、ぶっきらぼうにそう告げた。
ヨルグは足を踏み入れ、部屋の中を見回す。乱雑に投げ捨てられた武具たちだったが、その一つ一つを手に取ってみると、どれも驚くほど手入れが行き届いていた。
持ち主がどれほどの愛着と敬意を込めてそれらを扱ってきたか、触れるだけでその重みが伝わってくる。
ふとヨルグの視線は、部屋の奥、壁に立てかけられた一振りの長剣に釘付けになった。
それは、ヨルグの背丈と変わらぬほどの長さを誇る大剣だった。
「――それはお前には大きすぎるんじゃないか?」
隣で様子を見ていたアッシュが、眉をひそめて釘を刺す。彼の懸念はもっともだった。今のヨルグのやせこけた腕では、まともに振り回すことすら怪しい重量がある。
だが、ヨルグの心には別の論理が渦巻いていた。
彼は自分の細い腕と、鈍く光る剣身を交互に見比べる。非力な自分にとって、技術や速さで勝負するのは不可能に近い。ならば、この剣のリーチと質量こそが、唯一にして最大の「武器」になる。
この剣であれば、届く。
自分の命が尽きるよりも早く、相手の命に届き得る。
ヨルグは無言のまま、壁からその大剣を引き抜いた。
ずっしりと沈み込むような感触が手首に走る。腕が悲鳴を上げそうになるのを奥歯を噛み締めて抑え込み、ヨルグはぎこちなくその大剣を構えた。
「……それにするんだな?」
ビクトリアが意外そうに眉を寄せ、確かめるように問いかける。ヨルグは一瞬だけ剣の重心を確かめるように手首を回し、それから力強く無言で頷いた。
「それじゃ、これからはそいつがアンタの相棒だ」
ビクトリアは小さく鼻を鳴らすと、ヨルグの決意を認めるように目を細めた。
「何をする時も手が届く場所に置いておけ。死ぬその時まで、な」
その言葉は助言というよりは、この街で生きる者への冷徹な宣告に近かった。
アッシュはその様子を少し呆れたような、しかしどこか納得したような複雑な表情で見つめている。彼はヨルグの背負った剣と、その細い肩を交互に見て、低く呟いた。
「……ま、選んだのが気に入らねえなら、その時はその剣を墓標にするだけか。行くぞ、新入り」
二人の背中を追い、ヨルグは初めて手にした重すぎる「相棒」を背に、と足を踏み出す。剣を伝って響く微かな振動が、今までとは違う、新しい日常の始まりを静かに告げていた。
ビクトリアは振り返り、重すぎる剣を背負ってふらつくヨルグを一瞥すると、もう興味が尽きたと言わんばかりにアッシュの方を向いた。
「もう問題は無いな? 部屋はお前と同じにしておけ。あと、次の仕事までにその小僧を使い物になるようにしておけ」
ビクトリアはそう言い捨てると、振り返りもせずに暗闇の中へ消えていった。
残されたアッシュは、ヨルグを振り返るとわざとらしく肩をすくめて見せる。
「……ったく、また面倒な役目を押し付けられたもんだ。ついてきな」
アッシュの案内で辿り着いたのは、建物の隅にある居住区画だった。扉を開けると、そこには質素な四人部屋が広がっていた。しかし、部屋の中を見回してヨルグは眉をひそめる。
そこには、部屋の入り口に近い一角に無造作に置かれたアッシュの私物以外、何一つ置かれていなかったからだ。他のベッドは毛布すら残っておらず、主の気配が完全に消えている。
「……他の連中は?」
ヨルグの問いに、アッシュは扉を閉めながら、どこか投げやりな様子で答えた。
「他のやつら? あいつらは先週の仕事で……まあ、帰って来なかったってことだ。よくあることさ」
アッシュは自分のベッドに腰を下ろすと、空っぽのベッドを一つ指差した。
「新入り。今夜はここで寝ろ。ベッドは選んでいいが、愛着は持つなよ。……いつまた欠員が出て、移動させられるか分からねえからな」
アッシュの言葉は、命の脆さを淡々と語っていた。ヨルグは重い長剣を壁に立てかけ、誰もいない三つのベッドを見つめる。
ここが、自分が死ぬまでの間を過ごす場所になるのかもしれない。
獣のような笑みを浮かべるビクトリアと、死と隣り合わせの日常を当然のように語るアッシュ。ヨルグは冷たい石の床に腰を下ろし、慣れない相棒の感触を確かめるように、剣の柄を強く握りしめた。
「怪我が治るまで待ってもらえるなんて甘い考えは持つなよ? 明日からはその武器を使えるように訓練だ」
アッシュはそう言い捨てると、長剣を床に放り出すように置き、自身の寝台へ倒れ込んだ。
ヨルグは痛む肩をかばいながら、指定されたベッドへと腰を下ろした。
柔らかな毛布などあるはずもなく、硬い布地に背を預ける。先ほどまで感じていた獣の脂と鉄錆の臭いが、この部屋ではより一層濃く、死の予兆のように漂っていた。
アッシュはヨルグを見ることもなく、壁に向かって横を向く。
「……明日の朝は早いぞ。死にたくなけりゃさっさと寝ておけ」
それだけ言い残し、アッシュは部屋の明かりを落とした。
拠点の闇が、容赦なく部屋を塗りつぶす。ヨルグは重い大剣を枕元に引き寄せ、硬い剣の柄を指先で確かめた。
この街ブラスで生き抜くための、最初の夜。
ヨルグは暗闇の中で目を閉じ、自分の呼吸の音だけを聞いた。
明日、またこの剣を握れば、新しい日常が始まる。
彼にとっての「業狩り」という死線が、その瞬間から動き出す。
ヨルグは、明日が来ることを待つように、ただ静かに意識を沈めていった。




