ep.10:死の値段、人間という残滓
村の入り口を照らす焚き火の明かりの中で、村人たちは業狩りたちを待ち受けていた。彼らの目には獣への恐怖と、討伐への期待が露わに滲んでいる。
「……獣は? 獣はどうなったんだ!」
先頭に立つ村長らしき老人が声を荒らげる。ビクトリアは無言で首を縦に振った。その合図を目にした瞬間、村人たちからどよめきと安堵の息が漏れ、空気がふっと弛緩する。
「すべて殲滅した」
ビクトリアの短くも重い言葉が響く。獣の脅威から解放された喜びに、彼らは今にも宴を始めんばかりの雰囲気だった。だが、彼女はその祝祭の空気に冷水を浴びせるように、静かに続けた。
「ただ、その時に仲間が一人犠牲になった。……出来れば、彼の最期の地であるここに、その亡骸を弔ってもらいたい」
一瞬の静寂。直後、村人の空気が変質した。
救世主を見る眼差しは、路傍の腐肉を眺めるような忌避と侮蔑の色へ塗り替えられていく。
「村に穢れを持ち込む気か」
「獣臭のする場所で畑仕事なんてできるか」
無遠慮な声が四方から投げつけられる。そのたびにヨルグの指先は剣の柄を握り締め、関節が白く浮き上がった。
それに構うことなく、村長が前へ出る。老人はロイドの亡骸を一度だけ嫌悪げに横目で確認し、薄汚れた笑みを浮かべた。
「埋葬、ですか……。それは構いませんが、何か見返りは頂けるんでしょうな? 獣の穢れを村に持ち込むには、それ相応の対価を頂かないと……」
ヨルグの脳内で何かが焼き切れる音がした。目の前のみすぼらしい老人が、仲間を救って死んだ男の亡骸を「汚れ」と断じ、あろうことか金銭を要求する、それがどうしても許せなかった。
「貴様……! よくも――」
ヨルグが咆哮とともに踏み出した瞬間、アッシュの強固な腕がその胸を力任せに押しとどめた。
「アッシュ、離せ! こんな連中、剣で黙らせてやれば――」
食って掛かるヨルグに対し、アッシュは無言で首を小さく左右に振る。その瞳には、憤怒を超えた諦念と、業狩りとして生きる者の残酷な教訓が宿っていた。
ヨルグは歯が折れるほど食いしばり、拳を震わせながらその場に立ち尽くす。
「……わかってる。相応の礼は支払う」
ビクトリアが淡々と呟き、腰から金貨の入った革袋を取り出す。放り投げられた袋を老人が強欲にひったくった。老人は中身を確かめると、顎で若い村人に指示を出す。彼らはロイドの亡骸を、まるで不燃ごみでも扱うかのように無造作に引きずり、村の奥へと運び去っていった。
「……すまなかったな。――後は、宜しく頼む」
ビクトリアのその声は、村人たちに向けられたものではなかった。
引きずられていくロイドの亡骸に対し、仲間として守りきれなかった自らへの、そして彼の尊厳を土足で踏みにじらせるしかない現状への、痛切な謝罪だった。
彼女は深く頭を垂れた。その視線は村長ではなく、地面に残されたロイドの血痕に向けられている。彼女の背中は、謝罪というよりも、あまりの理不尽に折れそうな心を必死に支えようとするかのように硬く強張っていた。
やがてビクトリアは踵を返し、村人を一瞥することなく歩き出す。ヨルグの横を通り過ぎる際、彼女は足を止めることはなかったが、その声は冬の冷気を含んで鼓膜を震わせた。
「行くぞ」
ヨルグはその場から一歩も動けなかった。自分を守ってくれた、身代わりとなってしまった「命の重さ」が、たった金貨数枚で無惨に取引されていく光景を、ただ見つめることしかできなかったからだ。
ロイドの遺体が運び去られた暗闇の先を、ヨルグはしばらく凝視した。
この村人の醜悪さも、この理不尽な取引も、すべてが彼の中で「排除すべき汚泥」として結晶化していく。天秤は、まだ釣り合っていない。いや、そんなものは最初から存在しなかったのだと、ヨルグは確信していた。
「この世界は、クソだ。いや……」
誰にも聞こえないほどの声量で、独り言のように呟く。喉の奥にこびりつく鉄錆のような苦味を飲み込み、ヨルグは続けた。
「クソなのは、俺たち、人間だ……」
先を歩く業狩りたちの背中は、ただひたすらに重い。
彼らはロイドを失い、さらにその死を村人に踏みにじられた。だが、誰一人として声を上げない。それがこの過酷な世界で「業狩り」として生き抜くための、唯一の生存戦略であることを知っているからだ。
夜風が吹き抜け、ヨルグの肩の傷口を冷やす。その痛みが、さっきまでの戦闘の熱を完全に奪い去り、代わりに冷徹な現実を脳裏に刻み込んでいく。
彼がこれまで学んできた正義や仲間への義理といった甘美な言葉は、この夜の闇の中で、見る影もなく腐り落ちていた。ロイドを守ろうとした自分の剣は、結局のところ誰をも救えず、ただロイドという人間が金貨数枚という値札を貼られて捨てられるのを見届けるための道具に過ぎなかった。
ヨルグはゆっくりと顔を上げ、村の灯りから遠ざかる。
彼の中に芽生え始めていた「誰かを守るための剣」は、今、別の形に変貌しようとしていた。
人間が人間である限り、この「天秤」は永遠に歪み続ける。
ならば、その天秤ごと叩き壊すためにこそ、自分の剣はあるのではないか。
不意に、アッシュが立ち止まり、背中を向けたまま短く告げた。
「次の依頼だ。……次の町へ急ぐぞ。立ち止まっている暇はない」
その声には、感情の機微など欠片も残っていなかった。ヨルグは黙って頷き、再び仲間たちの死の行進へと歩調を合わせた。
深く息を吸い込み、口内にたまった唾を自分の憤怒と共に吐き捨てる。
そうして歩き始めたヨルグは、村の方角を二度と振り返ることはなかった。
ただ、その歩みは以前とは決定的に異なっていた。
この瞬間まで彼が抱いていたのは、業狩りという枠組みの中で、ただ淡々と仕事をこなし、自身の身を立てるという生存のための合理性に過ぎなかった。
しかし今、彼の背中に張り付いているのは、冷めきった死の冷気と、他者の命を値札で量る世界に対する静かなる殺意である。
業狩りたちの隊列は、夜の闇そのもののように静かだ。
ヨルグは一歩踏み出すたびに、自分の内側で何かが塗り替えられていくのを感じていた。
守るべき対象などという大仰なものは、最初からなかった。ただ、ロイドのように真っ直ぐに生きようとした者たちの結末があまりに理不尽であるという、それだけの理由で、彼の剣は重さを増している。
アッシュの背中は、巨大な墓碑のように立ちはだかっている。彼は何も語らないが、その歩幅からは、業狩りとして生きる者の呪いにも似た諦念が滲んでいた。
ヨルグは、握りしめた剣の柄に改めて指を絡める。
革の感触が手の平に馴染む。ただ糧を得るために磨いた剣だが、今はただ、目の前の理不尽を切り裂くための質量としてしか認識できない。
「……次の依頼か」
ヨルグは小さく呟く。その言葉には、生への執着も、あるいは絶望による感傷すらも混じっていない。
ただ、冷徹な機械が作動を再開するように、彼の思考は次の戦場へと向かっていた。
月が雲に隠れ、森の奥が闇に沈む。
彼らの歩みは止まらない。ロイドという一人の男の死を過去に埋葬し、彼らはただ、業の積み重なる荒野へと歩みを進める。
ヨルグの瞳には、もはや村の灯りはない。
そこにあるのは、どこまでも続く暗闇を切り裂くための、磨き抜かれた殺意の輝きだけだった。




