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SKY〜Harbor Nights〜   作者: RUI


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SKY-A Quiet Pact-

 



 あすみが、連合航宙アカデミー高等課程―

 ―League Aerospace Academy – Advanced Course(LAA)に進学して半年。

 そして、カイトが攫われてから一年が経った。

 生存も死亡も確認できないまま、エリンは胸の奥に不安をしまって、

 ノーザン・クロスで医師として日々の業務にあたっていた。


 *


 ノーザン・クロス、医務室。


 連合の宇宙戦艦であるこの船は、今日も戦場の外縁を巡っている。

 白い壁には薬品の匂いが染みつき、循環ポンプの低い唸りが床下から骨に伝わった。

 遠くで隔壁が閉まる乾いた音が鳴り、船体の微かな震えがあとから追いつく。


 処置台の脇でカルテを閉じ、手袋の指先を整えた。次の患者に備えて息を吸った瞬間、端末が短く震えた。


 暗号化されたメッセージ。

 送り主は不明。


 一瞬、手が止まる。


 この形式、見覚えがある。


 指先が端末の縁で小さく滑った。画面の光が白衣の袖を青く染める。呼吸が浅くなるのを飲み込み、開いた。


【カイトは俺のところにいる】

【ARCLINEで預かってる】


 差出人の名前はない。


 でも、分かる。


 古賀ケイ。

 ARCLINE統領。

 帝国でも連合でもない、第三勢力の長。

 あすみの父親。


 そして――カイトを連れ去った男。そう呼ぶしかない相手。


 画面を見つめたまま動けなかった。


(……ケイ、まさか)


 喉の奥が乾き、唾を飲む音だけがやけに大きかった。


(……カイト)

(……生きてる)


 胸の奥が熱くなる。涙が出そうになって、奥歯を噛んで堪えた。

 ここで崩れたら、この医務室の空気に残ってしまう。


 扉が開く音。


 看護師が顔だけ覗かせ、抑えた声で告げた。

「先生、次の患者が」


「……少し待って」


 震えないように、短く。


 看護師は小さく頷いて引っ込んだ。扉が閉まり、機器の電子音だけが残る。


 もう一度、画面を見る。


【ARCLINEで預かってる】


 預かってる。


 誘拐じゃない。

 保護でもない。


 預かってる。


 それは、返す先を決めていない言葉だ。だからこそ軽く書ける。だからこそ重い。


 端末を握りしめた。


(……返信、すべきか)


 怒りを書けば、返事は途絶える。

 感謝を書けば、自分が許せない。


 でも――。


 その「でも」の前に、現実が戻ってくる。


 扉の向こうで患者が待っている。

 この船は戦艦で、医務室は今日も満員だ。


 *


 担架が滑るように入ってきた。金属キャスターが床を鳴らし、焦げた布の匂いが消毒の匂いに混ざる。


 若い兵士が歯を食いしばっていた。まだ頬の産毛が残る年頃で、制服の襟が汗で黒い。

 痛みを押し殺すために、目だけが妙に冷静に開いている。


「……先生、俺……大丈夫ですか」


「大丈夫。いまは息を整えて。痛み止めを入れる」


 注射器の先が小さく光る。針が皮膚に入る瞬間、眉がわずかに跳ねた。

 薬量を確認し、焼けた布を切り、冷却ジェルを塗る。手は迷わない。迷えない。


 薄く笑おうとして、兵士は失敗した。

「……母に、連絡できますか」


 指がほんの一瞬だけ止まった。


 連絡。

 届くべき相手に届くとは限らない言葉。


 声の温度は変えない。

「許可が下りたら。いまは治療が先」


「……はい」


 返事は素直だった。素直すぎて胸が痛む。包帯を巻き終え、端を丁寧に留めた。


「終わり。痛みが強くなったらすぐ言って。無理をしない」


「……分かりました」


 担架が出ていく。扉が閉まる。電子音が戻る。


 手袋を外し、指先の感覚を一度水で流した。水音は小さく、医務室の静けさに吸われる。


 端末に視線を戻す。

 画面は暗いままなのに、文字が焼き付いて離れない。


【俺のところにいる】


 その「俺」が、いまは一番危険な名前になった。


 *


 控えめなノック。


 扉が開き、ラナが入ってきた。ノーザン・クロスの艦長

 ――その肩章の角度だけで、医務室の空気が少し締まる。

 廊下の気配を目で確認してから扉を閉め、声を落とした。


「少しいい?」


「大丈夫よ。どうしたの?」


 ラナは端末を握ったまま、言葉を選ぶように一拍置く。


「……カイトのこと、色々当たってる。もう一度、当日の情報を洗い直した」


 頷く。頷きながら、さっきの暗号文を胸の奥へ押し込める。

 ここで表情を崩したら、ラナは拾う。艦長はそういう目をしている。


「保護施設の周辺、監視カメラやログに、襲撃当日の映像が残ってない。

 残ってないっていうより……消されてる。そう考えた方が正確」


「……消されてる?」


「帝国のやり方なら分かりやすい。でも、これは違う。痕跡が綺麗すぎる」


 ラナは声をさらに落とした。


「……亡命してきたあなたも危ない。もし第三勢力の手口なら

 ……こういう消し方をする連中に、心当たりがある」


 目が合う。

 言葉より先に、同じ顔が浮かぶのが分かる。


 でも、言えない。

 いま言った瞬間に、カイトのいる場所がこの艦に繋がる。

 繋がった瞬間、守るための距離が消える。距離が消えたら、命が消える。


「……どこにいたとしても、カイトは死んでない。私はそう信じてる」


 ラナは視線を逸らさない。読み取ろうとする。けれど確信には届かない。

 届かないように、こちらが閉めている。


「私もそう思う。とりあえず、現時点までの報告。何か分かったらまた知らせる」


 一瞬だけ言い淀んで、それでもラナは言った。


「もし……誰かから連絡が来たら、教えて」


「分かった」


 ラナはため息をひとつ落とし、硬い空気をほぐそうとするみたいに肩をすくめる。


「近いうちに地球にでも行こう。アルクトリの中立港なら、情報も落ちてるかもしれない」


 意図を汲むように、わざと軽く返した。


「美味しいもの食べたいだけでしょう?」


 ラナがくすりと笑う。


「ばれた? 私もたまには休暇をもぎ取りたい。医務室の先生、味方してくれる?」


「交渉の材料が胃薬しかないわよ」


「十分」


 笑いが落ちたあと、ラナの目が一度だけ真面目に戻る。


「……お願い。無理はしないで。あなたが倒れたら、困る人が多い」


「分かってる」


 ラナが出ていく。扉が閉まり、医務室にまた機器音だけが戻った。


 伏せていた端末をそっと裏返す。

 画面は暗いままなのに、そこに文字が見える気がした。


【ARCLINEで預かってる】


 ――今夜、返事を書かなければ。


 *


 その日の夜。


 自室の明かりを落とすと、ノーザン・クロスの夜は暗い。

 窓の外には黒い宇宙が広がり、遠い星が冷たく瞬く。

 壁を伝う船体の軋みが、時々、部屋の静けさに混ざった。


 端末の画面が、青白く顔を照らす。


 何度も文章を書いては消した。


(……何を、書けばいい)


 息子を奪われた母親として。

 医師として。

 帝国の元公妃として。


 全部が混ざって、言葉にならない。


 画面に最初に打ったのは、短い怒りだった。


【ふざけないで】

【どこにいるの】

【なぜ、あなたが】


 送らない。


 削除。

 文字が消えるたび、胸の熱もいっしょに削れる。


 次に打ったのは、もっと卑怯な文章だった。


【生きていてよかった】


 指が止まる。


 感謝を書けば、自分が許せない。

 奪った相手に、ありがとうなんて。


 削除。


 それでも、頭の片隅は冷たいままだった。


 もし、帝国がカイトを連れ戻したら。


 ――彼は、もう帰れない。


 軍の名の下で問われる。

 誰に従ったのか。どこへ行ったのか。何を見たのか。

 答えが正しくても、正しくなくても、どちらにしても刃が落ちる。


 もし、連合に居続けたら。


 ――彼は、ずっと戻れない人間になる。


 表向きは保護。

 実際は監視。

 名前を変えられて、居場所を変えられて、誰にも会えない。

 生きているのに、生きていないのと同じ場所。


 どちらを選んでも、カイトにとっては地獄だ。


 だから――

「返して」と書くのが怖かった。


 返した先が地獄なら。

 私がそれを望むのは、母親の身勝手になる。


 それでも。

 生きていてほしい。


 その一点だけが、最後まで消えなかった。


 でも――


 ふと、あすみの顔が浮かぶ。


 定期検診に来る、あの子。

 父親に会ったことがない、あの子。

 それでも、強く生きている、あの子。


 あの子は今、宇宙の学園コロニーにいる。

 回転する居住区の人工重力の中で、授業の時間割に追われ、眠い目で朝を迎えているはずだ。

 窓から見えるのは雲ではなく、丸い地球の光。


(……そうだ)


 もう一度、端末に向き直る。


 今度は迷わない。


【あすみは、LAAに進学した】

【今は学園コロニーで生活してる、安全よ】


 打って、一度止まる。


 それから、もう一文だけ追加した。


【カイトを必ず生きて、返して】


 送信。


 端末を置く。


 窓の外の宇宙を見る。

 星が遠くで光っている。

 ノーザン・クロスの外殻に沿って走る作業灯が、ゆっくりと点滅していた。


(……これでいい)


 あすみの近況を伝えた。


 それは報告でもあり――

 言葉にしない取り決めでもあった。


 私はあなたの娘を診ている。

 だから、あなたは私の息子を守って。


 書かない。

 でも、分かるはずだ。


 *


 翌日。


 返信が来た。


【やれる事はやる】


 それだけ。


 画面を見つめる。


 短い。

 素っ気ない。


 でも――

 その言葉の重さが分かる。


 約束したのだ。


 小さく息を吐く。


(……ありがとう)


 言葉にはしない。


 端末を閉じる。

 医務室に戻る。


 廊下の照明は白く、足音は金属に吸われる。

 遠くの機関区画から響く振動は、いつもと同じ強さだった。


 次の患者が待っている。


 白衣の袖を直す。


 母親として、息子を奪われた。

 でも医師として、命を守る。


 その矛盾を抱えたまま、歩き出す。


 *


 同じ頃。


 ARCLINE本部。


 古賀ケイは端末を閉じた。


【カイトを必ず生きて、返して】


 その文が胸に残る。


 室内は静かで、空調の風だけが薄く流れていた。

 壁面スクリーンには青い地球が映っている。

 雲の渦と海の光、その境目に沿うように、ひとつの点が淡く示されていた。

 北半球と南半球の境に近い――あの位置。

 海と大陸が入り組む地帯に、ARCLINEの本部はある。


 ガラス越しの灯りが床に細い線を落とし、窓の外の夜景は遠い。


 ケイは端末を伏せたまま、目を閉じた。


 娘をどこに置くか。

 それだけが、頭から離れない。


 連合に置けば、生きる。

 だが、監視の中で、名前より先に立場を与えられる。


 手元に置けば、守れる。

 その代わり、娘はレジスタンスの娘として掲げられる。


 どこにも置かなければ、戦場からは最も遠い。

 だが、名前も過去も切り落とすことになる。


 どれを選んでも、娘は何かを失う。


 生かすことと、戦場から遠ざけることは、同じじゃない。


 ゆっくりと息を吐く。


 訓練場で、兵士たちが動いている。

 その中にカイトもいる。


(……生きて、返す)


 小さく呟いた。


 約束した。


 あすみを守れなかった父親として。

 せめて、奪った側の責任だけは果たす。


 立ち上がる。


 やるべきことがある。


 *


 ――fin.

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