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SKY〜Harbor Nights〜   作者: RUI


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3/13

SKY-Distance-



 手紙を渡してから、一週間が経った。


 LAAの訓練場は、いつも通り騒がしかった。

 シミュレーターの駆動音と、教官の怒鳴り声と、生徒たちの足音が混ざり合う。


 サラは訓練棟の二階、見学用の通路から下を見下ろしていた。

 手すりに肘をついて、眼下のSKYシミュレーターが並ぶ光景を眺める。


 その中に、ミュラーがいた。


 特別コースの訓練生は、一般の生徒とは別の区画で動いている。

 機体に乗り込む彼の背中は、どこか機械的で、余計な動きが一切ない。


(……あの人、本当に飛ぶんだ)


 サラは、その背中をただ見ていた。


 *


 数日後。


 LAAの食堂は、昼休みになると人で溢れた。

 長テーブルが並び、生徒たちが笑いながらトレイを運んでいる。


 サラは窓際の席で、書類を広げていた。

 父の秘書業務の手伝いで、資料の整理をしている。


 そこへ、誰かが隣の席に座った。


 音もなく、気配だけが近づいてくる。


 サラが顔を上げると——ミュラーがいた。


 トレイには、パンとスープだけ。

 彼は何も言わずに、黙々と食べ始める。


「……なに?」


 サラが先に口を開いた。


 ミュラーは視線を上げない。パンを齧りながら、ぼそりと言う。


「……別に。空いてたから座っただけ」


「他にも席、空いてたでしょ」


「……めんどくせぇ」


 いつもの口調。

 でも、サラは少しだけ口元を緩めた。


「……そう」


 それだけ言って、サラは書類に視線を戻す。


 ミュラーは黙ってスープを飲む。


 二人の間に、特別な会話はない。

 でも、気まずくもない。


 ただ、同じ空間にいるだけ。


 それが、少しずつ当たり前になっていった。


 *


 ある日の放課後。


 サラは図書室で勉強をしていた。

 試験が近く、机の上には教科書と参考書が積まれている。


 窓の外は、もう夕暮れに染まり始めていた。


(……そろそろ帰らないと)


 そう思った時、図書室の扉が開いた。


 入ってきたのは——ミュラーだった。


 彼は、サラに気づくと少しだけ眉を寄せる。


「……お前、まだいたのか」


「……勉強してたの。貴方こそ、図書室なんて珍しいわね」


 ミュラーは何も言わずに、サラの斜め前の席に座った。


 机の上に、一冊の本を置く。


『SKY操縦理論 応用編』


 サラは、その表紙を見て少しだけ驚く。


(……勉強、してるんだ)


 ミュラーは本を開いて、黙々と読み始める。


 サラも、自分の教科書に視線を戻した。


 図書室には、ページをめくる音と、時計の秒針の音だけが響く。


 窓の外の空が、オレンジから紺色に変わっていく。


 ふと、サラが顔を上げると——


 ミュラーが、こちらを見ていた。


 目が合う。


 ミュラーは慌てて視線を外す。


「……なんだよ」


「……別に。こっちのセリフよ」


 サラは、少しだけ笑った。


 ミュラーは、また本に視線を落とす。


 でも、耳の端が少しだけ赤くなっているのを、サラは見逃さなかった。


 *


 ある夜。


 サラは学生寮の自室で、書類の整理をしていた。


 端末に、通知が入る。


『訓練管理室より:明日の実技訓練について』


 サラは、ふと手を止めた。


(……あの時の手紙も、こうやって誰かに届けられたんだ)


 あの日、廊下で呼び止められて。

 ミュラーに手紙を渡して。


 あれが、全部偶然だったとしても——


 サラは、端末を置いて窓の外を見上げた。


 宇宙コロニーの夜は、地球の夜とは違う。

 人工的な光が、規則正しく明滅している。


(……ミュラー、どこにいるんだろう)


 そう思った瞬間、端末が震えた。


 新着メッセージ。


 差出人は——


『ミュラー・エリス』


 サラは、少しだけ目を見開いた。


 メッセージを開く。


『明日、屋上。昼休み。』


 それだけ。


 サラは、ほんの少しだけ笑った。


(……相変わらず、素っ気ないわね)


 それでも、返信を打つ。


『分かった。行く。』


 送信ボタンを押してから、サラは少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。


 *


 翌日の昼休み。


 サラは屋上に上がった。


 扉を開けると、ミュラーがいつもの場所に立っていた。


 柵にもたれて、空を見上げている。


「……来たのか」


 ミュラーが、振り向かずに言う。


「……呼んだのは貴方でしょ」


 サラは、彼の隣に立った。


 風が、二人の髪を揺らす。


 しばらく、沈黙が続いた。


 ミュラーが、ぽつりと言う。


「……俺、飛び級で卒業することになった」


 サラの手が、柵を掴む。


「……いつ?」


「三学期前。来月には配属される」


 サラは、何も言えなかった。


 ミュラーは、まだこちらを見ていない。


「……まあ、そういうことだ」


 言葉が、風に消える。


 サラは、ゆっくりと息を吐いた。


「……そう」


 それだけ言って、サラは空を見上げた。


 青い空。

 雲が、ゆっくりと流れていく。


(……こんなに早く、いなくなるんだ)


 そう思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 でも、サラは何も言わない。


 ただ、隣に立っているだけ。


 ミュラーも、何も言わない。


 二人は、ただ同じ空を見ていた。


 *


 それから数週間。


 ミュラーとサラは、いつも通りの日常を過ごした。


 食堂で隣に座ること。

 図書室で一緒に勉強すること。

 屋上で、ただ空を見上げること。


 特別なことは、何もない。


 でも、その何もない時間が——


 二人にとって、かけがえのないものになっていた。


 *


 そして、その日が来た。


 LAAの屋上は、夜になると別の場所みたいに静かだった。

 昼間は訓練棟から響く警報音や教官の号令が跳ね返るのに、

 今は、柵に当たる風の「さぁ」という擦過音と、遠くの港の低い機械音だけが薄く届いてくる。


 足元のコンクリートは昼の熱をもう失っていて、靴底から冷たさがじわりと上がってくる。

 フェンス越しの街灯は星みたいに滲み、空は深い藍に沈んでいた。


 そこに、ミュラー・エリスがいた。

 いつも通り、壁際に背を預けている。

 制服の襟元は乱れていないのに、立ち方だけが少し投げやりで、空だけを見上げていた。


 屋上扉が、きぃ、と小さく鳴った。


 サラ・ブライトンは静かに出てきて、扉が風で戻らないように手を添えてから、ゆっくり歩いた。

 髪が風に撫でられて頬にかかる。手袋の指先でそれを直しながら、背中に向かって声を投げる。


「ミュラー。……またここにいたの? 先生が探してたわよ」


 ミュラーは振り向かない。鼻で息を吐いて、短く答える。


「……ちっ。うるせーのが来やがった」


 サラは眉を寄せない。寄せたら負けだと知っているみたいに、淡々と言い返す。


「……うるさくない。明日、出発なんでしょ? 準備は終わったの?」


 ミュラーの肩がわずかに揺れる。面倒くさそうに、ようやく首だけをこちらへ回した。


「別に。荷物なんてそんなにないし。カバン一つで十分だ」


 その言い方が、妙に本気だった。

 “十分”という言葉が、ここに置いていくものを数えないための蓋みたいに聞こえて、サラの胸の奥が小さく軋む。


 サラはミュラーの前で立ち止まった。

 屋上の白い照明が、彼の金髪の端を薄く浮かせる。青い目はいつも通り冷静で、なのに今夜だけ、どこか遠い。


 ミュラーの視線がサラを捉える。

 見られた瞬間、サラは逃げる気持ちを捨てた。逃げると、言えなくなる。


「……こんなに早く卒業しなくても、良かったのに」


 サラの声は小さい。けれど揺れない。

 風が強くなって、フェンスが軽く鳴った。二人の間の沈黙を押し広げるみたいに。


 ミュラーは、ほんの一瞬だけ目を細めた。

 そして——サラの頬へ、手を伸ばしかける。


 指先が空気を切り、肌の熱に届きそうになって、そこで止まった。

 伸ばした手は、行き場を失って、結局、柵に置かれる。金属がかすかに鳴る。


「なに?」


 ミュラーが、いつもの調子を無理に引っ張り出す。


「寂しくなった?」


 サラは笑わない。口角を上げないまま、息だけをゆっくり吐く。


「……そうね」


 一拍置いて、サラは続けた。声が少しだけ低くなる。


「貴方、すぐ無茶しそうだから」


 ミュラーが眉を上げる。

 苛立ちの形を取らないと落ち着かないみたいに、言葉だけを尖らせる。


「どういう意味だよ」


 サラは視線を外さない。

 目の奥にあるものを、ちゃんと見ているという顔で言う。


「帰ったら、いちばん最初に連絡して」


 ミュラーは鼻で笑ってみせる。軽く、雑に。


「……やだよ。めんどくせぇ」


 サラは一歩も引かない。

 その言葉が本心じゃないのを知っているから、攻める必要がない。


「……約束して、ミュラー」


 名前を呼ぶときだけ、ほんの少し声が柔らかくなる。

 それを誤魔化すみたいに、サラは言葉を最後まで言い切った。


「生きてるって、知らせて」


 真っ直ぐな視線。

 風がサラの髪を揺らして、瞳の中の光が一瞬だけ揺れた。


 ミュラーは、その目を受け止めたまま、息を止める。

 止めた呼吸が、少し遅れて戻る。


「……気が向いたらな」


 言った直後、制服の胸ポケットから端末を出した。


 ミュラーが不機嫌そうに言葉を投げる。


「……番号」


 サラがミュラーから目を逸らさずに聞く。


「……え?」


「覚えるのめんどくせぇ。送れ」


 屋上の上を、夜風が通り抜けた。

 二人の間の距離は変わらない。触れてもいない。

 それでも、今夜だけは——もう一歩近づいた気がした。


 *


 翌朝。


 ミュラーは、LAAを出発した。


 サラは、見送りには行かなかった。

 行けば、きっと言葉が出なくなる。


 ただ、教室の窓から——


 遠くの空を見上げた。


(……ミュラー)


 名前を、心の中で呼ぶ。


(……約束、忘れないでよ)


 風が、窓を揺らした。


 空は、どこまでも青かった。


 *


 離れることで、初めて分かることがある。

 触れなかったからこそ、残るものがある。


 二人の物語は、ここから——

 本当に、始まる。


 ――fin.

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