SKY -Letter -
LAAの廊下は、磨かれた床がやけに明るかった。
窓から差す白い光が掲示板の紙を薄く透かしている。
LAA――宇宙コロニーの学園都市にある、連合航宙アカデミー高等課程だ。
パイロット志望だけではなく、普通科もある連合軍の軍立高等学校だ。
遠くでチャイムの残響が鳴り終わり、生徒たちが一斉に教室から溢れ出してくる。
談笑の声、上履きが床を叩く音、ロッカーの扉が閉まる金属音。
廊下は一気に賑やかになって、制服の群れが波みたいに流れていく。
その流れの中で――
サラ・ブライトンは人の流れの中でも、自然と目立っていた。
議員の娘――その肩書きが、制服の上に見えない影みたいに乗っている。
柔らかく整った顔立ちと、高校生らしからぬ凛とした態度。
誰に対しても丁寧で、けれど必要以上に近づかない。
周囲の生徒たちが、さりげなく道を開ける。
「おはよう」と声をかけても、返ってくるのは完璧な笑顔だけ。
距離が、最初から決まっている。
その一方で――
壁際に立つ少年は、まるで流れの外にいた。
無造作な金髪、淡い視線。周囲に馴染む気もない無表情。
生徒たちは彼を避けるように通り過ぎ、誰も声をかけない。
浮いているのに、気にしていない。
その姿勢が、逆に周囲を遠ざけていた。
サラは、その少年へまっすぐ歩いていく。
周囲の視線が、一斉にこちらを向くのが分かった。
(……見られてる)
でも、サラは気にしない。
頼まれたから。ただの伝言だから。
そう自分に言い聞かせて、声をかけた。
「ミュラー・エリスって、貴方?」
少年は面倒そうに視線だけを寄こす。
「……そうだけど。何?」
サラは小さな封筒を差し出した。
指先は丁寧で、手入れされた爪には薄紅色のネイルがされていた。
「これ、頼まれたの。訓練管理室の事務員さんから」
ミュラーがサラの手元の差し出された紙を見る。
「……手紙?」
「……廊下で呼び止められて、『ミュラー・エリスさんに渡してほしい』って。同じ学校だからって引き受けたけど」
サラは少しだけ眉を寄せる。
「……内容は知らない。ただの伝言係よ」
ミュラーの目が封の端を掠めた。次の瞬間、彼はサラの腕を掴み、封筒の差出人の欄を覗こうとした。
サラの表情が一段だけ硬くなる。
彼女はその手を振り払って、音もなく一歩引いた。
「……ちょっと。何するのよ」
ミュラーは眉も動かさず、ただ事実だけを言う。
「名前が見えねぇから、見ようとしただけだろ」
(なに、この人。初対面で腕を掴むなんて――)
サラは封筒を胸元に押し戻すように彼へ突き返した。
「……あなた、人との距離感、本当におかしいわよ」
ミュラーは、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「……悪かったよ」
その一言が、妙に素直で――サラは少しだけ、拍子抜けした。
それでも、サラは踵を返す。靴音が廊下に硬く残る。
サラは振り向かないまま人混みに紛れた。
ミュラーは封筒を片手に、取り残されたみたいに立ち尽くす。
「……なんだ、あいつ。なんで怒ってんの」
それが、二人の最初の出会いだった。
*
ミュラー・エリスは、LAAの中でも異質だった。
SKY――人間型ロボットのパイロット候補生として入学した彼は、
最初から他の生徒とは違う特別コースに所属していた。
人並外れた操縦センスと頭脳。見た目も悪くない。
当然のように女子生徒の視線を集めたが、本人はそんなものに興味を示さない。
時間があれば、誰もいない屋上でひとり、ただ風に当たっている。
サラもまた、周囲から一目置かれていた。
議員の娘という立場に加えて、優しげな顔立ちと、背筋の伸びた所作。
笑っていても、視線は揺れない――そんな種類の人間だった。
そして二人が改めて向き合ったのは、LAAの廊下ではなく、軍が主催する食事会の席だった。
会場は、普段のLAAとは別世界だった。
天井の高いホール。
シャンデリアが柔らかく光を落とし、白いクロスのかかったテーブルが整然と並んでいる。
グラスの触れ合う音、ナイフとフォークが皿を鳴らす音、低く抑えた笑い声。
料理は、どれも学生食堂では見たこともないようなものばかりだった。
銀のトレイに乗せられた前菜、丁寧に盛り付けられたメイン、繊細な装飾が施されたデザート。
けれど、その豪華さが逆に息苦しい。
将来の人材を”品定め”するために開かれる、形式だけは華やかな会。
優秀な学生、軍人、企業関係者、議員たちが同じ卓を囲む。
空気は、どこか張り詰めていた。
笑顔の裏側で、誰もが誰かを値踏みしている。
会話の端々に、政治的な駆け引きが滲む。
そこに、入学したばかりのサラとミュラーも、それぞれ別の立場で出席していた。
サラは会場の端、父の近くに立っていた。
彼女は、完璧な笑顔で来賓に挨拶をし、適切なタイミングで書類を手渡す。
けれど、心の中では――
(……早く終わらないかな)
そう思っていた。
ふと、サラは会場の反対側に見覚えのある金髪を見つける。
(……この間の)
ミュラーはLAAの教官に連れられて来ていた。
窮屈そうなスーツに身を包み、表情には「今すぐ帰りたい」とはっきり書いてあるような仏頂面。
教官が何か話しかけても、生返事だけを返している。
周囲の軍人や企業関係者たちが、遠巻きに彼を見ている。
「天才パイロット候補」という肩書きを値踏みするような視線。
サラは、笑いそうになるのを堪えた。
(たしかに、この人にこういう場所は似合ってない)
その時だった。
「サラ。この後、大統領との会合が入った。もう遅い。お前は先に戻りなさい」
「はい、お父様」
「外に車を回しておく」
父と短い言葉を交わした直後、教官がこちらへ歩み寄ってきた。隣にミュラーを伴っている。
「ブライトン議員! こちらにいらっしゃいましたか」
サラは教官へ視線を向け、続けてミュラーを見る。
ミュラーもサラに気づき、一瞬だけ驚いたような顔をした。が、すぐに仏頂面へ戻り、議員へ挨拶をさせられている。
「君が噂の天才パイロットか。娘と同じ学校と聞いてね。会えるのを楽しみにしていたよ」
ミュラーは少しだけ肩をすくめる。
「……別に、天才とかじゃないです」
「エリス! 口のきき方に気をつけなさい」
教官の叱責に、ブライトン議員は笑って手を振った。
「はは、構いません。うちの娘も似たようなものです」
言いながら、父はサラの肩へ手を置く。
その仕草があまりに自然で、サラは思わず――家の中のまま口を開いてしまった。
「お父様! 私、こんなに失礼なやつじゃ――」
言葉が口から出た瞬間、サラはしまったと思う。
公の場で、素直な感情をそのまま言ってしまった。咄嗟に口元を手で覆う。
ミュラーがそれを見て、ほんの少しだけ口元を歪めた。
「……確かに、似てますね」
サラの顔が熱くなる。
睨み返したいのに、睨み返すほど自分が子どもみたいで、余計に悔しい。
父が、二人の間の空気を見て、さらりと言った。
「明日も学校だ。娘は帰宅するところだった。エリス君も車に同乗しなさい。学生にはもう遅い時間だろう」
ミュラーは一拍置いて、きちんと頭を下げた。
「ありがとうございます。助かります」
(お父様……なんて余計なことを)
サラは心の中で呻きながら、口では従う。
「……はい。分かりました」
*
車は静かに滑り出した。
高級車特有の、柔らかいエンジン音。
革のシートが体を優しく包み込み、わずかに新車の匂いが残っている。
サラとミュラーは、後部座席の両端に座っていた。
間には、人一人分の距離。
触れることもなく、目を合わせることもなく。
窓の外の景色が流れていく。
最初は、食事会場の近くの繁華街だった。
ビルの明かりが連なり、ホログラム広告が空中に浮かんでいる。
人々が歩道を行き交い、車が列をなして進んでいく。
やがて、景色が変わる。
住宅街へ入ると、街灯の間隔が広くなった。
オレンジ色の光が、規則正しく並んでいる。
窓に映る二人の顔が、薄く透けて見える。
車内に、沈黙が落ちた。
運転手は前を向いたまま、何も言わない。
エアコンの送風音だけが、低く響いている。
サラは、窓の外を見ていた。
ミュラーも、反対側の窓を見ている。
距離は、変わらない。
でも――
ミュラーが、ぼそりと言う。
「あんたのお父さん、議員っぽくないな」
サラは横目で見て返す。
「……どういう意味?」
「偉そうじゃないってこと」
サラは小さく頷く。
「……そうね。優しいと思う」
「……お父様はね、いつも言うの。『偉い人間ほど、偉くない振りをしろ』って」
サラの声が、少しだけ柔らかくなる。
「でも私、そういうの苦手なの。だから、あなたみたいに――最初から”素”で生きてる人が、ちょっと羨ましい」
ミュラーは、それ以上言わない。
けれど、次の言葉が少しだけ遅れて落ちる。
「……素じゃねえよ。ただ、取り繕うのがめんどくせえだけ」
サラが、ふっと笑った。
「……そういうとこ、嫌いじゃないかも」
ミュラーはフロントガラスの向こうを見たまま、喉の奥だけが小さく動く。
「ああいう場所って……偉そうなやつしかいないと思ってた」
サラは、思わず口元を引き結ぶ。
(気にしてないのかと思ってた。……意外と、繊細なのね)
「そういうの、気にしない人かと思ってた」
ミュラーは、すぐには返さなかった。
フロントガラスの向こうを見たまま、喉の奥だけが小さく動く。
「……息が詰まる」
ぽつり、と落ちた声は低い。
次の瞬間には、いつもの調子に戻っている。
「してねーよ。別に」
(……素直じゃない)
サラは息を吐いて、窓の外へ視線を逃がしながら言う。
「あなたって……あんなに大きな機械に乗って、これから戦場に行くつもりなのに――大丈夫なの?」
ミュラーがこちらを向く。青い目が鋭くなる。
「はぁ? お前、バカにしてんの?」
その反応があまりにまっすぐで、サラは堪えきれずに吹き出した。
仏頂面で、距離感が初手からおかしくて、天才だの人気者だの勝手に持ち上げられているくせに。
実際はただ――不器用で、ひねくれた、素直じゃない人間。
サラの笑いは、少しだけ肩の力を抜いた。
「ごめん。バカにはしてない」
一拍置いて、サラは言い足す。
「……バカだなとは、思ったけど」
ミュラーが眉を上げる。
「思ってんじゃねーかよ」
車内に、ほんのわずかな温度が落ちた。
触れてはいない。まだ何も始まっていない。
でもサラは、さっきより少しだけ――この隣の人間が分かる気がした。
*
帰宅後、ミュラーは自室のベッドに倒れ込んだ。
部屋は、驚くほど殺風景だった。
ベッド、机、椅子、クローゼット。
最低限の家具しかなく、壁には何も飾られていない。
机の上には、教科書と端末が無造作に置かれているだけ。
窓の外には、コロニーの夜景が広がっている。
人工的な光が、規則正しく明滅している。
地球とは違う、作られた夜。
ミュラーは天井を見上げたまま、大きく息を吐いた。
「……疲れた」
制服のポケットから、あの封筒を取り出す。
(そういえば、結局開けてなかった)
差出人欄には、丁寧な字で――
『LAA訓練管理室より』
封を開けると、中には一枚の簡素なメモが入っていた。
『ミュラー・エリス殿
明日の実技訓練の集合場所が変更になりました。
第三格納庫から第一格納庫へ。
集合時刻は変わらず0800時です。
──LAA訓練管理室』
ミュラーは、メモを見つめたまま動かない。
「……ただの事務連絡か」
わざわざ議員の娘に届けさせる理由なんてない。
事務員が、たまたま廊下にいたサラに声をかけただけ。
(……偶然、か)
それでも――
あの時、廊下で手紙を渡されたこと。
車の中で、少しだけ打ち解けたこと。
全部が、偶然だったとしても。
ミュラーは、メモを机に置いて、窓の外を見上げた。
街灯の向こうに見える夜空は、さっきより少しだけ――近く感じた。
*
その夜、サラは自室の机に向かっていた。
サラの部屋は、ミュラーの部屋とは対照的だった。
本棚には、整然と並んだ書籍。
壁には、家族で撮った写真が数枚飾られている。
机の上には、書類が綺麗に整理され、ペン立てには色とりどりのペンが揃っている。
窓際には、小さな観葉植物。
カーテンは、落ち着いた色合いで統一されている。
部屋の隅には、ドレスや制服がかかったハンガーラック。
全てが、丁寧に扱われている。
サラは、明日の父の視察準備の資料を整理していた。
端末を操作しながら、ふと、今日の車内でのやり取りが頭をよぎる。
(……あの人、本当に変な人)
でも、嫌いじゃない。
むしろ――
サラは、ペンを置いて窓の外を見上げた。
宇宙コロニーの夜は、地球の夜とは違う。
人工的な光が、規則正しく明滅している。
(……これから、あの人はあの空を飛ぶんだ)
そして、いつか――
サラは、その先を考えるのをやめた。
まだ、何も始まっていない。
でも、今日という日が――この小さな出会いが、きっと何かの始まりになる。
そんな予感だけが、胸の奥に静かに灯っていた。
*
――数日後。
LAAの廊下で、ミュラーとサラはまたすれ違った。
今度は、サラの方から声をかける。
「……昨日の訓練、見てたわよ」
ミュラーが振り返る。
「……見てたって、何を」
「SKYの操縦訓練。すごかったわね」
「……別に。普通だろ」
「……嘘つき」
サラは、少しだけ笑った。
「……あなた、本当は――すごく、ちゃんとしてるのね」
ミュラーは、何も言わない。
ただ、少しだけ――目を細めた。
「……お前もな」
その言葉だけを残して、ミュラーは歩き出す。
サラは、その背中を見送りながら――
(……これから、どうなるんだろう)
そんな予感を、胸に抱いていた。
*
――Letter。
手紙は、いつも何かの始まりだった。
誰かから誰かへ。
言葉が届くまでの、ほんの少しの時間。
その間に、世界は少しだけ――変わっていく。
まだ、何も始まっていない。
でも、きっと――
二人の物語は、ここから始まる。
――fin.




