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SKY〜Harbor Nights〜   作者: RUI


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SKY〜Harbor Nights〜



ノイ・フェルン王国――海に面した白壁の港町に、ヘンドリック家の屋敷がある。

商家ではない。軍でもない。けれどこの家は、近頃になって急に“軍の客”が増えた。


理由は一つ。

次女のアンが、十三歳で連合軍の制度に組み込まれたからだ。


表向きは「宇宙コロニーの学校へ進学」。

実態は、VR保護システムの監視部門に籍を置く

――そんな肩書きが、穏やかなこの港町の空気を少しずつ変えていった。


夏休みで帰国している今でさえ、屋敷には招待状が届く。

“天才少女”を一目見たい大人たちの社交が、家族の静けさを削っていく。


長女のエマは、そういう場が得意ではない。

妹ほどの才能もない。家の期待が向く先がどこかも、嫌というほど分かっている。

それでも、アンの帰省だけは――何があっても守りたかった。


夜更けの廊下は静かで、屋敷の時計だけが淡い音を刻んでいた。

エマは書きかけの手紙を机に伏せ、灯りを落とそうとして

――ドアの隙間から覗いた小さな影に気づく。


「お姉様、まだ眠らないの?」

アンの声は、遠慮の皮を薄く被っただけの素直さだった。短く切った髪の毛の前髪だけをピンで留めている


エマは思わず笑ってしまう。こんな時間に、叱られる側が叱るような顔をしている。

「あ…えぇ。もうこんな時間なのね。あなたも早く寝なさい。お休みだからって夜更かししたらだめよ」


アンは肩をすくめる。寝不足のくせに、どこか楽しそうで。

「分かってる。ちょっと友達とメールしてたら遅くなっただけ」


“友達”。その言葉が、エマの胸に小さく引っかかった。

最初の帰省のとき、アンは「必要な人間しかいない」と言っていたから。


「……友達、ちゃんとできたのね」


アンは一拍だけ目を伏せ、すぐにいつもの調子に戻す。


「……監視対象だけどね」


エマは堪えきれず、くすりと笑った。

冗談みたいに言うくせに、その言い方が妙に現実的で

――アンがどんな場所にいるのか、改めて思い知らされる。


アンと同じ赤毛の長い髪を櫛で梳かしながらエマは優しく微笑む

「ふふ。あんまり、仕事は関係なさそうに見えるわ」


アンの口元が少しだけ緩む。隠しきれない、年相応の色。


「……バレた?」


そのまま、アンが笑った。

その笑顔に、エマは胸の奥がほどけるのを感じる。だけど同時に、ほどけた分だけ怖くなる。


「楽しそうで良かった。最初に、連合軍に入るって聞いた時は本当に心配したのよ」


「心配って……別に、宇宙コロニーで学校に行くだけなのに」


軽く言う。そう言えるように、訓練された声。

エマは首を振るしかない。


「“普通の学校”じゃないわ」


アンは小さく息を吐いた。


「まぁ、そうだけど……でも、同じような同級生も他にいるし」


“同じような”。

その言葉に含まれる意味を、エマは聞き返せない。聞いたら、もっと現実になる気がした。


「……みんな、まだ子どもだわ……それなのに、軍に籍を置くなんて……」


アンの表情が少しだけ静かになる。視線がまっすぐで、子どもの鋭さがある。


「……お姉様は連合軍が嫌いなの?」


エマは否定の言葉を探した。けれど、嘘は言えなかった。


「心配なのよ。戦場に繋がる場所にいるのが。――可愛い妹だもの」


アンは、そこで初めて声を弱くした。

返事の前に、わずかに呼吸が揺れる。


「……じゃあ、休みの間は、お姉様と一緒にいる」


まるで、約束にしてしまえば安心できるみたいに。

エマはアンの頭に手を置きたい衝動をこらえて、代わりにゆっくり頷いた。


「そうね。……一緒にいましょう」


窓の外、海風が白い壁の街を撫でていく。

遠い戦場の匂いはしない。――けれど、エマの胸の奥には、もう薄い影が落ち始めていた。


そして数日後。

港町は仮面舞踏会の灯りで満ち、屋敷は磨かれた白のまま、別の顔を被る。


白い壁の屋敷は、港町の夜をそのまま磨いたみたいに明るかった。

窓の向こうには黒い海。波の匂いだけが、絹と香水の間をすり抜けてくる。


エマはホールの端に立っていた。

手袋の指先を重ね、笑うべきタイミングでだけ薄く口元を上げる。

言葉の輪に入れないのは、慣れている――はずだった。


少し離れた場所で、アンが大人たちに囲まれている。

十三歳の少女に向けられる視線ではない。興味と期待と、値踏み。


「……すごいわね、あのお嬢さん」

「連合の監視部門に籍を置いているって。本当なの?」

「まだ子どもなのに?」


エマは聞こえないふりをした。

聞こえないふりをして、背筋だけは真っ直ぐにした。


“取り柄のない長女”。

この場にいる理由を、親はあからさまに言わない。

けれど空気は正直だ。

――アンのついで。


その時、誰かが隣に立った。

背の高い影が、灯りを少しだけ遮る。


「踊らないんですか?」


低い声。押し付けがましくないのに、逃げ道も塞がない距離感。

エマは反射で、社交の返事を探す。


「あ、えっと……あんまり得意ではなくて」


男は小さく息を吐いた。笑っていないのに、声が柔らかい。


「私もです。踊り方を忘れました」


忘れる、という言い方が不思議だった。

初対面なのに、初対面じゃない気がする――そう感じるのは、彼がこの場に馴染んでいないからかもしれない。


エマはそっと横顔を盗み見た。

整った顔立ち。優しそうなグリーンの瞳。

けれど視線は、華やかな中央ではなく、窓の外の暗さに寄っている。


「……こういう場所は、正直苦手です」


エマは、笑うべきか迷ってから、正直に言った。


「……私もです」


短い沈黙。

その沈黙が、会話より楽だった。


男は少しだけ口元を上げる。


「よろしければ、外で話しませんか」


エマは静かに頷く

「…はい。」


白い壁の屋敷から一歩出ると、港町の夜はひやりと静かだった。

音楽は扉の向こうで薄まり、代わりに潮の匂いが濃くなる。

風は海から来て、ドレスの裾をほんの少し揺らしていった。


エマは息を吸って、胸の奥に溜めていた息をゆっくり吐いた。

背中に貼り付けていた笑みが、やっと剥がれる。


隣に立つ長身の男も、同じように空を見上げていた。

灯りの縁で横顔だけが淡く浮いている。室内の眩しさよりも、ここにいるほうが自然に見えた。


「失礼。自己紹介を飛ばしていました」


声は低く、硬くない。

彼は軽く会釈してから名を告げた。


「レオン・サルマと申します」


エマは一拍置いて、同じ高さで礼を返す。

社交の作法は身体が覚えている。けれど今は、それが少しだけ自分を守ってくれる気がした。


「エマ・ヘンドリックです」


その名を聞いた瞬間、レオンの視線がほんのわずかに動いた。

理解の仕草――というより、何かを照合するみたいに。


「ヘンドリック……ああ。今日の主役だ」


エマは小さく首を振って、苦笑を作る。

“違う”と言い慣れた口調だった。


「主役は妹です。私は、付き添いで……」


レオンは否定も同情もせずに頷いた。

ただ事実として受け取る、そういう頷き方。


「そうですか。……妹さんの噂は聞いています」


エマは、指先で手袋の縫い目をなぞった。

爪が布に引っかからないよう、慎重に。

それは癖だった。言葉が乱れそうな時に、気配を小さく整えるための。


「……まだ子どもなのに」


気づけば、声が本音の温度になっていた。

言ってしまった、と遅れて思う。


「皆さん……“道具”みたいに見るのね」


風が一度、強く吹く。

エマの髪が頬にかかり、視界が揺れた。


レオンは、すぐに言い返さなかった。

沈黙を急いで埋めない人だ、とエマは思う。

その沈黙が落ちるまで待って、それから彼は静かに言った。


「……失礼しました。誤解させてしまったようですね」


その声音に、責める棘がない。

謝罪というより、距離の取り直しだった。


エマは慌てて首を振る。

自分のほうが先に踏み込みすぎた、と痛みが来る。


「いえ。つい……私こそ、すみません」


レオンは視線を逸らさないまま、少しだけ眉を上げる。


「……軍が嫌いですか?」


問いはまっすぐだった。

押し付けではないのに、逃げ道も用意されていない。


エマは答えを探すより先に、胸の奥が静かに沈むのを感じた。

好き嫌い、という簡単な言葉に収まらない。

それでも問われたから、言葉にしなければならない。


「……好き嫌いを問われたら」


エマは遠くの海を見る。

黒い水面の上に、作業灯がまばらに揺れていた。


「子どもを道具みたいに扱う場所が、好きになれません」


言い切ったあと、風がまたひとつ通り過ぎる。

その冷たさが、少しだけ自分を落ち着かせた。


レオンが、初めてはっきり笑った。

大きくはない。けれど確かに温度がある笑みだった。


「正直な人だ」


そして、笑みを残したまま、言葉を落とす。


「私も、人を道具として扱う場所は嫌いです」


エマは驚いて、彼を見る。

その横顔は変わらないのに、胸の内側だけが少し揺れた。


(……この人も、きっと軍の関係者なのに)


そう思った瞬間、屋敷の扉が開く音がした。

光が一筋、夜へこぼれる。


「お姉様!」


小さな足音が駆けてくる。

アンだった。ドレスの裾を片手で持ち上げながら、

眉を寄せるでもなく、不機嫌を隠しもしない顔でこちらへ来る。


「こんなところにいた!」


エマは反射で笑って、アンの肩にそっと手を置いた。

冷たい空気の中、妹の体温が確かにあった。


「ごめんね。ちょっと外の空気を吸いたくて」


アンはぷい、と口を尖らせかけて、でもすぐに諦めたように息を吐く。


「私も。中にいたくない。足、痛いし……知らない人に囲まれるし」


言いながら、アンの視線がレオンへ向く。

一瞬で測るように見て、すぐに興味を引っ込める

――その速さが、子どもらしさと異質さを同時に持っていた。


エマはアンの髪を撫でて、宥めるふりをした。

自分の動揺まで、ついでに隠すみたいに。


レオンはアンに向けて、目立たない礼をした。

敬意を示す相手を、年齢で選ばない人の仕草だった


アンの母親が、扉の影からこちらを見つけて歩み寄ってきた。

香水の残り香と、室内の光が一緒に外へ漏れる。

「アン、こんな所にいたの。いらっしゃい。お父様が呼んでるわ」


アンは露骨に顔をしかめ、エマの袖を掴んだ。


「えぇー……お姉様、ここにいてね。置いていかないで」


エマは小さく笑って、揺れない声で頷く。


「ええ。待ってるわ」


アンが渋々室内へ戻ると、扉が閉まり、夜がまた静かになった。潮の匂いが濃くなる。


レオンはその背中を見送ってから、肩をすくめるみたいに言う。


「人気者だ」


「ええ。あの子は……優秀なんです」


エマが誇らしさと心配を混ぜた声で言うと、レオンはすぐに頷かず、少しだけ目を細めた。


「……貴女も、なかなか“勇気がある”」


「……え?」


不意に褒められたみたいで、エマは瞬きをする。

レオンは小さく笑って、淡々と続けた。


「少なくとも、初対面の軍人に向かって、忖度なしで自分の意見を言える女性は貴重だ」


エマの頬が熱くなる。

恥ずかしいのは、褒められたからだけじゃない。あの言葉が、本当に心から出てしまったからだ。


「……やだ、私ったら。本当に……」


言いかけて、言葉が落ちる。

“妹を守りたい”が見えてしまった気がして。


レオンは首を振り、笑みを消さないまま言った。


「気にしないで。楽しい時間でした」


そして、少しだけ真面目な声になる。


「気乗りしない場所でしたが……貴女に会えたから、来てよかった」


エマは名前を呼びかけてしまう。距離が近づく音がした。


「……サルマさん」


レオンは一拍置いて、静かに言い直した。


「どうか、“レオン”と呼んでください」


(……本当に、不思議な人だわ)


エマがそう思った瞬間、レオンの表情から笑みが消えた。

代わりに、決意の静けさが入る。


「私は、明日、西方戦線へ出発します」


夜風が一度、二人の間を通り抜ける。

エマの心臓が遅れて音を立てる。


レオンは逃げない目で、問いを置いた。


「戻って来たら……また会えますか?」


エマはすぐに頷いた。

答えは考える前に出ていた。


「——はい」


レオンは、扉を開けてから、小さくを会釈してエマに言う。


「約束です」


扉が閉まったあと、エマはしばらく外の夜を見ていた。

弦の音は遠く、潮の匂いだけが近い。


やがてアンが戻ってくる。足取りは速いのに、顔は露骨に疲れている。

エマの袖を掴んで、ようやく安心したみたいに息を吐いた。


「お姉様」


アンが覗き込む。目がやけに鋭い。


「……顔、赤い。さっきの人に何か言われたの?」


エマは反射で頬に手を当てた。冷たい風のはずなのに、そこだけ熱い。


「え……そう? ……子どもには言えないわ」


アンはむっとして、唇を尖らせる。


「……いつも私に、子ども子どもって言うけど」


言いながら、指でドレスの裾をつまむ。

子どもみたいな仕草なのに、言葉は容赦がない。


「お姉様だって、十八歳だし。

さっきの人と話して赤くなるなんて……子どもね」


「アン!」


エマが咎めると、アンは肩をすくめた。

怒られても、別に怖がらない。怖がらないけど――少しだけ笑う。


そして、ふっと真面目な顔になる。

誰かの顔を、頭の中で並べているみたいに。


「……分かった」


エマは首を傾げる。


アンは目を細めずに、ただ確信だけで言った。


「私の……友達。誰かにずっと似てると思ってたけど」


一拍。

港の風が、白壁の影を揺らす。


「お姉様に、似てるんだわ」


エマは言葉を失って、アンを見る。

アンはもう、からかう顔じゃなかった。


その視線には、心配が混じっている。

妹のほうが、姉を見守ろうとしているみたいに。


エマは笑ってしまう。

負けた、と思いながら、アンの頭をそっと撫でた。


「……帰ろう、アン」


「うん」


二人は並んで、光の中へ戻っていった。

エマの胸の奥には、さっき交わした“約束”がまだ静かに残っている。


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