SKY-Cut the Line-
中立圏の航路は、静かだ。
静かなぶん、嫌な予感だけがよく響く。
貨物船の操舵席。
サジ・レンブラントは、手元のコンソールに肘をつきながら、
視界いっぱいに広がる暗い宇宙を見ていた。
モニタには船団の識別信号が点々と並んでいる。
貨物、生活物資、医療品。小型の居住船――避難民。
どれも武装なんて持たない、持てない。
「……ま、今日も平和に稼ぐだけっしょ」
独り言は、誰にも届かない。
船内は貨物の振動音と換気の低い唸りだけで、会話が生まれる余白がない。
彼は”正規軍に行ける腕”があると言われたことがある。
でも軍服は嫌いだった。
戦争は、勝っても負けても、いつも”誰かの生活”を削る。
コンソールに、航路管制からの定型メッセージが流れてきた。
『本航路、警戒レベル据え置き。現状、脅威反応なし』
サジは鼻で笑う。
脅威反応は、いつだって”脅威が起きた後”に出る。
そして、そういう直感は――当たるときほど、胸の奥が冷たくなる。
次の瞬間だった。
船体が、ほんのわずかに震えた。
衝突でもない。推進でもない。
“空気が変わる”みたいな、説明のつかない揺れ。
「……は?」
視界の端、船団の一隻が光った。
白い閃光。遅れて、火花が散る。
『被弾――!?』
通信が割れた。
誰かの叫び声。警報。航路管制の慌てた声。
『全船、散開! 散開! 識別不明の攻撃――』
サジの指が勝手に動く。
推進を落とし、姿勢制御を入れ、船団の外側へ逃がす。
コンソールに、船団の配置が表示される。
避難船がいる。貨物船より鈍い。
“遅いもの”から死ぬ。
サジは舌打ちしながら、通信を開く。
「こちら貨物船レンブラント! 避難船、推進を最大に! 俺が後ろを――」
ーーーーザッ、
言い終わる前に、次の閃光。
避難船の推進部が吹き飛んだ。
「くそ……!」
モニタに、赤い点が複数浮かぶ。
敵機。数が多い。
中立圏の航路で見たことがない動き。無線も乗せていない。
そして、その赤い点が――避難船へ向かっていた。
「やめろ、そっちは……!」
サジは操舵席で叫ぶ。
言葉にしたって、届くはずがない。それでも、口から漏れた。
避難船の推進が揺れる。
細い光が乱れ、姿勢が傾く。
サジは自分の船を回り込ませようとした。
貨物船で敵機を遮る。
バカげてる。
でも、他に何ができる。
その時、第二の閃光。
避難船の腹が割れた。
破片が散る。
真空に、音はない。
でも、サジの胸の中だけが、ひどくうるさくなる。
モニタに、生命反応の表示が点滅する。
避難船の中にいた人数。
四十七。
それが、じわじわと減っていく。
四十五。
四十二。
三十九。
数字だけが、死を告げていく。
身体が硬直するのに、頭は冷える。
手だけが動いて、救難信号を飛ばし、近くの船に退避ルートを送る。
『こちら貨物船レンブラント。避難船が――! 生存反応――』
応答は割れた。
次の被弾で、送信が途切れた。
あっという間に、船団は崩れていく。
散開しきれない船が落ち、貨物が燃え、航路標識が折れていく。
サジは必死に自分の船を操る。
推進を絞り、姿勢を変え、敵の射線から外れる。
でも、それだけだ。
逃げてるだけだ。
また、貨物船が一隻、爆散する。
その船の名前を、サジは知っていた。
三日前、宇宙港で挨拶を交わした。
「次も無事にな」って言い合った。
その船が、今、散っていく。
サジは、操舵席で息を吸うのが苦しくなった。
喉が乾く。
指先が冷たくなる。
「……俺、何やってんだ」
逃げてるだけだ。
逃げて、見てるだけだ。
助けたい。
でも武器がない。
正規軍でもない。救難船でもない。ただの貨物船パイロットだ。
モニタの端で、また生命反応が一つ消える。
その時だった。
別の”光”が見えた。
速い。
鋭い。
そして、動きが”戦場のもの”だ。
戦闘機――SKY。
見たことがある。映像で。
けれど、ここで見るはずがない。
「……正規軍?」
違う。
味方の識別信号が、ない。
でも敵機を追い詰めていく。
サジは息を飲んで、その動きを追った。
真っ直ぐじゃない。正面から突っ込まない。
外側から回り込み、敵の編隊の”隙間”を突いていく。
そして――敵機を撃つんじゃない。
敵の”後方”にいる、輸送艇を狙っている。
補給。
弾薬。
燃料。
戦闘機を動かしている”腹”だ。
サジの目が、その動きを追う。
ああ、そうか。
撃ち落としたのは、戦闘機じゃない。
戦闘機を動かしている”線”だ。
敵の”輸送艇”が燃えた。
武器弾薬か、燃料か。分からない。
でも――敵はそこから崩れた。
指揮系統を潰された群れみたいに、敵機がばらける。
動きが乱れる。
補給が切れた戦闘機は、ただの鉄の塊だ。
サジは息を飲んだ。
これが、戦い方か。
人を殺すんじゃない。
“線”を切る。
そのとき、通信が入った。
『――中立圏航路、全船へ。こちらARCLINE。』
知らない名前。
でも、声は落ち着いていた。
雑音の向こうで、誰かが当たり前のように指揮をしている。
『生存反応がある船は、座標を送れ。救難艇を回す。繰り返す、生存反応のある船は――』
サジは反射で送信した。
自分の船の座標。近くで漂っている脱出ポッドの反応。避難船の残骸周辺。
『……こちら貨物船レンブラント。生存反応、複数。だが……避難船が落ちた。』
声が掠れた。
“落ちた”って言葉が軽すぎて、喉の奥が焼けた。
通信の向こうで、一拍沈黙があった。
それから、短い返答。
『了解。今、回す』
慰めはない。
怒りもない。
ただ、やるべきことだけが返ってきた。
サジは、そこで初めて気づく。
自分が求めていたのは、きれいな言葉じゃない。
現場で”手を動かす誰か”だった。
ほどなくして、救難艇が視界に入った。
小さな艇が、残骸の隙間を縫ってポッドに向かう。
誰かが生きるかもしれない動きが、そこにあった。
戦闘の終わり際。
敵機が撤退していく。
ARCLINEの機体が追わない。追撃もしない。
代わりに、残骸の間を救難艇が走り続ける。
「……追わねえのかよ」
サジが呟くと、通信が入った。
『追えば、巻き添えが増える。』
短い声。
男か女か分からないくらい淡々としている。
言い訳じゃない。方針だ。
サジは唇を噛んだ。
そういう”割り切り”ができるやつは、嫌いだったはずなのに――
この場で必要なのは、それだった。
*
宇宙港に接岸したのは、それから三時間後だった。
船のハッチを開けると、港の空気が流れ込んでくる。
金属とオイルと、どこか焦げた匂い。
サジは操舵席を離れ、船倉の貨物をチェックする。
無事だ。
傷一つついていない。
自分の船は無事で。
避難船は沈んで。
その事実が、妙に重い。
船倉を出ると、港の係員が近づいてきた。
「レンブラントさん、無事でしたか」
「……ああ」
サジは短く答えた。
「他の船は?」
「貨物船三隻が無事。避難船は……」
係員が言葉を濁す。
サジは、それ以上聞かなかった。
港の隅に、生存者が集まっていた。
毛布にくるまった人々。
子供を抱きしめる母親。
呆然と座り込む老人。
避難船から、救い出された人たち。
サジは、その光景を遠くから見た。
助かった人がいる。
でも、助からなかった人の方が多い。
自分は、何もしなかった。
逃げただけだ。
胸の奥が、重い。
サジは一通り作業を終えると、船から港へと降りた。
(……ARCLINE…か…)
第三勢力の噂は聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。
連合でもない。
帝国でもない。
ただ、現場で手を動かす誰か。
サジの背中に、足音が近づいてきた。
「サジ・レンブラントってあんた?」
サジが振り返ると、赤毛の少年が一人立っていた。
「そうだけど、なんだ坊主?」
サジは怪訝そうに少年を見る。
「20時 港の外れにあるBar G」
少年はサジに向かって言った。
「…は?」
「伝えろって頼まれたんだ。20時 Bar Gだよ。」
赤い髪の少年は、それだけ言うと走り去っていった。
「おい……!」
サジはぽかんとして少年が走って行った方を見ていた。
(20時…港の外れ…Bar G)
「…なんだってんだ…」
誰に呼ばれているかも、何のために行かなければいけないのかも、サジには見当もつかなかった。
でも、行かなければならない気がした。
あのARCLINEの声。
あの戦い方。
あの救助。
何かが、引っかかっている。
*
Bar Gは港の外れ、狭い路地を抜けた場所にひっそりとあった。
店の中にはカウンター席とテーブル席が二席だけ。
常連客しか訪れないような古い店だった。
サジは奥のカウンターに腰を下ろすと、ポケットからタバコとライターをテーブルに置き、店のマスターにビールを注文した。
テーブル席に二人客がいるだけで、店内には静かにジャズが流れているだけだった。
サジはビールを一口飲んだ。
冷たい液体が、喉を通る。
でも、味がしない。
頭の中に、まだ残っている。
避難船が割れる瞬間。
生命反応が消えていく数字。
モニタの端で、また一つ、また一つ。
タバコを口にくわえ、火をつける。
煙が肺に入る。
それでも、胸の奥の重さは消えない。
「よぉ、サジ・レンブラントか?」
暗がりから現れた男は、無精髭を生やし口にタバコを咥えていた。
よれたジャンパーの中にシャツを着た40代中旬くらいの男は、サジの隣に座った。
サジは、一瞬身構えたが男の目を見た瞬間に気づいた。
その目はサジを捉えていたが、サジではなく自分の目の奥を見ているようだった。
戦場を経験している目だ。直感でそう思った。
「…あんた、誰だよ。なんで呼び出した?」
男は店の常連客なのか、マスターは何も聞かずに瓶ビールを差し出した。
「お前、昨日、撃てたのに撃たなかったな?」
「…何を…」
サジの手が、止まる。
(こいつ…もしかして)
「――直感型か。悪くない。」
男は短く言った。
「操縦の腕が良いらしいじゃねぇか。正規軍にも入れるって評判だ」
「…だから?」
サジは警戒したまま、男を見る。
「……軍は嫌いか?それとも、戦争が嫌いか?」
「……どっちも同じだろ。殺すためにやってる。」
男は、ビールを一口飲んだ。
「そうか。じゃあ、お前は逃げてるだけか?」
その言葉が、サジの胸に刺さる。
サジは自分のタバコを探しながら言った。
「説教なら他あたれ。俺は貨物屋だ」
男がサジにタバコを差し出す。
「船団が、まだ頭に浮かぶか?」
サジは男を睨んだ。頭に、さっきの記憶が浮かぶ。
避難船。
生命反応が消えていく数字。
自分は何もできなかった。
「…あんた、なんなんだよ」
男は続けた。
「俺は妻を殺された」
その声は、淡々としていた。
でも、奥に何かが沈んでいる。
「帝国に、だ」
男はタバコの煙を吐いた。
「でも、連合にも入らなかった」
「……なんでだ」
「軍服を着たら、“戦争”のために殺すことになる」
男はサジを見た。
「俺が殺したいのは、“戦争”そのものだ」
サジは、息を飲んだ。
「戦争を、殺す?」
「ああ」
男は短く答えた。
「戦争を動かしてる“線”を切る」
「それだけだ」
サジの頭の中で、何かが繋がる。
さっき見た戦闘。敵機を撃たず、補給艇を狙った動き。
追撃せず、救助を優先した判断。
「一緒に来い。軍服は着せねぇ」
避難船が割れる瞬間。
数字が減っていく。
それを、俺は見てるだけだった。
「――撃つのは、戦争の”線”だけだ」
そう言うと、男は二人分の代金をマスターに渡して店から出て行った。
「30分後、ここを出る。来い」
サジは、手元のタバコを指で握りしめ、灰皿に押し付けて消した。
*
店を出ると、港の風がタバコの匂いを攫っていった。
狭い路地を抜けた先に、夜の宇宙港の灯りが広がる。
係留ブームの向こうに、難民船が見えた。
貨物船より一回り小さく、外装は補修痕だらけで、塗装がまだらに剥げている。
窓の内側に、薄い明かりが点々と揺れていた。
――あの日と、同じだ。
沈んだ船団の灯り。消えた通信。
助けを呼ぶ声が、真空の向こうに溶けていく感覚。
サジは無意識に、胸ポケットのタバコを指で探した。
さっき灰皿に押し付けて消したのに、まだ指先に熱が残っている。
難民船の脇で、細い補給ラインが繋がれていた。
その”線”が、見える。
どこを切れば、誰が生きて、誰が死ぬか――そういう線だ。
サジは目を伏せて、息を吐いた。
(……俺は貨物屋だ)
そう言い聞かせるほど、嘘に聞こえた。
三十分後。
店の前に停まった車のエンジン音が、一度だけ低く唸った。
サジは、立ち上がった。
踏み出した一歩が、どこか軽かった。
逃げるんじゃない。
向かっていく。
その違いが、足取りに出ている。
車のドアが開く。
中には、さっきの男が座っていた。
「決まったか」
「ああ」
サジは短く答えて、車に乗り込んだ。
ドアが閉まる。
エンジンが唸る。
車が動き出す。
窓の外に、宇宙港の灯りが流れていく。
サジは、もう一度、難民船を見た。
今度は、守る。
……守れなかった分まで。




