SKY-A Lie to Protect -
アイドロン居住環/アイドロン第3医療区画
白い天井と白い壁に囲われた医療区画。
蛍光灯の光が、影を作らない。
すべてが均一に、冷たく照らされている。
軍の特別保護プログラム室。
その一角に、セリ・アンダーソン、ジョン・ラブラトリー、アン・ヘンドリックの三人がいた。
三人は軍の人間としてVR監視役に就いており、中学・高校への進学を条件に、この医療区画に配置されていた。
入隊後の研修期間が終わり、今日からVR仮想空間内での中学校の入学式に出席するための準備をしている。
監視役である三人が眠っている間は、監視員が別室からモニターでチェックする。
クリス・ヘミング——監視員の一人が、三人に説明した。
「今日から1週間は眠ってもらうから、体調がおかしいとかあったらすぐに報告するように」
「了解しました」
三人は、それぞれに答えて、ベッドに横になる。
セリがジョンの顔を見て、口を歪ませた。
「ジョン、お前なんでそんなに楽しそうなの」
ジョンは布団に潜り込みながら、セリの質問に答える。
「そう?これから1週間も眠れるなんて最高だなって思って!」
セリは天井を見て、まぶたを閉じながら言う。
「ほんとに、お前は毎日楽しそうだな。俺はもう目と頭が痛い」
二人のやりとりを見て、アンが呆れた顔をして言った。
「ジョンもセリも、任務ってこと忘れないでよ」
「わかってるよ」
二人の声は揃ったが、その表情は対照的だった。
ジョンは重くもない瞼を閉じながら、白いカーテンの向こうに並んでいる二つのポッドに目を向けた。
ポッドの中では、少年と少女が静かに眠っている。
ガラス越しに見える横顔は、穏やかで、まるで夢を見ているようだった。
でも、その体には、いくつもの管が繋がれている。
モニターが、心拍と呼吸を数値で刻み続けている。
ピッ、ピッ、という規則正しい音。
換気装置の低い唸り。
それだけが、この部屋の「生きている証」だった。
ジョンは、何度もこの二人を見てきた。
小学1年生の時から。
父に連れられて、この施設に来るたびに。
名前も知らない。
声も聞いたことがない。
でも、「知っている」気がしていた。
そして、今日。
やっと、話せる。
やっと、会える。
ジョンの胸の中で、何かが温かくなった。
それと同時に、重いものも増えた。
「監視」という鎖。
「嘘をつけ」という父の言葉。
それでも、ジョンは笑っていた。
(やっとだ)
——機械の音だけが、残った。
そして、意識は深層に落ちていく。
*
機械の唸りだけが、いつもそこにあった。
医療用の区画は、いつも静かで機械の音だけが響いていた。
本当は子供は入れちゃいけないから、内緒だよ。
父であるロイ・ラブラトリーは、そう言って笑った。
宇宙コロニーに来るたびに連れてきてくれる、この保護施設。
その医療区画には、ガラス越しに二つのポッドが並んでいた。
自分と同じ年齢くらいの少女と少年が、たくさんの管に繋がれて眠っている。
初めてこの二人を見たのは、小学1年生の春だった。
自分のプログラミング能力が、他の子供とは違い頭ひとつ抜けていることに周囲が自覚し始めてからだった。
ロイに手を引かれて、この医療区画に来た。
「ちょっと、見せたいものがあるんだ」
ロイは、そう言ってジョンをガラスの前まで連れて行った。
ガラスの向こうに、ポッドが二つ。
その中に、同じくらいの年の子が眠っていた。
少年と、少女。
たくさんの管に繋がれて、モニターに囲まれて。
それでも、その顔は穏やかだった。
ジョンは、その瞬間、何かが胸の中で動いた。
「この子たち、ずっとここにいるの?」
父は、少しだけ困ったような顔をして、頷いた。
「ああ。でも、いつか起きる」
ジョンは、ガラスに手を当てた。
冷たいガラスの向こうで、少年が眠っている。
「この子たちと、話したい」
ジョンは、そう思った。
理由は分からない。
でも、「友達になりたい」と思った。
それから、何度もこの施設に来た。
そのたびに、二人を見た。
名前も知らない。
でも、「知っている」になっていた。
あの頃から、何度も軍の関係者が家に来ては父親が対応していたことを知っている。
そして、その度に父の表情が暗くなっていたことも、幼いながらにジョンは気づいていた。
父の背中が、重そうだった。
ガラスの前に立つ父の背中が、いつもより小さく見えた。
それからいくつかの年月が経ち、ジョンは小学6年生になっていた。
今日は珍しく父から一緒に宇宙コロニーに行かないかと誘われたので、ジョンは喜んでついてきた。
ジョンにとって、いつのまにか、この施設に来たら二人を見れる。ではなく”二人に会える”という気持ちが芽生えていた。
名前も知らないのに、ジョンの中ではもう”知っている”になっていた。
*
部屋の扉が開く音が聞こえ、父親であるロイ・ラブラトリーが右脚を引きずりながら入ってきた。
ロイは昔、右脚を仕事で痛めてから前線からは退いていた。
西方本部のシステム開発課にいるロイは、一年に数回だけ、この保護施設に来ていた。
「ジョン、待たせたね」
ロイが声をかけた時、ジョンはガラス越しに、眠っている少女達を見つめていた。
「この子たち、前に見た時より大きくなってる」
当たり前のことを、当たり前に疑問に思う息子を見て、ロイは頬を緩めた。
「眠っているだけだからね。毎日、君と同じように成長してるよ」
ジョンの目線は父ではなく、正面のポッドから離れない。
「……ずっと眠ってるんだ。なんだか可哀想だね」
ロイは返答に少し困ったが、ジョンの肩に手を置き話始める。
「……そうかもしれないね。ジョンは、この子たちが目を覚ましたら友達になってくれるかい?」
ジョンは父親の方に顔をあげた。
「僕、この子達がこのまま眠っていても友達になれるよ」
その真っ直ぐな目と言葉に、ロイは息子の優しさを感じて嬉しくなったが、同時にこれから伝えなければならない事の重さを感じていた。
ジョンの肩に置く手に力が入る。
「ジョン、君の進路について相談があるんだ」
ジョンは、少しだけ目を細めた。
それから、小さく頷く。
「……僕、来てもいいよ」
ロイは、何も言わない。
何も言えなくなった。の方が正しいかもしれない。
息子はすでに、自分の置かれた状況を理解していた。
「僕、お母さんに聞いたんだ。お父さんの足のこと」
ジョンがロイの右脚に目を向ける。
ロイは、口調が変わらないように、優しく聞く。
「母さんはなんて言ってた?」
「……脚のことは、何も教えてくれないよ」
「ただ、お父さんはずっと。友達のためにこの子達を守ってるって」
ジョンは、誰かのために人を守るシステムを作った父親が、ずっと誇らしかった。
「だから。いいよ」
ジョンの声には、何の迷いも不安もなかった。
そして、父と同じ道を歩くことを、もう自分は決めている。そうゆう声だった。
ロイはガラス越しの二つのポッドを見たまま、ゆっくり息を吐いた。
機械の唸りが、言葉の間を埋める。
「ジョン」
「ここにいる二人は、守られてるように見えるだろう。違う」
ロイは言葉を選ぶのをやめたみたいに続ける。
「守られてるんじゃない。……今は”管理されてる”。だから生きてる」
ジョンの喉が小さく鳴った。
「君がここに来たいなら、条件がある」
ロイはようやく息子の方を見た。
優しい顔を作ろうとして、作れなかった。
「軍に籍を置く。監視役として」
ジョンが瞬きをする。
「……監視?」
「守るための”条件”だ」
ロイは自分の右脚に手を置いた。
痛みをごまかす癖みたいに。
ロイの右脚は、前線で負傷した。
詳しいことは、母も教えてくれない。
「お父さんは、守るために戦った」
それだけ。
ジョンは、父の右脚を見た。
少しだけ引きずる歩き方。
たまに、顔を歪める瞬間。
守るために、失ったもの。
でも、父は今も守り続けている。
この二人を。
そして、これから自分も。
ジョンは、父の右脚から目を逸らさなかった。
「……父さん、痛い?」
ロイは、小さく笑った。
「慣れたよ」
その声は、優しかった。
でも、どこか重かった。
「でも、それは君を縛るためじゃない。君を守るための鎖だ」
ロイは端末を取り出し、画面を見せた。
アクセス権限の一覧。
「君には鍵を渡す。ただし、全部は渡さない」
「一人では開けられない鍵だ。必ずログが残る。抜け道は作らない」
ジョンは画面を見つめた。
その目は、理解が早い子の目だった。
「……僕が、開けたって疑われる?」
ロイは一拍置いて、否定しなかった。
「疑われる」
「だから、鎖が必要なんだ」
ロイは声を落とす。
「君は賢い。だからこそ、狙われる。利用される」
「それでも来るか?」
ジョンはポッドの少年と少女を見た。
それから、父の右脚を見た。
「……うん。来るよ」
さっきより少しだけ声が小さかった。
でも、逃げない声だった。
ロイは、笑わなかった。笑えなかった。
代わりに、息子の肩に置いた手に力を込めた。
「じゃあ、もう一つだけ」
「何?」
「守るために嘘をつけ」
ロイは静かに言う。
「君は優しい。優しいままでは、ここでは持たない」
ジョンは少しだけ眉を寄せた。
それでも、頷いた。
「……分かった」
ロイはその頷きに、胸の奥が痛くなるのを感じた。
これは”進路相談”じゃない。
子どもの人生に、鍵と鎖を付ける行為だった。
ジョンは、ロイの目を見て言った。
「お父さんたちは、西方で僕たちを見ててくれるんでしょ」
ロイは静かにジョンに答える。
「……あぁ、そうだよ」
ジョンは、また眠っている二人に目を向ける。
「……じゃあ、僕はここで、あの子たちを見てるよ」
それから、ロイに向き直りニコッと笑った。
「やっと、話せるんだ!楽しみだな!」
ロイは、ジョンのその軽い笑顔に、肩の力が抜けた。
息子は、自分が思っていたよりも、ずっと強いのかもしれない。
ロイはジョンの肩から手を離さないまま、ゆっくりと言った。
「今日のことは、外では言ったらだめだ。君がここに来た理由も、見ているものも。全部」
「……うん」
「“守るために嘘をつく”。忘れないで」
「……うん」
ジョンは頷いてから、もう一度だけポッドの二人を見た。
眠っている横顔が、いつか起きる顔だと、ジョンは信じていた。
信じることだけは、誰にも止められない。
ロイが扉に手をかける。
開く前に、短く息を吐いた。
扉が開いた。
廊下の空気が流れ込む。
施設の外へ向かう足音が、いつもより重く聞こえたのは、ジョンの胸の中に”鍵”が増えたからだった。
それでも。
ジョンは歩きながら、ふっと笑った。
“話せる”という言葉が、今は怖いのに、同じくらい楽しみでもあった。
——やっと、会える。
*
入学式の仮想空間は、やけに明るかった。
空は高く、風は匂いもしないのに、旗だけがはためく音を持っている。
整列した新入生の列の向こう、壇上の影が白く縁取られて見えた。
(本当に現実みたいに思える……父さんすごいな……)
ジョンは自分の制服の襟元を一度だけ指で触った。
首の裏が少し熱い。
「嘘をつけ」という父の声が、まだ耳の奥に引っかかっている。
でも、目の前にいるのは、眠っている誰かじゃない。
立っている誰かだ。
列の端。
少し離れた場所に、同じ年頃の少年がいた。
整った姿勢。
背筋が、一本の線みたいに真っ直ぐだ。
黒い髪は整えられていて、制服もきちんと着ている。
でも、どこか違う。
表情は硬くない。
笑ってもいないけど、怒ってもいない。
ただ、瞳だけが——真っ直ぐすぎる。
ジョンは、一瞬で分かった。
(ああ、この子だ)
ポッドの中で眠っていた、あの少年。
ガラス越しに見ていた、あの横顔。
でも、今は立っている。
目を開けている。
やっと、会えた。
ジョンの胸が、高鳴った。
同時に、父の言葉が頭をよぎる。
「守るために嘘をつけ」
でも、今は嘘じゃない。
「友達になりたい」は、本当のことだ。
だから、笑う。わざと軽く。
ジョンは迷わなかった。
この瞬間に迷ったら、ずっと迷う気がしたからだ。
ジョンは半歩踏み出して、少年の前に立った。
にこっと笑う。わざと軽く。
「俺、ジョン・ラブラトリー!」
「宜しくな!」
少年が一瞬だけ目を瞬かせる。
それから、短く息を吐いたみたいに肩の力が落ちた。
ジョンは、その変化が嬉しかった。
この子は、もう眠っていない。
目を開けて、こっちを見ている。
ジョンの胸の中で、温かいものと冷たいものが混ざり合った。
ああ、会えた。
やっと、話せる。
その言葉の温度を、ジョンは確かめるみたいに飲み込んだ。




