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SKY〜Harbor Nights〜   作者: RUI


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11/13

SKY -Into The Clear -

 


 



 オルシア共和国は南半球の中心にある島国だ。

 

 沿岸部では漁業が盛んで、内陸部は自然が多く、観光の島としても発展している。

 連合軍に加盟はしているが、隣国のゼルンハイト評議国とも友好条約を結んでいて、加盟している手前、連合軍に協力はするが戦争には参加しないという立場を守っている。


 オルシアの港町付近には、連合軍の基地や補給施設が点在しており、難民も多く受け入れていた。


 潮と油の匂いが混じる港で、異国の言葉が当たり前みたいに飛び交っていた。


 ミュラーは、そんな多種多様な文化の人が生活している、港町で育った。

 父は教師、母はごく普通の主婦で5歳下の弟が一人いた。

 小学生の頃から、周囲よりも飛び抜けて運動も勉強もできたが、

 父は”特別”を誇らせるより、息子が子供らしくいられる事を優先した。


 ミュラーの生活を変えたのは、連合軍の格納庫のある施設に友達と忍び込んだ、あの日からだった。


 *


 隣のクラスのリックが、軍の格納庫に入る抜け穴を下校ルートで見つけた。

 クラスの何人かでその抜け穴を見に行って、登校前に度胸試しで施設内に侵入しようという話になった。


 じゃんけんで負けたのはリックとミュラー。


 二人は抜け穴を通り、施設内へ侵入する。

 金網が衣服を擦る音が、やけに大きかった。

 リックはミュラーの後ろを警戒しながら歩いていた。


「おい、あんまり奥に進むなよ。見つかったらやばいって」


 ミュラーは好奇心の赴くまま、どんどん先に進んでいく。


「大丈夫だって、誰もいないよこんな朝早く」


 ミュラーの足が格納庫の入り口前で止まる。


「……格納庫だ」


 扉の隙間からは、戦闘機の足元が見えた。

 リックがミュラーのすぐ後につく。


「のぞいたら帰るぞ。中に入るなよ」


 ミュラーは、うん。と空返事を返して、扉の隙間から中を覗く。


 そこには、人型の、白くてやけに静かな機体が置いてあった。

 天井まで届きそうなくらいの高さの、美しい機体だった。


「……これが……SKY」


 ミュラーは噂でしか聞いたことなかった、その機体を見て目が離せなくなった。


(アレに乗ってみたい)


 それが、素直な感想だった。


 ミュラーは扉を横に押し開けて、格納庫の中に足を踏み入れた。

 リックがミュラーを止めようとする。


「おい!ミュラー、入るなよ!」


 ミュラーは聞いていない。

 聞いていないというよりは、目の前の白くて大きな美しい機械に夢中で、リックの声が耳に入っていなかった。


 SKYの足元まで行くと、そっと手を差し出し、機体の足に触れた。

 そして、上を見上げた。


(すごい。綺麗だ……)


 ミュラーが口を開けてSKYを眺めていると、視界が急に塞がれた。


「何やってんだ、坊主」


 ミュラーは驚いて飛び上がった。


(やばい!見つかった!!)


 そう思った瞬間、男に担ぎ上げられていた。


「軍の施設に不法侵入するとは、なかなか肝が据わってるじゃねえか」


「ごめんなさい!フェンスに穴が空いてたから!!」


 男の肩に軽々と抱き上げられたミュラーは、その腕から必死に逃げようとしたが、力は到底、男に敵わなかった。


「お前一人で入ってきたのか?」


 男はミュラーを担いだまま格納庫をぐるりと見渡した。


 リックが息を潜めている扉の前で男は勢いよく扉を開け、そこに隠れていたリックに目をやる。

 口角を上げながら男はリックを見た。


 ミュラーを下ろしてリックの隣に立たせると、男は叱るでもなく二人の頭に手を置いて言う。


「よし。じゃあ二人とも侵入口まで案内しろ」


 ミュラーとリックは渋々、自分たちが入ってきた抜け穴へと向かった。


 ミュラーが男の方を見上げながら聞いた。


「おじさん、パイロットなの?」


 男はミュラーへ視線だけ向けると、すぐに前に視線を戻す。


「おじさんじゃねえ」


 一拍置いて、男は言った。


「ラッシュだ」


 ラッシュは、ニヤッと笑うと続けてこう言った。


「これでもこの基地のエースパイロットやってる。すごいだろ?」


 リックが隣で目を輝かせながらかっけえ!と、驚いていた。

 ミュラーはラッシュの前に立ってその進路を塞ぐと、ラッシュを見上げて言う。


「俺、さっきのアレに乗ってみたい。乗せて」


 ラッシュは一瞬止まって、微笑んだ。


「ダメだ。アレは俺の恋人だからな」


「でも、みたいってんなら、いつでも見せてやる」


 ミュラーの目が初めて輝いた。


「本当?」


 ラッシュはミュラーの頭をワシワシと撫でながら、しゃがんで目を合わせた。


「本当だ。ただし、次からは正門から入ってこい。俺の客としてな」


 ラッシュに撫でられて乱れた髪の毛のまま、ミュラーは格納庫に目を向けた。


(近くで見れる)


 ミュラーは今まで感じたことのない高揚感を感じた。


 その日から、正門の前でラッシュが来るのを待つのがミュラーの日課になった。

 ラッシュとミュラーの関係は、二日に一回は来る、妙な子供としてちょっとした基地内の噂だった。


 *


 ラッシュのところに通い始めて数週間、ミュラーはいつも通り正門から入り食堂に向かった。


 食堂は昼前で、まだ空いていた。

 金属のテーブルに、薄い油の匂い。

 遠くで食器がぶつかる音だけがして、基地の中なのに妙に生活感があった。


 ラッシュは先に座っていて、缶コーヒーを指先で転がしていた。

「遅え」


 ミュラーはめんどくさそうな顔でラッシュに言った。

「守衛がうるさい」


ラッシュは缶コーヒーを持ち直すと、また机の上に静かに置いた。

「知るか」


 いつも通りの会話。

 ミュラーは椅子に腰を落とした。


 その時、入口の方から足音がした。

 軽い音。

 軍靴じゃない。


「ラッシュ」


 呼ぶ声ははっきりしているのに柔らかかった。


 ラッシュが顔を上げる。

 ほんの一瞬だけ、表情が変わる。

 ミュラーはそれを見て、なぜか喉が詰まった。


 女性が一人、トレーを持って立っていた。

 紙をまとめて、目が真っ直ぐで、疲れているのに崩れていない顔。


 ラッシュが短く言った。


「ライラ」


 それだけで十分だった。

 彼女なんだ、とミュラーはわかった。


 ライラはミュラーを見て、小さく眉を上げる。


「あなたが噂の”お客様”?」


 ミュラーは言葉に詰まって、頷いた。


「ミュラーです」


「ライラよ。よろしくね」


 名乗り方が簡単で、余計な飾りがない。

 基地の雰囲気に馴染んでいた。


 ライラは席に座らず、ラッシュの後ろに立ったまま、ミュラーの手元——油のついた指先を一度だけ見た。


「……好きなのね」


 ミュラーは返事をしなかった。

 好きだと言うのが、急に怖かった。


 ラッシュが鼻で笑う。


「見せて自慢してるだけ、俺の”恋人”を」


 ライラはラッシュを見て優しく微笑んだ。


「あら、ここまで彼の目を変えさせるなんて、“罪な恋人”ね」


 ライラはラッシュの肩を軽く叩いた。


「じゃ、私、行くわね」


 ラッシュは何も言わずコーヒーを持ち上げただけだった。


 ミュラーは空になった入口を見てから、ラッシュを見上げた。


「恋人?」


 ラッシュは少し意地悪そうに笑いながら声を落として言った。


「内緒だけどな。ライラは俺の”第二の恋人”だ」


 そう言うとラッシュは立ち上がって行くか。と言った。


 ミュラーは、ライラとラッシュの二人の空気がなんだか好きだった。


 *


 ラッシュが立ち上がって、顎で外を指した。


「ほら。行くぞ」


 ミュラーは慌てて椅子から降りた。


 食堂を出ると、通路の空気が少し冷たい。

 金属の床を踏む靴音が、二人分だけ増える。


 格納庫へ向かう途中、整備員たちがすれ違う。

 油の匂いが濃くなっていく。

 遠くで工具の金属音がした。


「おい、ミュラー」


 ラッシュが歩きながら言う。


「触んなよ」


「……触るなって言うと触りたくなる」


「だろうな。だから言っとく」


 ラッシュはニヤッとして振り返った。


「今日は”触っていい”日だ。俺が見てる」


 ミュラーの足が一瞬止まった。


「え」


「見せるって言っただろ」


 格納庫の扉が開く。

 朝の光が差し込む広い空間。

 白銀の機体が、静かにそこにいた。


 ミュラーは、息を飲んだ。

 何度も見てるはずなのに、毎回、初めてみたいに胸が詰まる。


 ラッシュが肩を叩く。


「来い。上がるぞ」


「上がるって……どこに」


「どこって、コックピットだよ」


「は?」


 ラッシュは当たり前みたいに言った。


「座るだけだ。動かさねぇ。——でも、触れる」


 ミュラーは言葉が出ないまま、機体の足元まで連れていかれる。

 整備用の梯子をラッシュが軽々と引き寄せて、先に登った。


「落ちたら死ぬぞ」


「縁起でもねぇこと言うなよ」


「先に言っとかないとお前、勢いで飛ぶだろ」


「飛ばねぇよ!」


 ラッシュが笑う。


「声でかい」


 ミュラーは歯を食いしばって、梯子を登った。

 手が震える。

 怖いんじゃない。

 胸の奥が熱い。


 コックピットの縁。

 ラッシュが手を差し出す。


「ほら。掴め」


 ミュラーが掴むと、ぐい、と引かれた。

 気づいたら、座席の前に立っていた。


 座席は思ったより狭い。

 “人がここに収まって飛ぶ”ための形をしている。


「座れ」


「……ほんとに?」


「いいから」


 ミュラーが恐る恐る腰を落とす。

 背中がシートに吸い付くみたいに収まって、視界が変わった。


(……ここから見てたのか)


 前方の計器。

 スロットル。

 スイッチ。

 レバー。


 触れたことのないはずなのに、手が勝手に伸びそうになる。


「手、出すな」


 ラッシュがすぐに止める。


「……出したい」


「分かる。でも一個だけな」


 ラッシュがミュラーの手首を取って、ゆっくりとある部分に添えた。

 操縦桿。

 握った瞬間、ミュラーの肩が小さく跳ねた。


 冷たい。

 硬い。

 でも、ただの金属じゃない感じがした。


 ラッシュが耳元で言う。


「握れ。力入れんな。……そう」


 ミュラーは呼吸を忘れていた。

 指先が勝手に締まる。

 身体のどこかが、ここに合う、と言っている。


「……うわ」


 声にならない。


 ラッシュが満足そうに笑った。


「だろ」


 ミュラーは操縦桿を握ったまま、前を見た。

 いま、このまま外に出たら——って想像が勝手に走る。


 ラッシュがコックピットの縁に腰をかける。


「じゃ、次は”見せる”」


「見せるって……また見てるじゃん」


「近くで見たことねぇだろ」


 ラッシュは軽く指を鳴らした。


「今日は訓練飛行だ。格納庫の外から見とけ。——俺が、どう飛んでるか」


 *


 滑走路の先で、白銀の機体が静かに動き出す。

 エンジン音は低く、地面を舐めるように伸びていった。


 ミュラーは息を止めた。


 加速。

 空気が押し流され、機体が前へ前へと引き延ばされる。


 次の瞬間、機首がわずかに持ち上がる。


 ——浮いた。


 重力が一拍遅れて置き去りにされ、機体はそのまま空へ抜けていった。


「……」


 声が出ない。


 高度を上げた機体は、雲の縁へ向かう。

 白い層に触れる直前、ラッシュは一度だけ姿勢を変えた。


 無理に切り込まない。

 雲を裂くんじゃない。

 縫うみたいに、すり抜ける。


 白が揺れ、機体の軌跡だけが残る。


 ——線だ。


 空に、一本の線が引かれていく。


 旋回も急上昇もしているのに、騒がしくない。

 音も動きも、すべてが一つの流れに収まっている。


 速い。

 でも、急いでいない。


 ミュラーの胸の奥が、ぎゅっと掴まれた。


(……綺麗だ)


 技術がどうとか、操縦がどうとか、分からない。

 ただ、“そう飛ぶ理由”が、機体の動きから伝わってくる。


 ——怖がっていない。

 ——誇ってもいない。

 ——ただ、空に任せている。


 機体は雲を抜け、光の中に出る。ミュラーの瞳に白銀の機体が映り込む。

 一瞬、陽に照らされて、白銀が淡く光った。


 そのまま、何事もなかったみたいに高度を落とし、戻ってくる。


 着陸。

 音が収まり、空が静かになる。


 ミュラーは、しばらく動けなかった。

 拳を握っていたことに、あとから気づく。


 ラッシュがヘルメットを抱えて近づいてくる。


「……どうだ」


 軽い声。

 いつもと同じ調子。


 ミュラーはラッシュを見た。

 喉が熱い。

 言葉が足りない。


「……綺麗だった」


 ラッシュは一瞬だけ目を細めた。

 でも、何も言わない。


 ミュラーは、はっきり言った。


「俺も、ああやって飛びたい」


 ラッシュはすぐに答えなかった。

 代わりに、ミュラーの頭を軽く叩く。


 叱るでもなく、笑うでもなく。

 「そうか」


「でもな、子供は、空を見る側でいい」

「飛ぶかどうか決めるのは、もっと後だ」

 

 そう言って、ラッシュは踵を返す。


「腹減っただろ。帰るぞ」


 ミュラーは、その背中を見送った。


 何も誘われていない。

 何も約束もない。


 ——それでも。


 胸の奥に、さっき見た”線”が残っている。


 消えない。


 ミュラーは、空を見上げた。


(……俺も)

(俺もラッシュみたいに綺麗に空を飛びたい)


 声には出さない。

 でも、もう決まっていた。


 それから数年間、ミュラーは時間を見つけては基地に通っていた。

 

 ラッシュとSKYの掃除をしたり、基地の整備士に機体の仕組みを教えてもらったり。

 たまにライラと一緒に宿題をしたり。

 ミュラーにとって、基地の格納庫は家のような場所になっていた。


 そして、小学生だったミュラーは、いつの間にか15歳になっていた。


 *


 中等科の進路をLAA(航宙アカデミー)にしたことをラッシュに伝えに来た。

 父親は、ミュラーがLAAを受験する事に反対はしなかった。

 ただ、伝えた時の少し悲しそうな目を、ミュラーは覚えている。

 

 (……ラッシュも同じ目をしたらどうしよう)

 ミュラーは不安な心を抱えたまま、訓練棟に足を踏み入れた。


 訓練棟の裏手は、港の風が回り込んでくる。

 夕方の光がフェンスの影を長く伸ばし、格納庫からは金属を叩く音が一定のリズムで響いていた。


 ミュラーはポケットに手を突っ込んだまま、足元の小石を蹴った。

 言い出すタイミングを探して、何度も呼吸だけが先に出る。


 ラッシュは工具箱を片手で揺らしながら歩いていた。

 振り返らないまま、横目だけで気配を拾う。


「言いたいことある顔だぞ」

 

ミュラーはラッシュに目を向けて、少し間を空けてから言った。

「……LAA、受けることになった」


 言った瞬間、胸が軽くなるより先に、喉の奥がひりついた。

 自分で決めたのに、誰かに言うと急に怖くなる。


 ラッシュは足を止めて、短く笑った。

 笑い方が、怒鳴る時よりずっと厄介だ。


「そっか。じゃあ次に会う時は、お互い軍人だな」


「気が早いだろ」

 ミュラーがむくれると、ラッシュは肩をすくめる。

 その顔は妙に自信満々で、弟の進路を勝手に決める兄みたいだった。


「いや。お前は受かる。俺の弟子だからな」


「弟子って……」


 言い返そうとして、言葉が詰まる。

 否定したいのに、嬉しいのが悔しい。


 ラッシュはふっと表情を変えた。

 夕日の光が目元を赤く見せる。

 いつもの気のいい空気が、ほんの一瞬だけ締まる。


「約束しろ、ミュラー」


「……約束? なに」


 ラッシュは工具箱の取っ手を握り直した。

 金属が小さく鳴る。

 格納庫の方から聞こえる打音が、遠い戦場の鼓動みたいに重なった。


「もし、本当にパイロットになったら」


 言葉を区切って、息を入れる。


「……戦場に立つことになったら。絶対に目をそらすなよ。お前自身と、戦場に立つ仲間の生き死にから」


 ミュラーは、返事が遅れた。

 笑って流したかったのに、喉が動かなかった。

 ラッシュの目が、ふざける余地を許さない。


「……うん」


 やっと出た声は小さかった。

 けれど、嘘じゃない。


 ラッシュはその返事を聞いて、ようやく空気を緩めた。

 いつもの雑な兄貴に戻るみたいに、ミュラーの頭を軽く小突く。


「よし」


 そして、思い出したように付け足す。

 声はさっきよりずっと軽い。

 軽くしないと、二人とも息が詰まるのを知っているみたいに。


「あと、LAAで一番サボれる場所は屋上だ。これも覚えておけ」


 ミュラーが思わず眉をひそめる。


「急にそれ?」


「重要だろ。生き残るコツだ」


 ラッシュは平然と言って歩き出す。

 その背中が、当たり前みたいに前を行く。


 ミュラーは一歩遅れてついていきながら、胸の奥でさっきの言葉を反芻した。


 目をそらすな。

 自分と、仲間の生き死にから。


 まだ何も知らないくせに、なぜかそれだけは心に残った。


 格納庫の角を曲がる時、ラッシュが振り返った。


「試験、頑張れよ」


 その声は、いつもより少しだけ優しかった。


 ミュラーは頷いた。

 言葉にすると、また喉が詰まる気がした。


 *


 試験会場は、オルシアの中央訓練施設だった。


 広い滑走路の脇に、仮設のテントが並んでいる。

 受験番号を胸につけた少年少女が、緊張した顔で列を作っていた。


 ミュラーもその中にいた。


 筆記試験は、思ったより難しかった。

 でも、ラッシュが教えてくれた機体の構造や、整備の基本が頭に残っていた。


(ラッシュ、ちゃんと覚えてたぞ)


 心の中でそう呟く。


 実技試験は、シミュレーターだった。

 操縦桿を握る手が、少しだけ震える。


 でも、動き始めたら、体が勝手に動いた。

 ラッシュに教わった通りに。


 スロットルを上げる。

 機体が浮く感覚。

 視界が開ける。


 画面の中で、雲が近づいてくる。


(……線を引くように)


 ミュラーは、ラッシュの飛び方を思い出していた。


 無理に切り込まない。

 雲を裂くんじゃない。

 縫うみたいに、すり抜ける。


 操縦桿を、ほんの少しだけ傾ける。

 機体が、滑らかに反応する。


(ああ、これだ)


 ミュラーは、初めて「飛んでいる」と実感した。


 試験が終わって、会場を出る時。

 ミュラーは空を見上げた。


 青い空に、白い雲。

 その向こうに、ラッシュが飛んでいる気がした。


(合格したら、一緒に飛べる)


 ミュラーは、そう信じていた。


 *


 合格発表は、一週間後だった。


 掲示板に、自分の受験番号を見つけた時。

 ミュラーの胸は、高鳴った。


(受かった)


 真っ先に思い浮かぶのは、ラッシュの顔。

 早く報告したい。


 ミュラーは、手に合格通知を握りしめて、施設へ向かった。


 港の風が、いつもより強く吹いている。

 空は青く、雲一つない。


 ラッシュは、きっと喜んでくれる。

 また頭を小突いて、「言っただろ」って笑うんだ。


 ミュラーは、早足で施設へ向かった。


 でも——。


 施設の前に着いた時、ミュラーは足を止めた。


 何かが、違う。


 いつもと同じ訓練棟。

 いつもと同じ格納庫。


 でも、空気が重い。


 正門の前に、見慣れない車が停まっている。

 黒い車体。

 連合軍の紋章。


 嫌な予感が、胸の奥を這い上がってくる。


 ミュラーは、ゆっくりと施設の入り口へ向かった。


 守衛が、いつもと違う顔でミュラーを見た。

 言葉を探しているみたいに、口を開きかけて閉じる。


 それから、小さく頷いた。


「……入っていいぞ」


 いつもならラッシュが来るまで待たされるのに、その日はなぜかそのまま格納庫に通された。


(なんだ? LAA受けたから、顔パスってこと?)


 ミュラーが不思議に思っていると、格納庫の入り口に、ライラが立っていた。


 花束を持って。


「ミュラー……久しぶりね」


 ライラの目の下が少し黒ずんでいることに、ミュラーは気づいた。


 嫌な予感がする。

 瞬間的にそう感じたミュラーは、ゆっくりと口を開く。


「……ラッシュはどこ?」


 ライラの花束を持つ震える手に目線をなげ、そのままライラの顔に目を上げる。


 目には涙が溜まっていた。


「……ラッシュね……もういないの」


 ミュラーは、一瞬ライラが何を言っているのか理解できなかった。


「いないって……どうゆうこと? どっか飛ばされたの?」


 試験に行く前には、普通に話していた。

 あれから1ヶ月も経っていない。


 ライラは必死に涙が溢れるのを我慢したが、涙は勝手にライラの頬を伝って流れ落ちた。


「訓練中の事故だったの」


「訓練場所に、難民の子どもがいて……避けようとしたら……」


「……だから……ラッシュ、もうどこにもいないの」


 ライラは、ミュラーではなく自分に言い聞かせるように言葉を吐き出した。


 ミュラーは、手に持っていた合格通知を握りしめた。


 紙が、くしゃりと音を立てる。


 でも、その音さえ、遠くに聞こえた。


「……ミュラー、お墓、行ってあげてね。会いたがってるわ、絶対」


 ライラはそう言うと、花束をSKYの足元に置いた。


 格納庫のラッシュのSKYの前には、花束やタバコ、いつもラッシュが飲んでいたコーヒーが置いてあった。


 ミュラーは、その側にラッシュが立っているような気がした。


 工具箱を片手で揺らして。

 いつもの笑顔で。


 でも、そこには誰もいなかった。


 白銀のSKYだけが、静かに佇んでいた。


 *


 オルシアの海の見える、丘の上の共同墓地に、ラッシュの墓はあった。


 白く新しい石碑には、【ラッシュ・コウネル ここに眠る】と彫り込まれている。


 ミュラーはLAAに出発する直前に、そこを訪れていた。


 真新しい制服に身を包んだ少年は、墓石に手を置くとつぶやいた。


「……一緒に飛ぶって、約束しただろ」


 その一言を喉の奥から出すのが、ミュラーの精一杯だった。


 声が、震える。

 涙は、出なかった。

 出せなかった。


(ラッシュ、俺絶対、ラッシュみたいに綺麗に飛ぶパイロットになるよ)


 ラッシュと一緒に見たオルシアの青い海と、どこまでも続く水平線が目の前に広がる。


 風が、墓石の周りの花を揺らす。

 海の匂いが、潮風に乗って運ばれてくる。


 ミュラーは、空を見上げた。


 青い空に、白い雲。


 ラッシュは、もうあそこにはいない。

 どこにもいない。


 でも——。


 ミュラーは、合格通知をポケットに入れた。

 くしゃくしゃになった紙が、胸の内側で固く折りたたまれている。


「……約束、忘れない」


 目をそらすな。

 自分と、仲間の生き死にから。


 ラッシュの言葉が、胸の奥で響いている。


 ミュラーは、墓石から手を離した。


 そして、一度だけ振り返って、墓地を後にした。


 海の向こうに、LAAがある。

 ラッシュがいない、戦場が待っている。


 それでも、ミュラーは歩き出した。


 ラッシュと約束したから。

 一緒に飛ぶと、決めたから。


 ——たとえ、もう一緒には飛べなくても。


 ミュラーは、もう一度だけ空を見上げた。


 雲の向こうに、一本の線が見えた気がした。


 綺麗な、まっすぐな線。


 ラッシュが引いた、あの線。


(俺も、あの線を引く)


 ミュラーは、前を向いた。


 港の風が、背中を押す。


 海の匂い。

 潮の音。

 遠くで鳴る、船の汽笛。


 オルシアの空は、今日も青かった。

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