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SKY〜Harbor Nights〜   作者: RUI


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13/13

SKY-Better coffee-

 



 セレスタ共和国には軍の西方司令本部が置かれている。

 ミュラーの住んでいる場所はその本部から少し南に下った、小さな田舎町だった。


 前線からは、近くもなく遠くもない、ほどよい距離にある。


 小さな平家の青い家。


 軍を離れる時に、オルシアに戻ったら自暴自棄になっていなくなるんじゃないかと心配して、ハイルトンが用意した場所だ。


 実際、ミュラーは毎日のほとんどを家の中で過ごしていた。


 軍が除隊扱いにしなかったのは、ハイルトンやノーザンクロスにいるラナが、半ば半分脅すような形で無理やりミュラーを休職扱いにしろと上層部に掛け合った

 からだと、人伝に聞いている。


 いつもと変わらない毎日。

 生きるでも、死ぬでもなく、ただ時間が過ぎていく。

 TVで流れる番組は、ただの音として耳に入ってくるだけだ。


 ソファーでTVを眺めていると、玄関の呼び鈴が鳴った。

 ミュラーがその音を無視していると、今度は裏の扉を誰かが乱暴に開けようとする音がした。


 ミュラーは、片手に木の棒を持ち、人影が立っている裏手のドアを思い切り開けた。


「ミュラー!」


 扉を開けた瞬間、名前を呼んだのはサラだった。


「…お前。何やってんの、こんなとこで。」

 顎に無精髭を生やした顔でミュラーはサラを見る。


 サラは、必死にドアを開けようとしていたからか、息を切らしていた。

 そして、手には彼女の両手より大きい石を持っていた。


「あっ…」

 サラは石を落とす。ドスン。と落ちた音が外に響く。


「あなた、全然呼び鈴に反応しないから…まさかと思って…」


 ミュラーは、高校時代から変わらぬサラのその姿に、どこか安心感を覚えた。


「…だからって、石でドアノブ壊すなよ。」


「だから、それは貴方が…!」

 来まづそうにサラは言う


「…休職したって、聞いたのよ。」

「今はここにいるって。……だから。」


 ミュラーはサラを中に入れない。入れたら、自分の置かれている状況をサラに見せることになる。

 だから、突き放すことしかできない。

「…帰れよ。」


 サラは部屋の中に目線をやる。

「…嫌よ。心配して来たんだから。部屋に入れて。」


 ミュラーは中が見えないように体をずらす

「…嫌だ。帰れ。」


 一瞬の隙をついて、サラが無理やり中にはいる。


「おい!」

 ミュラーは後ろからサラの腕を掴んだ。


 腕を掴まれたまま、部屋の入り口でサラは室内を見渡す。

 脱ぎっぱなしの服、溜まった洗濯物、洗っていない食器、食べかけのまま放置された食べ物。

 TVとTV前のソファ半径3M以内から一度も動いていないのが見てすぐにわかった。


「…食べてはいるのね。」

 サラはそういうと、ミュラーから腕を振り解き、服の袖を捲り始めた。


「……何する気だよ。」

 ミュラーがイラつきを覚えながらいう。


「人が住めるようにするのよ。どいて。」

 サラはゴミ袋を片手に部屋の掃除をし始めた。


 ミュラーは一歩引いた。背中を壁に預けても、視線の先に散らかったものが増えるだけだった。


 空き缶が転がり、脱ぎ捨てた服が椅子に引っかかっている。


 洗っていない皿が流しに積まれて、乾いた油の匂いがふわりと鼻に残った。


 サラは何も言わずに拾う。拾っては袋に入れ、テーブルの上を拭き、皿を流しに運ぶ。


 水道の蛇口をひねる音がして、久しぶりに水が走った。


 金属の台に水が当たる高い音が、家の静けさを軽く割る。


「……勝手にすんな」


 ミュラーの声は、怒鳴るほどの厚みがなかった。

 サラは返事をしない。

 返事をしないまま、皿を洗い、すすぎ、乾かす。動きが早い。迷いがない。


 誰かの部屋を片づける手つきじゃない。

 ここが、いま必要としていることを決めてしまう手つきだ。


「何で来た」


 ミュラーがもう一度言うと、サラはようやく振り向いた。

 袖をまくった腕に、少しだけ赤くなった跡が見える。必死に裏口をこじ開けようとしていたせいだろう。


 頬に汗が浮いているのに、目だけは揺れていない。


「あなたが、消えたから」


 淡々とした声だった。


「消えてねぇ」


「外から見たら、消えてるわ」


 サラは流しの水を止め、濡れた手を布巾で拭いた。

 その布が擦れる音が、ミュラーの胸の奥をくすぐった。生活の音が戻るたび、逃げ場所が狭くなる。


 サラは冷蔵庫の前に立ち、躊躇なく扉を開けた。白い光が部屋に漏れる。中はほとんど空だった。


 水のペットボトルと、期限の切れた調味料が数本。冷気だけが、きれいに残っている。


 サラのまつ毛が一度だけ伏せられた。


「……何もない」


「あるだろ、水が」


「食べ物がない」


 サラは冷蔵庫を閉め、ミュラーを見上げた。


「買い物行くわよ」


「行かない」


「行くの」


 言い方が、命令じゃないのに命令だった。

 ミュラーは舌打ちをしそうになって、やめた。

 舌打ちをする元気が、自分にあるのが嫌だった。


「……勝手に行けよ」


「わかった。一人で行く。いいのね?」


 サラの目が、まっすぐだった。心配の目じゃない。確認の目だ。


 ミュラーが自分で崩れていくのを、黙って見ていられない人間の目。


 ミュラーは視線を逸らした。窓の外に、低い雲がかかっている。

 空が暗く、田舎の道は人の気配が薄い。


 軍の西方司令本部が近いとはいえ、ここは地図の端みたいな場所だった。

 逃げるにはちょうどいい。生きるにも、死ぬにも、ちょうど悪い。


「……行くよ」


 吐き捨てるみたいに言って、ミュラーは靴を探した。

 玄関に、左右揃っていない靴が二足ある。片方ずつ、適当に履いていたことに今さら気づく。

 サラは何も言わない。言わないまま、ミュラーの足元を見て、別の靴を無言で差し出した。


 ミュラーは受け取る手が、少し遅れた。


 *


 外は冷えた。田舎道の舗装は薄く湿っていて、風が草の匂いを運ぶ。

 遠くの畑の土が黒い。車の音がたまに通り過ぎるだけで、静かだった。


 ミュラーは歩きながら、サラの横顔を盗み見た。高校のころと変わらない輪郭。

 髪の結び方が少しだけ大人になっている。変わってないのに、変わった部分が目につく。


「……よく見つけたな」


「見つけたんじゃない」


 サラは前を向いたまま言った。


「教えてもらったの。あなたのこと、心配してる人がいる」


 ミュラーの肩が、一瞬だけ固くなる。心配、という言葉が嫌だった。

 心配される側に落ちた自分を、認めさせられる。


「誰だよ」


 サラは少し迷ったみたいに口を閉じ、それから短く言った。


「……ライラに会った」


 名前が出た瞬間、ミュラーの足が半拍遅れた。

 靴底が濡れたアスファルトに擦れて、キュッと鳴る。


「……なんで。」


 サラは、横目でミュラーを見た。その目に、驚きはない。

 最初からこう言われると分かっていた顔。


「……探してた」


「…会わない」


 ミュラーは短く言い切った。言い切らないと、喉の奥がほどけそうだった。会ったら終わる。何が終わるのかは分からない。分からないから怖い。


 スーパーの看板が見えてきた。蛍光灯の白い光が、曇り空の下で浮いている。

 サラは歩幅を落とし、少しだけ声を低くした。


「約束したでしょ」


 ミュラーは息を止めた。胸の奥に、針が刺さる。サラは責めているわけじゃない。


「……なにが」


「生きてるって、知らせてって。」


 サラの声が、少しだけ震えた。震えたのは怒りじゃない。焦りだ。ミュラーがこのまま、戻れない場所へ行ってしまう焦り。


「あなたの事、聞いてから、私が――」


 サラは言葉を途中で切った。言いかけた言葉が、多分、自分を傷つける言葉だと分かったから。


 ミュラーは、その沈黙に耐えられなかった。


「帰れよ」


 吐き捨てた瞬間、自分でも分かった。これは突き放しじゃない。

 すがりだ。帰れと言いながら、ここにいてくれと言っている。


 サラの眉が、ほんの少しだけ寄った。


「帰らない」


 それだけ言って、サラは店の扉を開けた。自動ドアの音がして、暖かい空気が漏れる。

 ミュラーはその空気を吸ってしまうのが嫌で、遅れて中に入った。


 *


 買い物は淡々と進んだ。サラは必要なものを籠に入れる。

 パン、卵、スープの素、野菜。生活が続くための材料。

 ミュラーは後ろをついて歩くだけで、何を選ぶでもない。選ぶ気力もない。


 レジの音が鳴り、袋が手渡される。サラが受け取り、ミュラーの方へ半分押し付ける。

 ミュラーは無言で持った。袋の重みが、妙に現実的だった。


 帰り道、風が強くなった。雲が低く、空は薄い灰色。

 家が見えてくると、ミュラーの足取りが重くなる。自分の匂いが詰まった箱に戻る感じがする。


 サラは裏口に回り、今度は乱暴に開けようとしない。

 鍵が開いているのを確かめ、静かに扉を押した。


 部屋の中は、少しだけ変わっていた。

 床のゴミが減り、皿が片づき、テーブルの上が拭かれている。

 まだ“片づいた”とは言えない。でも、呼吸できる。


 ミュラーはそれが嫌だった。呼吸できると、生きてしまう。


 サラは袋を置き、手を洗い、鍋に水を入れた。火をつける。

 コンロの点火音がして、青い炎が揺れる。

 ミュラーはソファに座り、テレビをつけた。音だけが流れる。

 画面の内容は入ってこない。


 サラが包丁を使う音が、一定のリズムで続く。

 野菜が切れる。鍋が温まる。湯気が立つ。匂いが広がる。

 ミュラーはその匂いに、腹が鳴りそうになるのを必死で抑えた。


 食卓に、簡単なスープとパンが並んだ。サラは椅子に座り、ミュラーを見た。


「食べて」


「……腹減ってない」


「嘘」


 サラはミュラーの目を見て言った。嘘だと決めつける目じゃない。嘘だと分かっている目。


 ミュラーは黙ってパンをちぎった。口に入れる。噛む。飲み込む。味がする。

 味がするのが腹立たしい。


 サラは何も言わずに、自分も食べた。二人の咀嚼音が、部屋に小さく落ちる。

 テレビの音が、遠くなる。


 *


 夜が来ると、街灯のない家の周辺は真っ暗になった。

 田舎町の灯りは点々としかない。

 風が家の外壁を撫でる音がして、ときどきどこかの木が鳴った。


 サラは洗い物を終え、手を拭いた。ミュラーはソファに座ったまま動かない。

 テレビは消えている。消えているのに、部屋の中はまだうるさい。静けさがうるさい。


「寝るの?」


 サラが聞くと、ミュラーは視線を床に落としたまま答えた。


「……寝たくない」


 言った瞬間、自分で驚いた。眠れない、じゃない。眠りたくない。眠ったら、明日が来る。明日が来たら、自分はまた生きてしまう。



 発作は、突然始まる。

 ミュラーの呼吸が浅くなり、手が震える。


「ミュラー?大丈夫?」

 サラがそれを見て、ミュラーの肩に手を置こうとする。


 ミュラーは胸を押さえて息を上げながらその手を振り解く

「……見るな。」


 サラはミュラーの背中を見つめる。

 SKYを降りた理由までは知らない。


 知っているのは、ここに住んでいること。

 そして、ライラがミュラーを探している途中で

 偶然、学生時代に親しかった自分にたどり着いたこと。


 ミュラーのことは何も知らない。

 SKYに乗り始めた動機も、降りた理由も。

 それでも、サラは諦めなかった。


 ミュラーを正面から抱きしめ、呼吸を落ち着かせようとする。

 サラの胸の中で、小さくミュラーがつぶやく。

「……俺は飛べない」


 サラの腕に力が籠る

「……飛ばなくてもいいわ」


 ミュラーの呼吸が落ち着いてくる。サラの腕の温かさが、今は救いになっているみたいに。


「…勝手なこと言いやがって」


 サラの手がミュラーの手を握る。その手が震えていることにミュラーは気づいた

「……わかってる」


 サラの額がミュラーの額に当たる

「ただ……生きていて。お願い。」


 サラが近づいた。今度は止まらない。

 ミュラーの前に膝をつき、顔を見上げる。

 目が合う。


 ミュラーは逸らせない。

 逸らしたら、終わる。


 サラの手が、ゆっくりミュラーの手首に触れた。

 握らない。ただ、そこにあることを確認するみたいに。


 ミュラーの喉が鳴った。


 言葉にならない音。


 サラは何も言わない。慰めない。許さない。約束もしない。


 ただ、そこにいる。


 ミュラーは、崩れた呼吸のまま、サラの方へ少しだけ身を傾けた。傾けた分だけ、落ちていく。


 落ちていくのに、床にはつかない。


 サラがそこにいるから。


 夜は長く、部屋の明かりはいつの間にか消えていた。


 *


 朝。


 薄い光がカーテンの隙間から床に落ちて、細い帯を作っていた。部屋の空気は冷えている。昨日より少しだけ、呼吸しやすい。


 ミュラーはソファの端で目を覚ました。首が痛い。口の中が乾いている。隣の毛布がずれていて、その上に小さな手の跡みたいな皺が残っていた。


 台所から、湯が沸く音がする。


 サラはもう起きていた。髪をまとめ、袖をまくり、ケトルの前に立っている。


 いつも通りの姿に見えるのに、目だけが少し赤い気がした。気のせいかもしれない。


 気のせいにしてしまいたい。


 サラは振り向かずに言った。


「コーヒー、飲む?」


「……飲む」


 ミュラーの声が、昨日より少しだけ戻っているのが嫌だった。

 戻っているのに、昨日の夜がなかったことにならないのが、もっと嫌だった。


 サラはマグカップを二つ出した。

 ひとつをミュラーの前に置く。


 手が触れそうで触れない距離。


 サラはそこで初めて、ミュラーを見た。表情は淡々としている。淡々としているからこそ、言葉が刺さる。


「……私、貴方を放って置けなくてここに来たの」



 ミュラーは何も言えなかった。言えば、言葉が昨日に触れてしまう。触れたら、崩れる。


 サラは目を逸らした。逸らしながら、ぽつりと落とす。


「ライラが……あなたを待ってるって言ってた」


 サラは、それ以上何も言わなかった。


 ーーー


 ライラとは、西方本部に近いダイナーで待ち合わせをした。

 久しぶりに会ったライラは、最後に格納庫で会った時よりも少しふっくらとして見えた。


「…久しぶり」

 ミュラーはそう言いながら、席に座る。


 ライラは少し微笑んで、ミュラーに向き直した。

「来てくれたのね」


「…探してたって、何?」

 ミュラーはライラを見ない。店員にコーヒーを注文してから、頼みもしないメニューに視線を落としている。


「…誘いに来たの。LAAの教官に」


 ミュラーは、初めて顔を上げてライラを見た。

 パイロットに戻れとか、降りた理由を聞かれると思っていた。


「…教官?」


「…そう。教官」


 ライラはミュラーの目を見て続ける。

「私、やってたのよ。最近まで」

「だけど、産休に入るから、代わりの人を用意しなきゃいけなくて」


 その時初めて、ミュラーはライラが左手に指輪をしていて、腹部が大きい事に気づいた。


「…子供……結婚したんだ…」

 意外だった。ラッシュのことがあったから、していないと思い込んでいた。


「二年前にね。ちょっと、意外って顔しないの」


「あ…」

「いや、おめでとう」


 ライラは笑って言った。

「ありがとう」


 それから少し間をあけて、また話し始める。

「そんなわけで、やってくれないかなって」

「あなた、暇でしょ?」


 ミュラーは笑ってしまった。笑えた事に自分でも驚く。

「…暇じゃねぇよ。それに、教官って。向いてないだろ、どう考えても」


 今の自分に、教えられる事なんて、何もない。


 ライラの声が、今までと違うトーンに変わる。

「私も、休職したのよ」

「ラッシュの事があってからね。一年位」


 ライラは震える手をカップに添えた。

「分かるとは言わない」

「……ただ」


「貴方なら、これから戦場に行く子供達に、寄り添えるんじゃないかと思うの」


 ミュラーは、コーヒーに口をつけた。

 苦い。昔より、少しだけ。


「……考えとく」


 それだけ言って、視線を落とす。


 ライラは、それ以上何も言わなかった。

 説得もしない。期限も切らない。

 ただ、小さく頷いただけだった。


 店の外では、司令本部の方角に低い雲が流れている。

 前線の音は、ここまでは届かない。


 ライラが、先に席を立つと、ミュラーはサラを見上げた。


「身体、気をつけて。」


 ライラは微笑んで、ありがとう。と言った。

 ライラの顔を見て、ミュラーは思った。


 ーーーこの人は逃げなかった。


 西方基地の方角にかかっていた雲はいつの間にか風にほどけていた。


 窓から差した光が、テーブルの上をゆっくり滑って、カップの縁を白く照らす。


 ミュラーは、黒い液体の残った底を見つめたまま、

 しばらく、席を立たなかった。

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