5.フィリップスの結婚
王都とラ・フィエールでは、じっくり案が練られた。
一度滝の城まで帰ると再び来るには、天候にもよるが、片道1か月ほど、往復で2カ月以上かかる。誰もが真剣にプランを合わせた。
スケジュール表の作成は、最終的にエイプリルに任された。こういうことに特別な才能を示すエイプリルは、分岐点と可能性を織り込みながら3通りの進行表を作った。
ウイレムは秘蔵の魔晶石を総点検し、師匠から受け継いだ書物や書き付けを引っ張り出して魔法陣を描き上げた。
念を入れて、わざわざ王都からローズを呼び寄せ、実際には目にしたことのない重量軽減や浮遊魔法に耐えられるかどうか、魔晶石の大きさを変えながら大規模魔法を込めさせて試作を続けた。
再び船の旅をするフレデリックの胸は暖かかった。結婚したのだから、子どもが生まれている可能性もあったのに一度も考えてみたことがなかった。何となく不幸を胸に抱え込んだまま過ごした月日が悔やまれた。
滝の城に戻り、ベニステラ公、フィリップス、公の側近たちとともにエイプリルの作成した進行表を検討した。そして、とにかく魔晶具の出来次第ということになり、稼働実験が繰り返された。
魔晶具には、まず魔晶石に籠められた魔法陣で生の魔力を変換してから魔力を入れるが、魔法陣と同じ魔法を使える者の魔力でなくては受け入れられない。その代わり、生活魔法程度のわずかな魔力をイニシエーターとして使えば、どんな大規模魔法でも発動できる。
結局、ウイレムが試作した魔晶具と適合性があるのは公王自身と王女サピエステラのふたりだった。改善しなくては、魔力を込めるほうが疲労で倒れてしまう。
魔晶具自体は有効で、今より格段に多くの民を公国に迎えることができるようになるだろう。
ただ、移民はほとんど何も持たずに来る。新たなルートだけでなく、人が増えた時の一時収容施設、食料供給、医療、移送用の船の数を増やすことなど、話は現実的かつ長期戦略をともなうものになっていった。
ベニステラ公国とドナティエール王国。東西に分かたれ、小さく押し込められてなお存在し続けているルースカリエ帝国の末裔が、帝国再建の悲願を果たす戦いは現実的なものになり始めている。
作業を共にするうちに、サピエステラとフィリップスの間に縁談が持ち上がった。
サピエステラは外から来た王子に興味を示した。
フィリップスの心には、エイプリルとカレン、エステル、アリエスが係る婚約破棄が深く刺さっていた。
自分自身に対する苦々しさもあるが、それよりもなお、フレデリックとオーギュストの未来を変えてしまったことに耐えがたい痛みを感じていた。
フレデリックに娘が生まれていたこと、オーギュストが東の辺境伯領で無事に勤めていて辺境伯家の姫との婚約が調っていることで、フィリップスの心に柔らかみが生じて、新しい婚約とそれに続く政略結婚を受け入れやすくなっていた。
公王から話を持ち掛けられ、初めてサピエステラを結婚相手として見た。
この婚姻が成立すれば、ふたつの国、旧帝国から見れば生き残った皇太子領と王弟領が再統合され、帝国再建の象徴となるだろう。
今度こそ、細やかに婚約者と交流し、役目を果たす以上の関係を築くことができるようでありたい。フィリップスは自分でもありえないことだと思ったが、この地の女神カエリステスに祈りを捧げた。
魔晶具の改善案と、フィリップスの婚姻についての事案を持って再びフレデリックは船に乗った。今度は心が温まる再会になった。
「フレデリカ、父上です」
「ちー」
全く言語になってなかったが、フレデリックの心は満たされた。娘の柔らかな頬に触れ、おそるおそる抱き上げた。反射的に抱き着く娘の背を、ミリアムが支えた。ミルクの匂いがする娘に抱き着かれ、同じ匂いの妻の腰を抱き寄せて、今度は微笑むことができた。
「ミリアム、フレデリカ、愛している」
「まあ、ありがとうございます?」
「何故疑問形なんだ」
「いえ、実感がありませんの」
「すまない」
「まあよろしいですわ、ね、フレデリカ」
「ちー」
フレデリックの顔が笑み崩れる。
ウイレムにベニステラ公王とサピエステラ王女の声が入った録音の魔晶具を渡し、実験に立ち会ったときの細かな状況を説明した。
ウイレムは滝の城まで行くつもりでいた。どうしても使い手とその魔法を見ないと正確な魔法陣が描けないというのだが、おそらく半分は言い訳で、好奇心を押さえられないのだろう。
ラ・フィエールでは、ウイレムを無事に送り届けるための計画と、この先増える移民の移動、食料、住居、保健衛生についての案がさらに練りこまれた。トータルで10年から20年かかる計画だ。20年といえば、生まれた子が親になる年月だ。短期間に何度も移民を移動させれば彼らの負担が大きくなりすぎる。それは避けたかった。
ホーシュビーとホッジス城は、移民の受け入れ地点だから侵攻の目的地になるだろう。フィエール領は、全体として戦地になる可能性もある。
西からの移民は、できるだけまとまった状態で東へ移動させたい。東のコンスタンチン伯爵家、王家のジョージ殿下、カンデラ公爵との協調もなくてはならないものだ。フレデリックには交渉に伴うさまざまな圧力が掛かる。そこをフレデリックの実家マール侯爵家と皇太子妃となった姉ペイシェンス、そしてミリアムの実家カッサンドラ侯爵家が腰を据えて支える。これはフレデリックにしかできない役割と言ってもいい。
王都では、フィリップスの婚約が喜びをもって迎えられた。
王家にとって、ベニステラ公王家との婚姻は願ってもなかった。
まだ独身の王子が王家に残っていて、年頃の王女が公王家にいたことは、どちらの家にとっても幸運だった。この代を逃がせば、王太子の子が結婚できるまで10年以上待たなければならなかった。帝国再建の象徴としてのタイミングを逃してはならない。
王家からフィリップスに公爵位が贈られた。セルタス公爵、フィリップス・ド・セルタスが新しい名となり、王子紋に絵柄を加えた公爵紋が準備された。
フィリップスにはプリンスという敬称は残り、王家からの年金は継続されるものの、サピエステラ公女との婚姻の日に王子位を離れて公国の公爵位と王国の公爵位を同時に持つことになる。
妻が公王位を継ぐと同時にベニステラ公王王配となり、旧帝国の復興を成し遂げれば、皇帝の夫の地位に就く。
婚姻の儀は、滝の城で行われることで了承され、臨席はカンデラ公夫妻およびメリー王女とケリー公夫妻となった。




