1.カンディステラ
「フィリップス、来たまえ」
カンデラ公の冷たい声がフィリップスを襲った。
卒業記念ダンスパーティーは、解散してしまった。これ以上ここにいるとロクでもない話を耳にしてしまいそうだと、下位貴族は目立たないように心掛けながらもさっさと抜け出した。
小広間はすぐに閑散として、残っているのは上位貴族の内でも王家に近い何人かの者だけだった。王家の姉弟喧嘩を聞いていられる度胸がある者など限られている。最終的にはケリー公が中に入って、メリー王女の手を引くようにして執務室へ帰っていった。
結局フィリップスは自分の執務室しか行き場所がなく、ひとりでポツンと座っていた。
フレデリックはカッサンドラ家に謝りに行ったまま帰ってこない。今日はもう帰らないだろう。
オーギュストは、ジョージ殿下の執務室から駆けつけてきた兄に拘束され、ライフェルド邸に軟禁されている。もう第三王子の側近になる未来はないだろう。
フィリップスはおとなしく叔父の後について行った。
カンデラ公は城の廊下を黙って歩き、人がめったに訪れない長い廊下まで来た。
そこには、王家の先祖の肖像画が古い順に並んでいる。一番新しいのはカンデラ公夫妻と王太子夫妻だ。
カンデラ公は、廊下の端まで来て、そこに掛る古い絵の前に立ち止まった。
「フィリップス、この絵を見なさい」
「はい」
「カンディステラ皇女だ」
「カンディステラ?」
「ああ、よく見てみなさい」
「え?」
「古い絵だから、わかりにくいかね。でもこれはわざと洗わないでこうしているんだよ。見た人がすぐにはわからないようにね」
「叔父上?」
「わからないかな、わたしはこの絵が好きでね、小さい頃よくここでこの絵を見ていた。だから気が付いたのかもしれないね。
よく見てごらん、この髪の色、深い緑の瞳。
胴着に見えるけれど、ミスリルで編んだ防具なんだよ。背景には城が見えるだろう。帝国の主城だ。
最後の皇女だよ、この女性は」
「最後の皇女? 皇帝の末の皇女ですよね、その方は皇国の皇妃になったのでは」
「聞かされたことしか知らないのだね、愚かだよ、きみは」
「教えてあげよう、本当は自分で気が付くべきなのだ、少なくともきみの方からわたしに聞くべきなのだよ。きみはわたしに代わって西の護りを任される筈なのだからね。
皇妃になったのは、皇女の身代わりの乳姉妹さ。
きみ、気が付かないかい、わたしたちの息子は、王太子の王子と同じ場所で育てられているだろう? わたしの子は、王太子の子の乳母子で、いざというときの身代わりを務めるのだ。ローズも王太子妃もどれほどつらい思いをしているか、きみにはわかるまい。
エイプリルとエルが似ていることに気づいたことがあるかい? 侍女エルザ・ラドクリフは、エイプリル・カンディステラ・ラ・フィエールの守護騎士であると同時に、いざという時には身代わりを務める乳母娘だ。エイプリルは辺境伯家にとっては第三子であり、二の姫であるにも関わらず、身代わりが必要なほど大切な身の上だということだよ、きみにも、ローズにも、わたしにも身代わりを務める者はいない、この意味がわかるかい?
臣下に庇ってもらいながら、恩を返すのを嫌がるきみは、変だと思うことさえなかったようだね」
「我が国の開祖は、皇帝の弟君だった。それなのにガリエルなどという蛮族に攻められて一戦もしないで自領から逃げたと聞かされて変だと思わなくちゃいけない。
最も大切な皇女を託されていたのだよ。皇太子と同腹の末の皇女であられて、戦姫の伝統を継ぐ戦いの才能では群を抜く方であられた。
カンディステラは戦姫の始祖となられた方の名だね。最後の皇女まで代々引き継がれていた。帝国が滅び、ドナティエールでは真名として戦姫の資質が特別に強い姫が継いでいる。
皇帝は、ガリエルの侵攻を予期しておられた。ただ、負けるとはお思いになっておられなかった。それでも為政者だから、万一を考え、弟君に妻を連れて東の領地を訪れるように勧め、大切な末の皇女をお預けになった。お忍びで、皇都の外も見せてやりたいから、とね。
留守の間の身代わりに、乳母娘が残った。幼いころから入れ替わって遊んでおられたので、周りにも自然に受け入れられた。ごく身近な数名以外は気付きすらしなかった。
皇女は元気で活発なお子で、姫騎士に交じって剣を振るうのがお好きで、乗馬も得意としておられた。愛馬に乗って、姫騎士をお供に連れ、旅をたいそう楽しまれたそうだ。
東の領に滞在しているとき、帝宮炎上の報があった。皇弟閣下は大変悩まれたが、兄陛下から預かった皇女と護衛の姫隊の保護を最優先となされた。
そして、領民ごと逃げて彼女たちを隠されたのだよ。
もう一度見てごらん、この絵を、エイプリルにそっくりだろう」
そう言われて、その気で見れば、たしかにエイプリルによく似ているようにも見える。
「エイプリルのミドルネームがカンディステラであることは、去年、ジガ城で老騎士ホーリーの人生と引き換えに名を告げて明らかになった。多くの者がいる中で、騎士に自分に人生を捧げるよう求めたのだ。その後必死で古伝をあさったがわからず、ローズから答えを聞かされた」
「なぜ、帝国の最後の皇女が辺境伯家などに?」
「何を言うの、きみ。皇女の気持ちがわからないの。
彼女は、帝国と民に命の恩を返したかったのだよ。とくに身代わりに皇妃になった乳母娘と、ご自分と姫隊を隠すために敗走させられた領民たちにね。
皇女殿下は身分を明らかにすることが難しかったけれど、フィエール子爵に願って守護の姫隊とともにジガ城に移った。剣技と体技に優れておられたから、姫騎士に交じって戦い、すぐに戦姫と呼ばれるにふさわしい指揮官となられた。その時わずか14歳であられたと伝わっている。エイプリルが姫隊を組織した年齢だよ。
皇女殿下もきみが嫌った剣ダコのある手をしておられたことだろうよ、ね、フィリップス」
「皇女殿下は子爵とともに先頭に立ち、フィエール平原を斬り取った。
平原に取り残されていた帝国の民を自分の庇護下に取り戻したのだよ。
そして、帝国の血を辺境伯家に残して逝かれた。
辺境伯家は、姫の死後もその志を胸に、ロズウェル河から馬蹄湾までの土地すべてを取り戻した」
「きみ、わたしがローズと結婚したのは不満だったろう? なぜ王都貴族から妻を迎えないのかと思っていただろう。
これを聞いたらわかるだろう、王都貴族などよりはるかに濃く帝国の血が流れているのだよ、フィエール家には。
皇女カンディステラには帝国の高位貴族の姫君たちが守護騎士としてついていたのだからね、彼女たちの血もフィエールの家臣の家に残っている。
きみは、ドナティエール王国開祖の姪であり、帝国の最後の皇女の血筋、中でも戦姫の血を特に濃く引き、その名を受け継ぐ姫君との婚約を破棄したのだよ」




