12.フィエール城執務室にて
フィエール城の辺境伯執務室では、フィエール卿が難しい顔をしてエイプリルが提出した視察報告書を睨んでいた。うむむ、と口髭を撫でる。
フィエール兵団の指揮官、とくに遊撃を担当する姫隊のリーダーとしてはもちろん言うことなしの優秀さだが、これから王都へ行って、第三王子の婚約者として公表され、学園で1年間過ごした後に妃となる女性としては、ちょっと養育に失敗していると認めるしかない。
そもそも、二姫は生涯フィエール領で姫隊を指揮させるつもりで育てたのであって、長姫ローズが生まれた時から王宮へ嫁入りが決まっていたのとはわけが違う。それでも王家に嫁に出す以上、このままでいいのかどうか……悩みどころではあるのだが、今更どうにもならないのもまた目の前に突き付けられている現実だ。
失礼な言い方ではあるのだが、あちらから頼み込んできたことでもある。あとは双方なんとか折り合ってくれることを祈るばかりという心境に至っている。
「お館さま、お呼びとのことですが」
「メリーアン、忙しいところをすまぬ」
「いえ、今日はもう侍女だけでなんとかなります」
ヘンリーはソファに移動し、妻と向き合って報告書を手渡した。
「どうなさいました?」
「まあ、読んでみてくれないか」
しばらく書類をめくる音がして、その間にメイドがお茶を運んでくる。
「ここはしばらくよろしい、お茶はわたくしが淹れます」
そう声をかけて、メイドと侍女を下がらせる。これは夫婦の会話ではあるが、辺境伯と戦姫との会合でもあるから、奥付きの侍女の耳はないほうがいい。
「問題点は何でしょう」
「うむ。そなたどう思う」
「予定の日程と実際の日程、変更理由を淡々と述べるだけ、無駄は一切ございません」
「そうだ」
「エリーはな、サリアで指名手配のジョーイを発見して、サリア卿に捕縛させた。俺はジョーイをカリス城まで連行する手配のためにサリアまで行った」
「ほほほ、さようでございましたわね」
「そなた、あらかじめ知っておったのであろう」
「エリーから、準備するように言われておりました」
「そうか、そうであろうの、エリーからサリア卿への叙爵祝いでもあろうかの」
「ケイスンとケントにお会いになれましたでしょう」
「ああ、よい時期であった。サリア卿の男爵叙爵の許しが出たから、こちらで叙爵式を行う。その時連れてに来るよう伝えた」
「そうですね、キャサリンがたいそう喜んでおります。血筋の話、古い盟約に従ってお館さまが父親となったことも伝えたのですね」
「ああ、俺が直接伝えたが、すでにサリア卿とサリア夫人から伝えてあったようだ」
「それはようございました。ふたりが納得するまでに時間がかかるでしょうが、ペイジとしてフィエールに来れば、考える暇もありませんでしょう、こちらの侍女見習いは手強い女の子がそろっておりますし」
「そうだな、武力でも魔力でも当分勝てないだろう」
「ホッジスはよい。アニーをサリア経由でリバーアンまで行かせたのもエリーの指揮権限の内だ」
「勿論でございます」
「だが、これはどうだ。ジガを出て、野営所までもいかないうちに、有無を言わせず領境抜けを捕らえて、ホーリーに迎えに来させたとか」
「指揮権限の範疇でございますよね。
ホーリーとエリーの指揮権限は同列、駐在所指揮官の権限はそれより低いですから、ジガに送るのは指揮官として間違っておりません。
取り調べにいたしましても、エリーはなにも行わず、ホーリーに送り届けただけでございましょう? ジガに着いたときはまだ眠っておりましたとか」
「うむ、気を失わせた後、念入りにスリープを掛けたらしい」
「エリーが、領境守備の権限を侵していないことがはっきりしてよいではありませんか」
「そうではあるのだが」
「何か問題でも?」
「うむ。駐在所に連行した方がよかった。指揮官のメンツがある」
「おや」
「何だ」
「お館さま、エリーは、指揮官を疑っているのですよ」
「何と?」
「我が娘と思うからいけないのですわ、ヘンリー」
「うむ?」
「そうでございますね、領境抜けを捕らえたのが、エリーではなくて巡回隊だったとしましょう。
隊長は、ジガと駐在所とどちらに男を運びますか?」
「向かう方向で違うであろうな」
「そうです。ジガから駐在所に向かっておりますれば駐在所に。
逆方向から来て、駐在所からジガに向かっておりますればジガでございます」
「そうだ、だから、駐在所に向かっていたエリーが、男をジガに送れば、駐在所指揮官の顔を潰すであろう」
「それがわからぬエリーではありませんでしょ?」
「そうだな」
「エリーは、変だと思ったのです。まるで巡回のスケジュールを知っているように、ちょうど巡回隊が近くにいない日に領境越えの男が来ました。領境越え目的とは限りません。連絡係なのかもしれません。
エリーの視察は、ジガ城では把握しておりました。ですが、駐在所は知らされていなかったのではありませんか?」
「つまり」
「疑ったのでございましょう? 誰かが巡回のスケジュールを外に漏らしている、それは駐在所指揮官かもしれない。もしそうなら、捕らえた男を逃がしてしまうかもしれない。あるいは、駐在所に連絡を中継する者がいるかもしれないと。ジガではそれはできないですから。実際、隠れ場所から道に出て、駐在所方向に歩き始めたと書いてございます」
「うむ」
フィエール卿はしばらく考え込んでいた。
今度は、メリーアンから質問が出た。
「こちらの、別邸のことですけれども、エリーはバックアップ隊とサポート隊を残してローズのところに行っておりますね」
「ああ、驚いたぞ、全く。
開通式で橋を渡り終え、監視所のテラスから渡り初めを見ておった。カンデラ側から渡る人波にエリーが混じっておっての。砦側の式典に間に合わなかったとしても、カンデラ邸にいるなら、俺のところに来ればよいだろうに」
「ほほほ、そうでしたか」
「会食の後に、じっくりと婿殿とローズを問い詰めた」
「はい。魔晶石鉱山を見せていただいてカンデラ邸に一泊、渡り初めに交じってリバーアンに帰り、そのまま帰城しましたとか。せっかく開通式用に式典用衣装一式を送っておりましたのに、袖も通さなかった様子」
「いや、問題はそこではない」
「はい、ローズのことですか?」
「ああ、ローズから招かれてカンデラ公夫妻を訪れた、というところだ」
メリーアンは、エイプリルの報告書のそのページを開いて確認した。
報告書抜き書き:
5.リバーアン砦
リバーアン夫人の厚いご配慮により、快適な滞在。
対岸のカンデラ公屋敷に、カンデラ公爵閣下とともに、姉君レディ・カンデラご到着。
姉君よりのお使いが来て、カンデラ公屋敷へとご招待あり。
6.カンデラ公屋敷
公爵夫人より、内々の招待ゆえ使いとともに気楽に、とのご厚情。
エルザに諮り、使者が本物であることを確認後、砦へ伝言して出立。
カンデラ家の連絡船下船後、馬車で屋敷まで。
公爵ご夫妻の親しき歓迎を受け、カンデラ屋敷に宿泊、砦指揮官に宿泊について連絡。
魔晶石選別所へ。特別のお計らいを得、カンデラ公夫妻とともに訪問。
「はい、わかりました。嘘はついておりませんが、故意に情報を落としておりますね」
「そうだ、全くもって」
「いえいえ、この程度。読み取れなければ、上の者が無能だということです。
ローズがエリーの動向を知っているはずはなのですから、エリーの方でローズにカンデラ屋敷への招待を願ったことは明らかです」
「何故だ」
「それはもう。もちろんお館さまはお分かりで」
「そなたの考えを聞こう」
「魔晶石を口実にカンデラ公を訪問したのは、ひとつには別邸が安全ではないという可能性に気付いたからでしょう。特に、開通式で人が集まり警備が手薄になる前夜は危ないということでしょう。
ストラッサー卿に姫隊の別邸滞在が伝わっているかどうかも疑っているのですね」
「そうだろうな。それをこの報告書一枚で察しろというのだな、全く。
さて。リバーアン夫人は、別邸の手配をしている。姫隊の動きは伝わっているということだ。
だが、フィエールの執務室からエイプリル隊の知らせがリバーアン夫人宛に、エイプリルから到着の報告がストラッサーの執務室へ連絡が行っているのに、ストラッサーとの話題に一度もエイプリルのことが出なかった。
エリーは、ストラッサーに対して到着の報告以外に2度連絡を出しておるな。カンデラ公屋敷への出立の時、そして、カンデラ公屋敷への宿泊に関してだ」
「これは考えすぎかもしれませんが」
「言ってみよ」
「砦指揮の任に就いているストラッサー卿とは会っておりません様子」
「確かに書いておらぬ」
「エイプリルとストラッサーは指揮官として同格、ですが、エイプリルはフィエールの姫ですから、ストラッサーがどれほど多忙であろうとも、別邸まで挨拶に来て、忠誠を示すものではありませぬか、それが身の処し方というもの」
「うむ」
ヘンリーの眉がわずかに顰められて、頭の中でエイプリルが別邸に到着してからのストラッサーの多忙ぶりをチェックする。確かに彼は忙しい。開通式に伴う式典の準備と、お祭り関係の警備に忙殺されていた。
だが、砦から橋の袂まで何往復もしたはず、その間小者を出してエイプリルが別邸にいるかどうか確認、いれば立ち寄って、わずかな時間でも顔合わせをするのは当然だ。ふたりは同格の指揮官、しかもエイプリルは上司の娘だ。ストラッサーは卒のない男、確かにおかしい。
「姫隊が別邸に着いたことを知らなかった?」
「そうであれば大問題です」
「そうだな、これを見逃すようなエリーではないだろう。側近かの」
「故意に知らせなかったとしたら、副官、あるいは補佐官でしょう」
「リバーアン夫人の任に就いているのは、母の侍女だった……」
「はい、ジョアンナ・コリンズ夫人です。一度も交代しておりませんので、任じて以来もう17年勤めていただいております」
「そうか。指揮官は2度替わった。コリンズにとっては3人目か。
手順を間違えるはずはないな。夫人の職務のひとつだから、当然夫人経由で執務室に到着予定日の連絡と別邸手配の件は書類が上がっている。とすると」
ヘンリーは口髭を撫でながら考え込んでいた。メリーアンがお茶を入れ替えたのにも気づかず、目がどこか宙を見つめている。
「メリーアン、流通の中心としてリバーアン砦をリバーアン城に昇格させる計画、あれを早めることにする」
「あ、はい」
メリーアンもしばらく考えて答えた。
「それはよいお考えにございます。費用は掛かりますが、これからネストル橋を通じてお金と商品が動くことを考えると、砦ではすぐに手が足りなくなりましょう。
もともと、付近をまとめてリバーアン領とする予定でございましたよね」
「そうだ。橋ひとつ渡ればカンデラ公の飛び地、魔晶石の鉱山だ。その向こうはキューガン伯爵家が北東の守りだ。たしか、キューガン伯爵家長男には、エリーの侍女候補となっている伯爵家の娘御が嫁になるはずだ。
俺も気を配って配りすぎとはならぬであろう。しっかりした管理者を置かねばならん。
うちの指揮官が情報漏れや連絡不首尾を疑うような体制を早急に改めねばならん」
「仰せの通りに」
「リバーアンの西側に、砦に接して城を建てる。
ハスマン砦のソーンダイク卿に築城を任せるが、どうだ」
「よろしいかと思います。ハスマンの拡張工事で、卿に十分な建築指揮の能力があることは皆の知るところとなっております。ちょうどネストル橋建造に関わった職人の手も空きましたので、そのまま雇えばよろしいかと」
「うむ、それでの」
ヘンリーの顔が悪気でちょっと渋くなった。メリーアンは、夫のこの顔が割と好きだ。
「はい」
と、にっこり笑う。
「ストラッサーを家族ともどもフィエールに呼び寄せて、しばらく兵団の訓練に当たらせる。側近や補佐をすべてリバーアンに残して、事務方を引き続きやらせる。
リバーアンの事務方の管理者は、フィエール城の事務方から仮の役目として2名出す。
城の建造の補佐として、ウイレムを遣わす」
「魔力抜きと魔法訓練はどうなさいます?」
「リバーアン夫人を呼び返して、やってもらおう。
リバーアン夫人、ジョアンナ・コリンズは、ウイレムから口伝を受けた優秀な弟子だ。
夫人の家族はどうしておる」
「はい、ジョアンナ・コリンズをリバーアン夫人に任じた際、夫のウォルター・コリンズは騎士身分を一時保留にしてリバーアンに同行いたしました。今も補佐をしております。
子は男女ふたりです。娘アンドリエッテは、この城で侍女を務めておりますが、わたくしの従卒としました。息子はナイジェル、現在ジガ城で巡回の小隊を率いる役目についております。まだ子に手が取られるアンドリエッテの負担を軽減するために、このナイジェルを姫隊に招請しております。
どちらも、魔法、武技ともに十分な技量にございますし、連れ合いともども職務に就かせて問題ないと思っております」
「うむ、ナイジェルと家族の件はやがてホーリーから回答が来るであろう。
では、コリンズ家は、夫婦と娘家族、息子家族がフィエールに揃うことになるな」
「そうですね。長い間リバーアン夫人をお勤めくださった褒賞にもなりましょう」
「そうだな」
「リバーアン夫人の後任はどうする」
「はい。それは、しばらく空席としてこちらから代理を出し、必要な事務をやらせます。ですが、最終決定権はわたくしが」
「仕事量が増えるが」
「フィエール城内は、ラドクリフ夫人に任せます」
「よいであろう。夫人なら問題ない。侍女長を退任させてそなたの専属執事兼代理人とするがいい」
「そうですね、次の世代を育てるためにも、空いた侍女長の職責は当分順にやらせてみるのもいいかもしれません」
「リバーアン城築城、城主の選定と爵位の申請、人員の入れ替え、目が回るの。
メリーアン、頼むぞ」
「承りました」
「そなた、姫隊の編成と訓練もあろうに、すまぬ」
「いえ、お義母さまから引き継がせていただいた侍女たちがおります。
先代侍女の子息、息女が、アンドリエッテやナイジェル同様、よく育っておりますので、ご心配はありません」
「フィエール城の経理からリバーアンに行かせる件、よいか」
「よろしゅうございます。すぐに編成準備をお始めください」
「助かるぞ、メリーアン。実行できるのはエリーの婚約式から帰って後だが、管理者の選定はすぐに始めよう。頼りにしておる」




