これで、ひとまず大丈夫?
ベルクを見送ったあと、俺はそのままハンスさんの店へ向かった。
石鹸とカバンの話は、次にベルクがエルダへ向かうまで一旦止まる。でも、まだ一つだけ確認していないことが残っていた。
マヨネーズに使う油だ。
「ハンスさん」
「何だ」
「油の話、どうなった?」
「ああ、それか」
覚えていたらしい。
よかった。
俺が忘れていた間に、ハンスさんまで忘れていたら、そのまま何事もなく数か月経っていたかもしれない。
「ちょうど話を聞けたぞ」
「本当?」
「カラム方面から来た商人にな」
俺は近くの椅子を引き寄せた。
「それで?」
「座るの早いな」
「ちゃんと聞こうと思って」
「珍しい」
「俺だってちゃんと聞くよ」
「なら最初からそうしろ」
それができれば苦労しない。
◇ ◇ ◇
「まず、お前が言ってた条件だ」
ハンスさんが指を折る。
「料理に使える。匂いと味が強すぎない。カラム周辺で作られている油」
「うん」
「前に試したものと同じ種類は扱えるそうだ」
「おお」
「ただし、毎回まったく同じ日に来るわけじゃない」
「そこは仕方ない?」
「行商人だからな。それに値段も多少は動く」
前に聞いた話と同じだ。
産地が同じでも、誰が持ってくるか、いつ買うか、どれくらい運ぶかで値段は変わる。
「じゃあ安定して買うのは無理?」
「そこまで言ってない」
「どっち?」
「お前は極端なんだよ」
ハンスさんが呆れたように笑う。
「今の量なら、そいつがリーネへ来るときに他の荷物と一緒に持ってきてもらえる」
「毎回?」
「次に来るときはな。その先まで約束する話じゃない」
「なるほど」
ずっと保証されるわけではない。
でも、とりあえず次は手に入る。
「どれくらい買える?」
「それを決めるのはお前たちだ」
「大量に買った方が安い?」
「その顔やめろ」
「まだ何も言ってない」
「樽で買うとか考えただろ」
「……ちょっとだけ」
前にも我慢した。
今回も我慢しよう。
「今の使い方なら、小さい容器で何本か確保しておけば十分だろう」
「なくなる前に次を頼む?」
「そうだ。ただ、次の商人がいつ来るか分からないなら、使い切る直前じゃ遅い」
「ああ。少し余裕を持つのか」
「そういうことだ」
買いすぎない。
でも、ぎりぎりにもならない。
最近こういう話ばかりしている気がする。
「で、ハンスさんが注文するの?」
「そのつもりならできる」
「受け取るのも?」
「ああ。俺の店なら商人も寄るからな」
それならミラたちが行商人の来る日を気にする必要もない。
ただ、そこで一つ思い出す。
「ハンスさんの取り分は?」
「ようやく自分から聞いたな」
「忘れてないよ」
「今思い出した顔だったぞ」
「気のせい」
ハンスさんは笑ってから、少し考えた。
「俺が商人に頼んで、受け取って、店で預かる。なら、その手間の分を乗せてミラの店へ渡せばいい」
「油をハンスさんから買う形?」
「そう考えれば分かりやすい」
カラムの商人からハンスさんが仕入れる。
それをミラの店がハンスさんから買う。
間に俺が入る必要はない。
「いくら乗せるの?」
「それは向こうと話して決める」
「俺じゃなくて?」
「実際に油を使うのはパン屋だろ。必要な量も含めて、俺と直接話した方が早い」
「ああ、そっか」
俺が間に入って、ミラたちの希望を聞いて、それをハンスさんに伝えて、また返事を持っていく。
そんなことをする必要はない。
「じゃあ、そう伝えておく」
「ああ。話が決まれば、あとはこっちでやる」
「分かった」
なんだか、俺の仕事が一つ減った。
いや、そのために話をまとめてるんだから、これでいいんだけど。
◇ ◇ ◇
その足でミラの店へ向かった。
昼の忙しい時間は過ぎていたが、店にはまだパンが並んでいる。その中に、見慣れてきた白いソース入りのパンもあった。
「ミラ」
「いらっしゃい。今日は買ってく?」
「話がある」
「じゃあ買わないの?」
「……一個ください」
「毎度あり」
完全に負けた気がする。
パンを受け取ってから、奥にいたミラのお父さんも交えて油の話をする。
カラム方面から来る商人が、次から少量なら持ってきてくれること。ただし、毎回同じ日に来るわけではなく、値段も多少変わること。
そして今回は、ハンスさんに仕入れそのものを任せる案も伝えた。
「つまり、うちはハンスさんから油を買う?」
ミラのお父さんが聞く。
「そう。ハンスさんが商人から仕入れて、手間の分を乗せてミラの店に売る」
「それで、今使ってる油より安いのか?」
「たぶん安くなると思う。でも、ハンスさんがいくら乗せるかまでは決めてないよ」
「まだ決めてないのか?」
「そこはおじさんから直接ハンスさんに聞いてみて。どれくらい仕入れるかも、二人で決めた方がいいって」
ミラのお父さんは少し考えてから頷いた。
「まあ、その方が早いか」
「俺が間に入っても、伝言するだけになっちゃうから」
「分かった。あとで俺からハンスさんのところに行ってみるよ」
「お願い」
これで、俺が毎回油の注文を聞いて、ハンスさんのところまで走る必要もなくなる。
ミラの店が必要な量をハンスさんに頼んで、ハンスさんが商人から仕入れる。
値段や量は、その二人で決める。
俺がいなくても回る。
「もし思ったより高かったら?」
「今までの油を使えばいいだろ?」
ミラのお父さんがあっさり答えた。
「あ」
「作れなくなるわけじゃないんだから」
そうだった。
カラムの油が使えなくなったら、マヨネーズそのものが作れなくなるわけではない。少し利益が減っても、今まで使っていた油という逃げ道がある。
「じゃあ、それでいいね」
ミラが笑った。
「うん」
これで油の問題も、とりあえず俺の手を離れた。
そう思ったところで、ミラのお父さんが俺を見た。
「そういやレイン」
「何?」
「お前の分はどうするんだ?」
「俺の?」
「このパンの売上だよ」
言われて、一瞬何のことか分からなかった。
「俺、何も売ってないよ?」
「マヨネーズを作ろうって言い出したのはお前だろ」
「そうだけど」
「作り方だって、元はレインが知ってたんでしょ?」
ミラも話に入ってくる。
「いや、最初のあれを作り方って呼んでいいの?」
「酸っぱい油?」
「忘れて」
最初から成功したわけじゃない。
俺が覚えていたのは、油と卵と酢を使った白っぽいソースがあったことくらいだ。実際に食べられるものになるまで、ミラにもかなり助けてもらった。
「別にいらないよ」
「いいの?」
「だってミラと一緒に作ったようなもんだし」
俺が毎朝マヨネーズを作っているわけでもない。
パンを焼いているわけでも、店に立って売っているわけでもない。材料を買って、売れ残ったときに困るのだってミラたちだ。
「俺、最初に思いついただけだよ」
「それが大事なんじゃない?」
「でも一人じゃ作れてないし」
ミラが少し考えてから笑う。
「じゃあ、ありがたくもらっとく」
「どうぞ」
「その代わり、食べたくなったら買いに来てね」
「そこは一個くらいくれてもよくない?」
「商売だから」
「急に厳しい」
ミラのお父さんまで笑っていた。
◇ ◇ ◇
話が終わったところで、俺は店内を見回した。
「最近、あれどう?」
「白いソースのパン?」
「うん」
「普通に売れてるよ」
「普通に?」
「毎日絶対全部なくなるってわけじゃないけど、だいたいはね」
「八個くらい?」
「そのくらい。忙しい日はもう少し欲しいこともあるけど、今は増やしてない」
「何で?」
「無理に増やす必要ないでしょ」
さらっと言われた。
少し前の俺なら、売れるなら増やそうと言っていた気がする。
「作るのは?」
「もう慣れたよ」
「俺いなくても?」
「最初から毎日はいなかったじゃない」
「まあ、そうだけど」
「レインが来ない日も普通に作ってるよ」
そうですよね。
分かってはいた。
分かってはいたんだけど、改めて言われると少し寂しい。
「何、その顔」
「別に」
「食べる?」
「何を?」
「もう一個」
「食べる」
「3リルね」
「金取るの?」
「さっき自分で言ったでしょ。レインの取り分はいらないって」
「それとこれは別じゃない?」
「別じゃない」
くそ。
取り分を断った直後に客として金を払っている。
何かがおかしい気がする。
でも、二個目も美味かった。
◇ ◇ ◇
店を出て、残ったパンを食べながら歩く。
石鹸はセラさんが作って、ハンスさんの店で売っている。カバンはダリオさんが作る。町の外へ持っていく話は、ベルクが次に戻ってきてからだ。
マヨネーズのパンも、今ではミラたちだけで普通に作って売っている。油のことも、これからはハンスさんとミラたちで話せばいい。
俺が毎日どこかへ行って、何かをしないと止まるものはない。
「……あれ?」
足を止める。
明日。
何するんだ?
セラさんのところへ行く必要はない。ダリオさんにも用事はない。ベルクはいないし、ハンスさんに相談することも今のところ思いつかない。
ミラの店だって、俺が来なくても困らない。
「…………暇だ」
久しぶりに、本当に予定がない。
貯金するために商売を始めて、自分が楽になるように少しずつ人に任せられる形にしてきた。
その結果。
本当に暇になった。
「どうしよう」
こんなとき、十三歳って何して過ごすんだ?




