全部、丈夫にすればいい?
翌日、俺はベルクから返してもらったカバンを抱えて、ダリオさんの工房へ向かった。
一月の旅で使われたカバンは、新品だった頃とはかなり違う。底の角は擦れ、肩紐には癖がつき、革の表面にも細かな傷が増えている。
でも、それがいい。
新品を眺めているだけでは分からなかったことが、このカバンには詰まっている。
「ダリオさん、いる?」
「いるぞー!」
工房の奥から声が返ってくる。
中へ入ると、ダリオさんは作業台の前に座っていた。少し離れたところでは、二人の弟子がそれぞれ革を扱っている。
「お、レイン。どうした?」
「これ見て」
俺はカバンを作業台へ置いた。
ダリオさんが手を止める。
「……随分使ったな」
「一月、行商人に貸してた」
「ああ、前に言ってたやつか」
「帰ってきた」
「行商人が?」
「カバンも」
「そりゃよかった」
そこを心配していたわけではない。
◇ ◇ ◇
「まずここ」
俺は底の角を指差した。
「かなり擦れた」
「見りゃ分かる」
ダリオさんがカバンを持ち上げ、底を確認する。
指で押したり、縫い目を見たり、角度を変えて眺めたりする。
「地面に何度も置いたか?」
「たぶん。石とか土とか、荷車の床とか」
「旅ならそうなるわな」
「壊れそう?」
「今すぐどうこうってほどじゃない。ただ、この使い方を続ければ最初に駄目になるのは底だろうな」
「やっぱり」
ベルクの感想と、作った人の見立てが一致した。
俺は帳面を開く。
「次、肩」
「痛いって?」
「重い物を入れて長く背負うと」
「そりゃ痛い」
「即答?」
「革の紐で荷物ぶら下げてるんだからな」
「もっと太くできる?」
「できる」
「柔らかくするとか」
「できる」
「厚くする?」
「それもできる」
「じゃあ全部やろう」
「待て待て待て」
ダリオさんが手を上げた。
何だ。
全部できるって言ったじゃないか。
「何?」
「お前、今いくつ言った?」
「三つ?」
「太くする。柔らかくする。厚くする」
「うん」
「全部、タダでできると思ってるか?」
「……思ってないです」
「今ちょっと思ってただろ」
「ほんの少し」
危ない。
また始まるところだった。
◇ ◇ ◇
「まず、何を直したいんだ?」
「肩が痛いのを減らしたい」
「なら幅を広げるのが一番簡単だな」
「今より?」
「ああ。ただ、広げた分だけ革は使う」
「いくら上がる?」
「まだ分からん」
「じゃあ底は?」
「補強するなら、もう一枚革を重ねる方法がある」
「それも革増える?」
「当然」
「縫う手間も?」
「当然」
「……全部金かかるな」
「当たり前だ」
ダリオさんが笑う。
分かっていた。
分かっていたはずなのに。
改善案を聞くと、全部入れたくなる。
「雨も何とかできる?」
「今より水に強くする方法ならある」
「それも――」
「金はかかる」
「ですよね」
先に言われた。
「あと、手入れも必要だぞ。旅で雨に濡らして、何もしないで使い続ければ革は傷む」
「ベルクも拭いたり乾かしたりしてたみたい」
「ならまだいい」
完全に雨を防ぐカバンを作る。
そんなことを考えるより、使い方と手入れを伝える方が安く済む場合もある。
昨日ベルクから聞いた話とつながった。
◇ ◇ ◇
「これ、今25リルで売ってるよね?」
「基本はな」
「肩と底を直したら、25リルのままは無理?」
「作り方次第だ」
ダリオさんがカバンを作業台に置き、少し考える。
「ただな」
「うん」
「何で今売ってるやつまで変えるんだ?」
「え?」
「町で使ってる客から、肩が痛いとか底がすぐ駄目になるとか言われたか?」
「……言われてない」
「だろ?」
俺は黙る。
町で売ったカバン。
仕事で使っている人もいる。
でもベルクほど長い時間、重い荷物を背負って旅をする人ばかりではない。
「じゃあ今のはそのまま?」
「問題が出てないならな」
「でも、もっと丈夫な方がいいんじゃない?」
「値段が同じならな」
「ああ」
丈夫にする。
材料が増える。
手間が増える。
値段が上がる。
町で普通に使う人からすれば、必要のない丈夫さのために高い金を払うことになる。
「昨日、ベルクにも似たようなこと言われた」
「何て?」
「町用と旅用は違うって」
「そりゃそうだ」
ダリオさんまで即答だった。
どうやら俺だけが、同じカバンですべて解決しようとしていたらしい。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、分ける?」
「何を?」
「普通のやつと、旅向け」
口にすると、昨日よりずっと現実味が出る。
今のカバンはそのまま。
町で使う人向け。
値段も大きく変えない。
そして別に、長く背負って歩く人向けを作る。
「旅向けは肩を楽にして、底を丈夫にする」
「雨は?」
「……一旦そのまま」
「ほう」
「何?」
「全部入れろって言うと思った」
「俺も成長するんです」
「さっき全部やろうって言ってなかったか?」
「忘れてください」
「まだそんなに時間経ってねえぞ」
弟子の一人まで笑っている。
聞かれていたらしい。
「ベルクが一番困ったのは肩と底だった」
「なら、まずそこだな」
「雨は使い方でも何とかしてた」
「じゃあ後回しでいい」
全部直す必要はない。
困っているところから直す。
それなら材料も手間も抑えられる。
◇ ◇ ◇
「で、いくら?」
「まだ何も決まってねえよ」
「大体でいいから」
「肩紐をどれだけ変える。底をどこまで補強する。それで変わる」
「一番安く」
「お前、そういう聞き方するようになったな」
「褒めてる?」
「半分な」
ダリオさんが今のカバンを見ながら考える。
「まずは、この底の角だけ補強する方法を試すか」
「全面じゃなくて?」
「一番擦れてるところはどこだ?」
「角」
「なら最初から全部二重にする必要はないかもしれん」
「なるほど」
「肩も同じだ。全部作り直す前に、幅を少し変えてみる」
必要なところだけ。
それなら材料の増加も抑えられる。
「試作品作れる?」
「作れるが」
「いくら?」
「やっぱりそこ聞くよな」
「大事だから」
「売るなら、今の25リルよりは上になるぞ」
「どれくらい?」
「だからまだ分からんって」
今日はそれ以上聞いても出なさそうだ。
俺は諦めて帳面に書く。
『旅向け試作――肩紐を少し広く。底は擦れやすい部分を補強』
「これなら?」
「作ってみないと分からんな」
「ベルクがいる間にできる?」
「急ぐ理由は?」
「もう一回背負ってもらいたい」
「なるほど」
ダリオさんが少し考える。
「他の仕事の合間でいいならやってみる」
「お願いします」
「先に言っとくぞ」
「何?」
「試作にも材料は使う」
「……はい」
分かっています。
◇ ◇ ◇
「でもさ」
俺は一つ気になった。
「旅向け作っても、ベルク以外に買う人いるかな」
「知らん」
「そこは考えてくれないの?」
「俺は革職人だぞ」
「売るのも仕事でしょ?」
「お前が持ってきたカバンだろ」
確かに。
ダリオさんは作れるかどうかを考える。
誰が買うかを考えるのは、俺の仕事だ。
「旅人」
「だろうな」
「行商人」
「だろうな」
「冒険者?」
「使い方次第じゃないか?」
前にカバンを使ってくれたロイドたちを思い出す。
あの人たちなら、町の外を歩くことも多い。
ただ、行商人と冒険者では持ち物も違う。
「……また人によって違うのか」
「当たり前だろ」
「商品作るのって面倒だね」
「今さら何言ってんだ」
ダリオさんが笑う。
でも、ちょっと楽しい。
◇ ◇ ◇
帰る前に、もう一度カバンを見る。
一月使われて、傷だらけになったカバン。
最初に見たときは、全部直したくなった。
もっと丈夫に。
もっと雨に強く。
もっと肩が楽に。
もっと使いやすく。
でも、全部やればいいわけじゃない。
必要のない人まで、その分の金を払うことになる。
俺は帳面の最後に書く。
『普通のカバンは今のまま』
『旅向けは別に考える』
『まず肩と底だけ』
そして、その下にもう一つ。
『丈夫=全員にとって良い商品、ではない』
「これ、商売っぽくない?」
俺が見せると、ダリオさんが覗き込む。
「最後の一行か?」
「うん」
「当たり前のことを格好よく書いてるだけだな」
「消そうかな」
「残しとけ残しとけ」
笑われた。
まあいい。
当たり前のことでも、忘れない方がいい。
今度ベルクが町を出るまでに、旅向けの試作品ができるかもしれない。
そのときは、また背負ってもらおう。
もちろん、今度は一月も貸さない。
……たぶん。




