そろそろ、仕入れを決めよう
それから数日、ミラの店ではマヨネーズを使ったパンを八個ずつ作ってみた。
結果から言えば、悪くない。
毎日まったく同じ時間に売れるわけではないし、昼前にほとんどなくなる日もあれば、最後の一個が午後まで残る日もあった。それでも閉店までずっと何個も残るような日はなく、八個なら無理なく売れそうだという感触が出てきた。
「これなら、しばらく八個で続けてもよさそうだね」
その日の片づけをしながら、ミラが言った。
「俺もそう思う」
「増やしたいって言わないんだ?」
「言わないよ」
「本当に?」
「……十個くらいならとは思ってる」
「思ってるんじゃん」
でも、今すぐ増やすつもりはない。
八個なら売れる。
八個なら作る負担も大きくない。
まずはそれが分かっただけで十分だ。
そして、もう一つ分かったことがある。
「油、どれくらい使った?」
「今日の分?」
「うん」
ミラと一緒に残りを確認する。
毎日同じ量をきっちり使うわけではない。それでも数日続けたおかげで、八個作るなら一回にどのくらい必要なのか、大体の範囲が見えてきた。
つまり。
ハンスさんに聞かれた質問に、ようやく答えられる。
◇ ◇ ◇
「八個を、しばらく続けることになりました」
翌日。
俺はハンスさんの店へ来ていた。
「何の話だ?」
「この前言ってた、パンに使うソースです」
「ああ。油を探してたやつか」
「そうです」
前に相談したとき、ハンスさんに聞かれた。
どれくらい欲しいのか、と。
あのときの俺は答えられなかった。
商品がどれくらい売れるのか分からない。
何個作るのかも決まっていない。
当然、必要な油の量も分からなかった。
「何日か売ってみて、一日八個くらいなら無理なく売れそうです」
「毎日か?」
「今のところは。ただ、まだ始めたばかりだから、ずっと同じとは思ってません」
「それで?」
「八個作るのに使う量も、大体分かりました」
俺は帳面を開く。
何日作ったか。
その間に油をどのくらい使ったか。
これから八個を続けた場合、どのくらい必要になりそうか。
もちろん、きっちり同じ量ではない。
だから少し余裕を持たせている。
「前よりは話ができそうだな」
「でしょ?」
「最初は『安い油が欲しい』だけだったからな」
「そこは忘れてください」
「無理だな」
ハンスさんが笑う。
俺だって忘れたい。
◇ ◇ ◇
「それで、カラムの油を仕入れたいのか?」
「できれば」
「前に買ったのと同じものを?」
「そこが相談したくて」
俺は一度言葉を選ぶ。
「同じように、匂いと味が強くない料理用の油が欲しいです。パンに合わせるソースに使うので」
「前の油じゃなくてもいいのか?」
「使ってみないと分からないですけど、同じものじゃなきゃ駄目とは思ってません」
「なるほど」
ハンスさんが腕を組む。
「なら、少し楽だ」
「楽?」
「同じ商人から、同じ産地の、同じ油を必ず買いたいと言われたら面倒だからな」
「ああ」
前に聞いた話を思い出す。
カラムから来た油といっても、全部が同じものではない。
作っている場所も違えば、種類も違う。
運んでくる商人だって毎回同じとは限らない。
「お前が欲しいのは、カラムの油そのものじゃない」
「安くて、匂いが強くなくて、マヨネーズに使える油」
「まよ……何だ?」
「あ」
しまった。
口が滑った。
「マヨネーズです」
「それがソースの名前か?」
「俺たちはそう呼んでます」
ハンスさんが少しだけ眉を上げる。
「店でもその名前で売ってるのか?」
「いや、客には白いソースって説明してます」
「なら、まだ広めない方がいいかもしれんな」
前にも言われた。
作り方そのものにも価値があるかもしれない。
名前だけで作り方が分かるわけではないけど、わざわざ知らない人に説明して回る必要もない。
「今のなしで」
「もう聞いた」
「ハンスさんはいいんです」
「信用されてるな」
「石鹸の頃から散々世話になってますから」
「なら、その信用は大事にしろ」
「はい」
こういうところで急に真面目になるから困る。
◇ ◇ ◇
「話を戻すぞ」
ハンスさんが帳面を見る。
「欲しい油の条件は分かった。量も前よりは分かった」
「仕入れられそう?」
「探すことはできる」
「おお」
「まだ喜ぶな」
「はい」
「まず、今買ってる量なら、わざわざ大きな取引にするほどじゃない」
「ですよね」
八個分のマヨネーズ。
毎日作ったとしても、大商人が荷車いっぱいに運んでくるような量ではない。
「だから、カラム方面から来る商人の荷に混ぜてもらうのが現実的だろうな」
「油だけ運んでもらうんじゃなくて?」
「他の荷物と一緒にだ」
「なるほど」
それなら少量でも運べる。
商人も油だけのためにリーネまで来る必要がない。
「ただし、毎回同じ値段とは限らんぞ」
「それは分かってます」
「道が悪ければ遅れる。向こうで値が上がれば仕入れも上がる。そもそも持ってくる商人が来ないこともある」
「それも……まあ、なんとなく」
「なんとなくじゃ困る」
「はい」
安定して仕入れる。
言葉にすると簡単だけど、絶対に同じ日に同じものが届くわけではない。
前世なら、店に行けばいつでも同じ商品が並んでいるのが普通だった。
この世界では、その普通を作ること自体が商売なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、どうすればいい?」
「少し余分に持っておけばいい」
「在庫?」
「そうだ。ただし持ちすぎるな」
「分かってる」
「本当に?」
「樽は買いません」
「何の話だ?」
「こっちの話です」
危なかった。
俺の中では、一瞬だけ大きな樽が浮かんだ。
大量に買えば安い。
どうせ使う。
腐るものじゃなければ――。
いや。
やめよう。
「どれくらい持っておくのがいい?」
「それは俺が決めることじゃない」
「え?」
「ミラの店でどれくらい置ける。油は他の料理にも使えるのか。ソースが売れなくなったらどうする。その辺まで考えて決めろ」
「また宿題増えた」
「俺は仕入れの相談に乗ってるだけだからな」
そうだった。
全部ハンスさんに決めてもらったら、俺の商売じゃない。
◇ ◇ ◇
「とりあえず、次にカラム方面の商人が来たら話は聞いておいてやる」
「本当?」
「ああ。ただし、買うとは約束しない」
「条件を聞くだけ?」
「種類、値段、どれくらいの間隔で持ってこられそうか。そのくらいだな」
「お願いします」
ありがたい。
俺一人で市場を歩き回って、カラムから来た商人を毎回探すよりずっといい。
「紹介料とか払った方がいい?」
「今はいい」
「今は?」
「これが大きな取引になったら、そのとき考える」
「……覚えておきます」
「忘れるなよ」
怖い。
でも当然だ。
ハンスさんの人脈も、時間も、タダではない。
今は小さな話だから助けてくれているだけだ。
これが本当の取引になれば、そこにも金が動く。
◇ ◇ ◇
店を出る前に、帳面を開く。
『一日八個を基準にする』
『必要な油の量は大体分かった』
『同じ産地より、使える油かどうかが大事』
『他の荷物と一緒に運んでもらう』
『値段と入荷日は毎回同じとは限らない』
『少し在庫を持つ。ただし持ちすぎない』
『ハンスさんがカラム方面の商人に確認』
少しずつ形になってきた。
最初は、市場でたまたま見つけた安い油だった。
一本買って試した。
パンを作った。
売れた。
必要な量を調べた。
そして今度は、その量を継続して手に入れる方法を考えている。
「……仕入れっぽい」
今までだって材料は買っていた。
でも今回は少し違う。
必要になったら店へ行って買うのではなく、必要になる量を考えて、先に手に入る流れを作ろうとしている。
これが上手くいけば、ミラの店はマヨネーズを使ったパンを続けられる。
そして俺は――。
「レイン」
「はい?」
店を出ようとしたところで、ハンスさんに呼び止められた。
「油が安定して手に入るようになっても、作り方をあちこちで喋るなよ」
「分かってます」
「ならいい」
俺は頷いて、今度こそ店を出た。
マヨネーズの作り方。
今のところ知っているのは、俺とミラたちくらいだ。
ただの料理の作り方だと思っていたけど、ハンスさんはそこにも価値があると言った。
もし本当にそうなら。
パンを売る以外にも、使い道があるのかもしれない。
……まあ、それを考えるのはもう少し先でいいか。
まずは油だ。
今度こそ、順番を守ろう。




