安い油なら、何でもいい?
白いソースを使ったパンを五個売った翌日、俺は市場へ向かった。
目的は一つ、油だ。正確には、カラムから運ばれてくる料理用の油。
白いソースは思った以上に油を使う。今の材料でも五個程度なら問題ないけど、これから数を増やすなら、少しでも材料費は下げたい。
もちろん、安ければ何でもいいわけじゃない。昨日ミラにも念を押されたし、料理に使うものだから、石鹸用の油を探していた頃とは見るところも違う。
「味が変わったら意味ないもんな」
まずは売っている人を探そう。
◇ ◇ ◇
市場を歩いていると、以前より荷馬車を見る癖がついていた。
何を積んでいるのか。どこから来たのか。帰りには何を積むのか。
少し前までは全部同じ「商人の荷物」にしか見えていなかったのに、知れば知るほど気になる。
しばらく歩いたところで、いくつかの瓶と小さな樽を並べている露店を見つけた。店番をしているのは、四十歳くらいの男だった。
「あの」
「いらっしゃい」
「油ある?」
「見りゃ分かるだろ」
「ですよね」
確かに油の前で聞く質問ではなかった。
「料理に使うやつが欲しいんだけど」
「何に使う?」
「パンに合わせるソース」
「ソース?」
「そう。できれば、匂いとか味が強すぎないやつがいい」
「なるほどな。だったら――」
男は並べてある油を見渡し、その中から二つの容器を指差した。
◇ ◇ ◇
「今日持ってる中なら、こっちかこっちだな」
「二種類?」
「元が違う」
「元?」
「何から搾ったかだよ」
「ああ」
考えてみれば当然だった。
植物から作る油と一言で言っても、前にいた世界にもいろいろあった。名前まではいくつか思い出せるけど、何がどう違っていたかまで説明できるほど詳しくはない。
ただ、味や匂いが違うことくらいは覚えている。
「こっちは匂いが強い。焼いたり炒めたりするなら、こっちを好むやつもいる」
「じゃあ、こっちは?」
「そっちは軽いな。パン屋なんかも買ってくぞ」
「それ」
「まだ値段も聞いてないだろ」
「そうだった」
危ない。
用途が合いそうだと分かった瞬間、買う方へ進みかけた。
今日は調べに来たんだ。少なくとも、大量に買うためじゃない。
◇ ◇ ◇
「どっちもカラムで作ってるの?」
「カラムの周りだな。町の中で全部作ってるわけじゃない」
「値段は?」
男から聞いた値段を、持ってきた帳面に書く。
比較するために、普段ミラの店で使っている油と同じくらいの量で考えてみた。
「……安い」
「そりゃ向こうじゃよく作ってるからな」
「これ、運ぶ分も入ってる?」
「当たり前だ。俺がタダで運ぶと思ってんのか?」
「ですよね」
そこは大事だった。
これはカラムでの値段そのものではない。リーネまで運び、商人の取り分まで含めてこの値段だ。
それでも、ミラが普段仕入れている同程度の油より少し安い。
「いっぱい買ったらもっと安くなる?」
「量による」
「出た」
「何が?」
「最近そればっかり聞く」
「そりゃ量によるだろ」
正論だった。
「樽で買うなら話は変わる。瓶一本なら今の値段だ」
「樽……」
一瞬だけ想像する。
大量の油をまとめて買えば、もっと安くなる。白いソースをたくさん作れて、一個あたりの材料費も下がるかもしれない。
でも、五個売れただけだ。
「いや、いらない」
「まだ勧めてねえよ」
「自分に言った」
ここで樽を買ったら、さすがに駄目だ。
◇ ◇ ◇
「少しだけ試せる?」
「買うならな」
「もっと小さい量は?」
「これより?」
男が小さな瓶を持ち上げる。普段売っている中では、これがかなり少ない単位らしい。
「一回試したいだけなんだよね」
「なら味見すればいいだろ」
「え?」
男は小さな皿を出し、二種類の油をほんの少しずつ垂らした。
「舐めてみろ」
「いいの?」
「料理に使うなら、味も知らずに買えねえだろ」
ありがたい。
まず匂いが強い方を少しだけ確かめる。
「……あ、これは違うな」
「早いな」
「悪いって意味じゃないよ。作りたいものには合わなそう」
油自体が悪いわけではない。香りがかなり強くて、ソースに使えばそっちが目立ちそうだった。
次に、軽い方を試す。
「……こっちはいいかも」
「だろ?」
「味もそんなに強くない」
「だからパン屋なんかはそっちを選ぶことが多い」
ミラが言っていた条件にも合っている。
安い。料理用として使われている。味も匂いも強すぎない。
かなり候補だ。
◇ ◇ ◇
「これ、買う」
「毎度」
「小さい瓶一本だけね」
「分かってるよ」
念のためだ。
男にではなく、俺自身への確認である。
財布から代金を出す。樽ではないし、大量購入でもない。試すための小さな瓶一本だけだ。
「次も買うなら、いつ来る?」
「決まってねえな」
「え?」
「カラムとリーネだけ往復してるわけじゃない。次は別の町を回る」
「ああ……」
ここにも問題があった。
安い仕入れ先を一人見つけたからといって、いつでも同じものを同じ値段で買えるとは限らない。
「じゃあ、この油をまた欲しくなったら?」
「他にも扱ってる商人はいる。ハンスみたいな店に頼んで探してもらう手もあるな」
「なるほど」
「まとまった量を定期的に欲しいなら、また話は変わるけどな」
定期的に仕入れる。
そこまで行けば、本当に商品として回す話になってくる。
でも、今はまだ早い。
◇ ◇ ◇
油を持って、そのままミラの店へ向かった。
「買ってきた」
「早いね」
「ちゃんと一本だけ」
「樽じゃない?」
「なんで最初にそこ確認するの?」
「レインだから」
信用があるのかないのか分からない。
俺は市場で聞いたことを説明した。カラム周辺で作られている油にも種類があること。匂いの強いものと、比較的軽いものがあったこと。今回買ったものはパン屋でも使われることがあるらしいこと。
そして、輸送や商人の取り分を含めても、今使っている油より少し安い。
「へえ」
ミラが瓶を開け、まず匂いを確かめる。
「確かにそんなに強くないね」
「でしょ?」
「でも、まだ分からないよ」
「分かってる。実際にソースにしてみよう」
「うん。それで味が変だったら?」
「使わない」
「ちゃんと分かってるじゃん」
今日はよく褒められる。
◇ ◇ ◇
問題はもう一つある。
「これが良かったとしても、毎回同じ油を買えるとは限らないんだよね」
「さっきの人、ずっと来るわけじゃないの?」
「うん。別の町にも行くらしい」
「じゃあ、これを使う前提にするのはまだ怖いね」
「だから、良さそうだったらハンスさんにも聞いてみる」
「またハンスさん?」
「困ったときのハンスさん」
「本人に聞かれたら怒られるよ」
たぶん文句を言いながら教えてくれる。
でも、その前にやることがある。
「少しだけ作ってみよう」
「今日?」
「油を変えたらどうなるかだけ確認したい」
「誰が混ぜるの?」
「……俺?」
「正解」
やっぱりそうなる。
◇ ◇ ◇
昨日まで使っていた材料はそのままに、油だけを今日買ったものへ替える。
あとは前と同じように、状態を確かめながら少しずつ混ぜていった。作り方自体はまだ試行錯誤の途中だけど、一度成功した手順なら俺よりミラの方がよく覚えている。
「見た目は?」
「同じ感じ」
「匂いは?」
「大丈夫そう」
しばらくすると、とろみもついた。色も前に作ったものとほとんど変わらない。
最後に、二人で少しだけ味を見る。
「……どう?」
俺が聞くと、ミラはすぐに答えず、もう一度確かめた。
「前のより、ちょっと違う」
「やっぱり?」
「でも嫌じゃない」
「俺も」
全く同じではない。
油が違うんだから、当然だ。
でも白いソースとしてはちゃんと成立している。
「パンでも試そう」
少量の肉と野菜をパンに挟み、そこへ新しい油で作ったソースを合わせる。半分に分けて食べてみると、ソースだけで味を見たときより違いは気にならなかった。
「……これならいいんじゃない?」
ミラが言う。
「俺もそう思う」
「少し軽い感じはするけど、肉には合ってる」
「じゃあ安い方に変える?」
「まだ」
「お」
「何その反応」
「すぐ変えるって言うと思った」
「俺だって考えるよ」
一本試しただけだ。
次に同じものが手に入るかも分からないし、値段だってずっと同じとは限らない。
商品に使うなら、そこまで考えたい。
◇ ◇ ◇
その日の帳面には、油について分かったことをまとめた。
『カラム周辺の油にも種類がある』
『安いだけでは駄目。味と匂いを確認』
『軽い油なら白いソースにも使えそう』
『リーネまで運ばれたものでも、今の油より少し安い』
『同じものを安定して仕入れられるかは別問題』
最後の一行が、一番面倒だった。
良いものを見つける。それだけでは商売にならない。
必要なときに、必要な量を、無理のない値段で、同じくらいの品質のものを手に入れる。商品を継続して売るなら、そこまで考えなければならない。
「仕入れって、思ったより大事だな」
今まで石鹸の材料を自分で買っていた頃は、なくなったら市場へ行けばいいくらいに思っていた。
でも外の町から材料を入れるなら、話はもっと複雑になる。
ベルクが戻ってきたら聞きたいことが、また一つ増えた。
エルダの話。
石鹸の話。
背負い鞄の話。
それから、町と町の間で商品をどうやって安定して運ぶのか。
「……一月くらいで帰ってくるって言ってたよな」
まだ少し先だ。
でも、待っている間にやることは随分増えた。
少なくとも、安いと聞いただけで油を樽買いしなかった俺は、かなり偉いと思う。
誰も褒めてくれないから、自分で褒めておいた。




