もっと楽に混ぜられない?
翌朝。
目が覚めて最初に思ったのは、白いソースのことだった。
正確には、味ではない。
「……もっと楽に混ぜられないかな」
昨日は少量作っただけなのに、結構腕が疲れた。
五個だけ試しに売るなら何とかなる。でも、もし売れて十個、二十個と増えたら、そのたびにミラか誰かが木べらで混ぜ続けることになる。
それは嫌だ。
俺がやるのも嫌だし、ミラにやらせ続けるのも違う。
商売になるかもしれないものを思いついても、作る側が嫌がるようになったら続かない。
「混ぜる道具……」
前世にはあった。
泡立て器。
名前は覚えている。
形も、なんとなく分かる。
持ち手があって、その先に細い金属が何本か丸く広がっている。
「……どうなってたっけ」
そこから先が怪しい。
料理番組で見た。
家にもあった。
たぶん何度か使ったこともある。
でも、細い金属が何本だったかなんて覚えていないし、どうやって持ち手に固定されていたのかも知らない。
いつものやつだ。
知ってる。
でも、作れない。
「とりあえずミラに聞くか」
こういうときは、実際に使う人に聞く。
それも五年間で覚えた。
◇ ◇ ◇
「もっと楽に混ぜたい?」
「うん」
朝の忙しい時間が終わったパン屋で、俺は昨日使った木べらを持っていた。
ミラはパンを並べながら、ちらっとこっちを見る。
「昨日、道具がどうとか言ってたやつ?」
「そう」
「何か思いついた?」
「一応」
「その言い方、不安だなあ」
「俺もまだ不安」
「じゃあ聞くだけ聞く」
俺は木べらを置いた。
「こういう板みたいなので混ぜるんじゃなくて、もっと細いやつを何本かまとめた道具」
「細いやつ?」
「うん。こう……」
指で空中に形を描く。
伝わらない。
自分でも何を描いているのか分からない。
「先が丸く広がってて」
「丸い?」
「細い棒が何本かあって」
「棒?」
「棒というか……線?」
「線は持てないよ」
「だよね」
説明が難しい。
俺は紙を借りて、覚えている泡立て器を描いてみた。
「こんな感じ」
「……何これ」
「だから混ぜる道具」
「虫かと思った」
「そんなに絵下手?」
「上手くはない」
知ってた。
◇ ◇ ◇
ミラは俺の絵をしばらく見ていた。
「これ、先が何本にも分かれてるの?」
「そう」
「なんで?」
「……混ざりやすいから?」
「聞かれても」
「前に使ったことがある気がするんだよ」
「また昔?」
「そう。昔」
十三歳の昔。
もうミラも深く突っ込まなくなってきた。
「でも、金属で作ったら高くない?」
「あ」
「こんな細いの何本も作ってもらうんでしょ?」
「……高そう」
いきなり問題が出た。
たった五個の試験販売のために、専用の金属道具を職人へ頼む。
それは違う。
売れるかどうかすら分からない。
「駄目だな」
「諦めるの早いね」
「だって道具代で赤字になったら意味ないじゃん」
「レインらしくない」
「どういう意味?」
「昔なら先に作ってた」
否定できない。
五年前の俺なら、「必要経費!」と言いながら職人のところへ走っていた可能性が高い。
「成長したんです」
「自分で言うんだ」
「誰も言ってくれないから」
ミラが笑った。
◇ ◇ ◇
「でもさ」
ミラが木べらを持つ。
「これが混ぜにくいのは本当なんだよね」
「でしょ?」
「先が広いから重いし、器の中をぐるぐる回してるだけになる」
「じゃあ細くすれば?」
「一本?」
「一本……」
二人で考える。
細い棒一本で混ぜる。
たぶん木べらより軽い。
でも、泡立て器とはかなり違う。
「二本なら?」
ミラが言った。
「二本?」
「細い棒を二本持って混ぜる」
「箸みたいな?」
「はし?」
「……細い棒二本」
「今私が言ったでしょ」
「そうでした」
箸も普通に説明が面倒だった。
俺たちは厨房にあった細い木の棒を二本借りてみることにした。
もちろん、いきなり卵と油を使うわけじゃない。
まずは水で試す。
「……分からないね」
「水じゃね」
「じゃあ何混ぜる?」
ミラが少し考え、パンを作るときに使う材料を少量だけ器へ入れた。
少し粘りがある。
「これなら?」
「やってみよう」
木べら。
細い棒一本。
二本。
順番に混ぜてみる。
「二本の方が軽い」
「でも持ちにくい」
「ずれるね」
「指疲れる」
完璧ではない。
でも、何となく方向は見えてきた。
「二本をくっつければ?」
「持つところだけ?」
「そう」
先は少し離す。
持ち手側だけ固定する。
それなら二本を別々に持つ必要がない。
「それなら木で作れる?」
「たぶん」
「誰に聞く?」
二人とも少し黙った。
「……父さん?」
「ガルドさんだね」
また父さんだった。
◇ ◇ ◇
「今度は何だ?」
工房へ行くと、父さんは作業台で小さな棚の部品を削っていた。
「ちょっと相談」
「最近相談多くないか?」
「頼られる父親っていいでしょ」
「金にならねえ相談ばっかりだけどな」
「今回は仕事になるかも」
「本当か?」
「たぶん」
「急に怪しくなったな」
俺はミラと考えたものを説明する。
細い木の棒を二本。
持ち手側で固定。
先は少し離す。
液体を混ぜるための道具。
父さんは話を聞いてから、俺の絵を見る。
「……これ何だ?」
「ミラにも言われた」
「虫か?」
「なんで二人とも同じ感想なの?」
そんなに虫っぽいらしい。
「これをそのまま作ってほしいわけじゃないよ」
「じゃあ何だ?」
「木で、簡単に作れるやつが欲しい」
「どれくらい簡単に?」
「できれば安く」
「お前、そればっかりだな」
「大事だから」
父さんは少し考えると、工房の端にある木材の切れ端を探し始めた。
◇ ◇ ◇
「売り物じゃないなら、こんなんでいいだろ」
父さんが持ってきたのは、細長い木の端材だった。
家具を作ったときに余ったものらしい。
「これなら捨てるところだった」
「無料?」
「その顔やめろ」
「いや、嬉しくて」
「少し削る手間はかかるぞ」
「それは払う」
「試すだけならいい。五分もかからん」
「父さん好き」
「現金だな、お前」
父さんが笑いながら木を削る。
二本の細い棒。
手で持つ部分だけを簡単に固定し、先端側には隙間を残す。
前世の泡立て器とは全然違う。
でも目的は同じだ。
楽に混ぜる。
「これでいいのか?」
「分かんない」
「おい」
「だから試すんだよ」
「それなら最初からそう言え」
言った気がする。
◇ ◇ ◇
パン屋へ戻り、ミラに見せる。
「早いね」
「端材で作ってくれた」
「ガルドさんにちゃんとお礼言った?」
「言った」
「本当に?」
「言ったって」
母親みたいになってきた。
昨日と同じように、まず少量で試す。
卵と酢。
そこへ油を少しずつ。
今度は新しい二本棒の道具で混ぜていく。
「どう?」
「木べらより軽い」
「おお」
「でも……」
「でも?」
「そんなにすごくはない」
「ですよね」
分かっていた。
泡立て器ではない。
ただの木の棒二本だ。
それでも木べらより抵抗が少なく、混ぜる動きは少し楽になった。
「これなら五個分くらいは?」
「全然できる」
「十個は?」
「まあ」
「二十個」
「レインが混ぜるなら」
「じゃあ十個まで」
「なんで?」
「持続可能性」
「難しい言葉で逃げないで」
ミラが笑う。
◇ ◇ ◇
出来上がったソースも、昨日とほぼ同じだった。
ちゃんととろみがある。
味も悪くない。
「道具変えても作れるね」
「うん」
「じゃあこれで五個、いける?」
「いけると思う」
ミラが頷く。
とりあえず十分だ。
いきなり大量生産するわけじゃない。
五個売るために必要な手間を少し減らせた。
今はそれでいい。
「もっと売れるようになったら?」
ミラが聞く。
「そのとき考える」
「珍しい」
「何が?」
「レインなら今から二百個作る方法考えそう」
「俺だって学習するよ」
売れるか分からないのに設備へ金をかけない。
これは大事だ。
前世の俺にも教えてやりたい。
◇ ◇ ◇
帰る前に、新しい道具をもう一度見る。
二本の木の棒を固定しただけ。
格好よくもない。
新発明と呼ぶほどでもない。
でも、木べらより少し楽になった。
「これでいいんだよな」
完璧な泡立て器を再現する必要はない。
今困っていることを、少しだけ楽にする。
それで商売が一歩進むなら十分だ。
「明日、五個作る?」
ミラが聞く。
「やろう」
「本当に売るよ?」
「そのために作ったんだから」
「売れなかったら?」
「食べる」
「誰が?」
「……みんなで?」
「レイン多めね」
「なんで?」
「言い出した人だから」
またそれだ。
でも五個なら、最悪全部食べられる。
材料も大量には余らない。
道具にもほとんど金を使っていない。
今度こそ、小さく試す準備はできた。
「よし」
白いソースを使ったパン。
まずは五個。
売れるかどうか。
明日、ようやく答えが出る。




