美味しいだけじゃ、売れない?
試作した白いソースは、その日のうちに使い切ることにした。
卵が入っている以上、どれくらい持つのか分からないものを翌日まで残すのは怖い。だからミラが残っていたパンと肉、野菜を使っていくつか作り、俺たちだけじゃなく店の人にも食べてもらうことになった。
まず捕まったのは、ミラのお父さんだった。
「お父さん、ちょっとこれ食べてみて」
「新しいパンか?」
「レインが変なの思いついた」
「紹介の仕方ひどくない?」
「間違ってないでしょ」
ミラのお父さんは俺たちを見比べて笑うと、渡されたパンを受け取った。
肉と野菜を挟んだだけなら、別に珍しいものじゃない。
違うのは、その間に塗った白いソースだ。
「これが新しいのか?」
「そう。まず何も聞かずに食べてみて」
「なんでレインが偉そうなんだ」
「作るの大変だったから」
「混ぜただけでしょ」
「その混ぜるのが大変だったんだよ」
右腕がまだ少し重い。
マヨネーズを手で作る人を、俺は今日から尊敬する。
ミラのお父さんがパンを一口食べた。
俺とミラは黙って顔を見る。
「……どう?」
「まだ一口だぞ」
「早く」
「急かさないの」
ミラに頭を軽く叩かれた。
お父さんはもう一口食べ、それからパンの中を覗く。
「この白いやつか」
「そう」
「うまいな」
「おお」
思わず声が出た。
「肉だけだと少し重いけど、これがあると食べやすい。野菜にも味がついてるし」
「でしょ?」
「なんでレインがそんな得意そうなの」
「一応、俺が思い出したから」
「またそれ言ってる」
ミラが笑う。
でも、とりあえず味は合格らしい。
◇ ◇ ◇
「店で売れると思う?」
俺が聞くと、ミラのお父さんは残りを食べながら少し考えた。
「売れるんじゃないか?」
「本当?」
「少なくとも俺は嫌いじゃない。肉を挟んだパンを買う客なら、好きなやつはいると思うぞ」
「じゃあ――」
「でも、いくらで売るんだ?」
出た。
結局そこだ。
美味しい。
じゃあ売ろう。
八歳の俺なら、それで進んでいたかもしれない。
「まだ計算してない」
「なら先にそこだな」
「だよね」
俺はミラを見る。
「材料、どれくらい使った?」
「三回試した分?」
「最後に成功したやつだけ」
「それなら――」
ミラが作業台に残った材料を見ながら、使った量を思い出していく。
卵。
油。
酢。
塩。
そこにパン、肉、野菜。
細かく計算していくと、やっぱり一番気になるのは油だった。
「思ったより使うね」
「うん」
「これ、ほとんど油じゃない?」
「作ったレインが今気づいたの?」
「前世……じゃなくて、昔は気にしてなかったから」
「また変なこと言ってる」
危ない。
十三年経っても、たまに口が滑る。
◇ ◇ ◇
問題は、油だけではなかった。
「一回にこれくらい作って、何個分?」
「塗る量にもよるけど、そんなに多くないね」
「じゃあ十個売るなら?」
「もう少し作らないと」
「二十個なら?」
「もっと」
「五十個なら?」
「レイン」
「はい」
「誰が混ぜるの?」
止まった。
俺は自分の右腕を見る。
さっき少量作っただけで疲れた。
「……ミラ?」
「嫌だよ」
「ですよね」
「パン作る仕事もあるんだからね」
当たり前だった。
このソースを作るためだけに店をやっているわけじゃない。
朝はパンを焼く。
具材の準備もする。
客も来る。
片づけもある。
そこへ毎日、油を少しずつ入れながら延々と混ぜる作業が追加される。
「味だけならいいんだけどな」
ミラのお父さんが言う。
「毎朝これを作るなら、その分早く来るか、誰かの手を空けるかしないと駄目だぞ」
「やっぱり?」
「売れる数が少ないうちはまだいい。でも売れたら売れたで大変になる」
「売れたら困る商品……」
「困るっていうか、作れる数を考えろってことだ」
なるほど。
売れないのは困る。
でも、作れる以上に売れても困る。
今までの石鹸や背負い鞄でも似た問題はあった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、いっぱい作って置いとけば?」
言ってから、自分で首を振った。
「駄目だ。卵入ってる」
「そうだね」
ミラも頷く。
「今日作った分は今日使う。それなら私もいいと思う。でも、何日置けるか分からないものを大量に作るのは嫌」
「俺も嫌」
前世なら冷蔵庫があった。
店で売っているマヨネーズだって、当たり前のように長く使っていた。
でも、その「当たり前」をどう実現していたのか、俺は知らない。
殺菌?
容器?
作り方?
何か入っていた?
分からない。
知らないものを知ったふりして客に食べさせるほど、俺も馬鹿じゃない。
「じゃあ作り置きはなし」
「うん」
「その日に使う分だけ」
「それなら」
「でも毎日手で混ぜるのは大変」
「そう」
「油も結構使う」
「そうだね」
問題が三つ並んだ。
材料費。
手間。
保存。
「……美味しいだけじゃ駄目なんだな」
「店で売るならね」
ミラのお父さんが笑う。
「家で食べるなら、うまけりゃ十分だけどな」
それはそうだ。
◇ ◇ ◇
俺は余ったパンの端をつまみながら考える。
保存については、今すぐどうにかする必要はない。
その日に作って、その日に使い切る。
最初はそれでいい。
材料費については、少し心当たりがある。
「カラムの油か……」
「またそれ?」
「だって安いんでしょ?」
「安いらしい、でしょ」
ミラの指摘は正しい。
俺が聞いたのは「カラムでは油が比較的安い」という話だけ。
どんな油なのか。
料理に向いているのか。
実際にいくらなのか。
リーネまで運んだらいくらになるのか。
まだ何も分かっていない。
「じゃあ、そこは調べる」
「買う前にね」
「分かってるって」
「大量に買わない?」
「買わない」
「安いって言われても?」
「……たぶん」
「今ちょっと間があったよ」
危ない。
安いという言葉には弱い。
◇ ◇ ◇
「でもさ」
俺は作業台に置かれた木べらを見る。
「油が安くなっても、これどうする?」
「これって?」
「混ぜる方」
ミラも木べらを見る。
「頑張る?」
「嫌だ」
「私も」
意見が一致した。
少量ならいい。
十個くらいのパンに使う分なら、工夫すれば何とかなるかもしれない。
でも毎日数が増えていけば、そのたびに誰かが混ぜ続けることになる。
「もっと楽に混ぜられないかな」
「大きい器でやる?」
「量が増えたらもっと重くならない?」
「じゃあ二人で混ぜる?」
「人が増えてるじゃん」
「難しいね」
ミラが笑う。
俺も笑った。
でも頭の中では、別のことを考えていた。
混ぜる。
回す。
少しずつ油を入れる。
人の腕だけに頼らず、それをできるもの。
「……道具か」
「何?」
「いや」
まだ思いついただけだ。
今すぐ何か作れるわけじゃない。
こういうときに勢いで職人のところへ走ると、また金が飛ぶ。
まず考える。
それから相談する。
五年間でそこは覚えた。
◇ ◇ ◇
「で、売らないの?」
ミラのお父さんが聞いた。
「え?」
「せっかくうまいんだ。少しくらい試してもいいんじゃないか?」
俺とミラが顔を見合わせる。
「どうする?」
「毎日は無理だよ」
「毎日じゃなくていいんじゃない?」
「何個?」
「それを俺に聞く?」
「店の人だから」
ミラは少し考えた。
「……まず五個とか?」
「少な」
「試すんでしょ?」
「そうだけど」
「売れなかったら私たちで食べられるくらいがいい」
それは大事だ。
ロスを出さない。
最初から大量に作らない。
朝の二個組を始めたときも、最初は少なかった。
「じゃあ五個」
「やるの?」
「一回だけ」
「材料費は?」
「俺も出す」
「全部じゃなくていいよ」
ミラが少し笑う。
「売るなら店の商品なんだから、そこはちゃんと考えよう」
ありがたい。
こういうところは昔から変わらない。
◇ ◇ ◇
その日の結論は、すぐに定番商品にはしない。
まず、材料費をもう少し正確に出す。
カラムの油についても調べる。
そして今の材料で、肉と野菜と白いソースを挟んだパンを五個だけ試してみる。
作ったソースは、その日のうちに使い切る。
「名前どうする?」
帰り際、ミラに聞かれた。
「マヨネーズ」
「その白いのが?」
「うん」
「パンの名前は?」
「……マヨネーズサンド?」
「何を挟んでるか分からないよ」
「じゃあ肉と野菜のマヨネーズサンド」
「長い」
「名前つけるの苦手なんだよ」
「知ってる」
五年前にも似たようなことを言われた気がする。
「名前は明日考えよう」
「逃げたね」
「先送りです」
「同じじゃない?」
店を出て、俺は右腕を軽く回した。
味はいい。
たぶん売れる。
でも、売れる商品にするにはまだ足りない。
安く作る方法。
無理なく作る方法。
安全に出せる方法。
そして、できれば売れ残らない方法。
「商売にする方が、作るより難しいな」
石鹸のときは、そんなことまで考えていなかった。
とにかく作って、とにかく売ろうとしていた。
今は違う。
美味しいから売るんじゃない。
ちゃんと続けられる形にしてから売る。
……まあ、五個だけなら先に売ってみるけど。
そこは試作ということで。
たぶん、浪費ではない。




