外から来る物って、結構ある?
ハンスに「信用も貯金みたいなものだ」と話した翌日、俺は久しぶりにミラのいるパン屋へ向かった。
最近は市場で外から来た商人を探したり、ハンスに話を聞いたりしていたせいで、頭の中がすっかり商売のことで埋まっている。別に珍しいことではないけど、たまには違う場所へ行った方がいい。
それに、聞いてみたいことができた。
「いらっしゃ――あ、レイン」
「途中で接客やめないでよ」
「だってレインだもん」
「客かもしれないじゃん」
「じゃあ何買う?」
「……まだ決めてない」
「ほら」
ミラは笑いながら、焼き上がったパンを棚に並べていた。
昔から変わらない。
いや、五年経っているから当然少しは変わった。髪は前より少し長くなったし、店の仕事もかなり任されている。
でも、俺に対する扱いはあまり変わっていない。
「そういえば、朝の二個組まだ売ってるんだね」
「売ってるよ。今日ももう終わり」
「何個?」
「六組」
「結構売れてるじゃん」
「誰かさんが十歳のときに『忙しい人なら最初から二個一緒になってた方が楽じゃない?』って言い出したからね」
「いいこと言う十歳だな」
「自分で言う?」
朝の二個組。
肉や野菜を使った食事向けのパンと、少し甘いパンを二個まとめて売るだけの商品だ。
新しい料理でも何でもない。
でも朝から働く人には選ぶ手間がなくて楽らしく、五年経った今でも残っている。
「これ、俺にお金入ってこないんだよね」
「今さら請求する?」
「しません」
「じゃあ一個あげる」
「それで手を打とう」
「安いねえ」
ミラが余っていた小さなパンを一個渡してくる。
こういうのでいい。
少なくとも今日は。
◇ ◇ ◇
「それで?」
客が途切れたところで、ミラが俺を見る。
「今日は何?」
「なんで何かある前提なの?」
「レインが何もないのに店でウロウロしてたら、それはそれで心配する」
「俺、そんな扱い?」
「八歳の頃から見てるからね」
強い。
俺が十三歳になろうと、ミラにとってはあまり関係ないらしい。
「最近、外から来た商人に話聞いてるんだ」
「へえ。今度は行商人になるの?」
「ならないよ」
「じゃあ町から出る?」
「……まだ分かんない」
言ってから、自分でも少し引っかかった。
前なら即答で「出ない」と言っていた気がする。
でも今は、ベルクが向かったエルダが気になっている。
どんな市場なのか。
何が売られているのか。
俺の石鹸がどう扱われるのか。
背負い鞄をベルクが本当に使うのか。
見てみたい。
「ふーん」
「何?」
「いや?」
「その顔やめて」
「何も言ってないでしょ」
ミラが楽しそうに笑った。
昔からこういうところだけ妙に鋭い。
◇ ◇ ◇
「それでさ」
俺は店の棚を見る。
「この店で使ってる材料って、全部リーネのもの?」
「そんなわけないでしょ」
「やっぱり?」
「小麦なんかは近くから来るのが多いけど、全部じゃないよ。甘味に使うものとか、乾燥させた果物とか、香りをつけるものとか。外から来るものもある」
「値段変わる?」
「変わるよ」
「結構?」
「物によるけどね」
また出た。
最近、この「物による」を何回聞いただろう。
「例えば?」
「乾燥果物なんかは高くなると困るかな。いつも同じ値段で入ってくるわけじゃないから」
「なんで?」
「私に聞かれても」
ミラが困ったように笑う。
「来る商人が違ったり、取れた量が少なかったり、道が悪くて届くのが遅れたり。理由はいろいろあるんじゃない?」
やっぱりそうだ。
外から来る物は、リーネの中だけで値段が決まっているわけじゃない。
「じゃあ安いときにいっぱい買えば?」
「傷まないものならね」
「あ」
「それに、安いからって買いすぎて使わなかったら損でしょ?」
「……最近それ、別の人にも言われた」
「レインに必要な言葉なんじゃない?」
「否定できない」
前世から何度も引っかかっている罠だ。
安いから買う。
買ったことで得した気になる。
使い切れない。
結果、損する。
俺は世界をまたいで同じ失敗をする可能性がある。
◇ ◇ ◇
「じゃあ逆に、いっぱい使う材料は?」
「小麦は当然として……油も使うよ」
「油?」
「うん。何、その顔」
「いや、最近油の話聞いたなと思って」
カラム。
豆と油と縄が比較的安い町。
昨日会ったロムも、その前に話した商人も同じことを言っていた。
「ここの油、高い?」
「種類によるけど、安くはないかな」
「どれくらい使う?」
「日によるよ。何作るかでも違うし」
「もし今より安く仕入れられるなら?」
「同じものなら嬉しいけど」
「同じものなら?」
「安ければ何でもいいわけじゃないでしょ。匂いが強かったり、味が違ったりしたらパンにも影響するし」
「なるほど」
値段だけ見ていた。
油にも違いがある。
石鹸に使える油と、料理に向いている油が必ず同じとも限らない。
「試さないと駄目か」
「何するつもり?」
「まだ何も」
「その顔で?」
「俺どんな顔してるの?」
「何か思いつきそうな顔」
そんな顔があるらしい。
◇ ◇ ◇
俺はミラからもらったパンを食べながら、店の棚を眺める。
油。
料理。
パン。
前世で油を使う料理なんていくらでもあった。
揚げ物。
炒め物。
ドレッシング。
それから――。
「……あ」
「何?」
「いや、ちょっと待って」
何か引っかかった。
パンと油。
正確には、パンに合うもの。
前世で何度も食べた。
コンビニでも。
パン屋でも。
サンドイッチでも。
白っぽくて。
少し酸っぱくて。
肉にも野菜にも合う。
「……マヨネーズ」
「まよ?」
「いや、こっちの話」
「また変な言葉言ってる」
あった。
マヨネーズだ。
ただし問題がある。
「作り方……」
油。
卵。
酢……だったはず。
塩も入っていた気がする。
砂糖は?
入れるものもあったような。
でも、詳しい分量なんて知らない。
当然だ。
前世の俺はマヨネーズを使う側だった。
作る側ではない。
「また嫌な予感するんだけど」
「大丈夫」
「前もそう言って変な料理作ってなかった?」
「十一歳のときの話は忘れて」
「おばさんが鍋の蓋閉めたやつ」
「忘れてって」
「ガルドさん、水三杯飲んだんだっけ?」
「正確に覚えてるのやめて」
あれは失敗だった。
食べたことがある。
味も知っている。
だから作れる。
そんなわけがないと、身をもって学んだ。
今回は同じことをしない。
◇ ◇ ◇
「ミラ」
「何?」
「油と卵と酢を混ぜたら、どうなると思う?」
「急だね」
「料理として」
「うーん……」
ミラが腕を組む。
「分量によるんじゃない?」
「ですよね」
「それに、ただ混ぜたら分かれそうだけど」
「……あ」
そうだ。
マヨネーズって、混ぜるのが大事だった気がする。
少しずつ油を入れるとか、そんな話を聞いた記憶がある。
でも曖昧だ。
「何を作りたいの?」
「白っぽいソース」
「白っぽい?」
「ちょっと酸っぱくて、肉とか野菜に合うやつ」
「食べたことあるの?」
まずい。
「……似たようなのを、どこかで」
「どこ?」
「昔」
「十三歳で昔って言う?」
「細かいこと気にしないで」
危なかった。
こういうとき、前世の記憶は説明が面倒だ。
「それをパンに使うの?」
「そう」
俺は棚に並ぶパンを見る。
「肉とか野菜をパンに挟んで、そのソースを入れる」
「挟むのは別に珍しくないよ」
「うん。そこは新しくない」
「ソースが新しい?」
「たぶん」
大事なのはそこだ。
パンに具を挟むことを俺が発明したことにする必要はない。
この世界の人だって、そのくらい普通に思いつく。
でも味付けの選択肢が一つ増えれば、商品にはなるかもしれない。
◇ ◇ ◇
「面白そうではあるけど」
ミラが少し真面目な顔になる。
「卵を使うなら、たくさん作って置いておくのは怖いよ」
「俺もそう思う」
「本当に?」
「そこはちゃんと考えてるよ」
保存方法なんて知らない。
前世なら冷蔵庫があった。
ここにはない。
だから最初から瓶に詰めて大量販売なんてするつもりはない。
「その日に使う分だけ作る」
「それなら試せるかな」
「売れるか分からないしね」
「まず自分たちで食べないと」
「それ大事」
十一歳の失敗を思い出す。
今回は客に出す前に、ちゃんと食べられるものを作る。
「材料は?」
「油、卵、酢。たぶん塩」
「たぶん?」
「そこから一緒に考えてほしい」
「レインが考えた料理じゃないの?」
「考えたというか……思い出したというか」
「またよく分からないこと言ってる」
ミラが笑う。
追及されないのは助かる。
◇ ◇ ◇
「試すなら少しだけね」
「もちろん」
「材料を無駄にしたら?」
「俺が払う」
「即答なんだ」
「これは必要経費だから」
「久しぶりに聞いた、それ」
ミラが声を出して笑った。
「でも、本当に少しだけだからね。油も卵もタダじゃないんだから」
「分かってる」
「レインの『分かってる』は信用していい?」
「最近、信用も貯金してるから」
「何それ」
「ハンスさんに教わった」
「絶対そういう意味じゃないと思う」
たぶん合ってる。
たぶん。
◇ ◇ ◇
店を出る前に、俺はもう一度棚を見た。
カラムでは油が比較的安い。
リーネのパン屋では油を使う。
そして俺は、油をたくさん使う新しいソースを知っている。
まだ作れるかは分からない。
美味しくなるかも分からない。
そもそも、この世界の材料で同じものになるのかも分からない。
でも。
「外の町の話聞いてたら、リーネで売るもの思いつくとは思わなかったな」
「何か言った?」
「独り言」
外との商売というと、リーネの商品を外へ売ることばかり考えていた。
でも逆もある。
外で安く手に入る材料が、リーネで新しい商品になるかもしれない。
カラムから油を仕入れるのはまだ先だ。
まずは、今ある材料で作れるか試す。
売れるか考えるのは、その後。
「ミラ、明日時間ある?」
「朝が終わってからなら」
「じゃあやろう」
「失敗しても食べるのレインだからね」
「え?」
「材料代もレイン」
「それは分かる」
「片づけも」
「……半分ずつにしない?」
「言い出した人がやる」
厳しい。
でも、悪くない。
明日は久しぶりの試作だ。
油と卵と酢。
前世では当たり前に冷蔵庫に入っていた、あの白いソース。
「今度はちゃんと、食べられるもの作ろう」
「今度はって言ってる時点で不安なんだけど」
十一歳の失敗は、まだ許されていないらしい。




