ちょっと、話を聞いてもいいですか?
ハンスの店を出てから、俺は市場を端から歩いてみることにした。
目的は、外から来た商人に話を聞くこと。
言葉にすると簡単だけど、最初の問題がある。
「……誰が外から来た人なんだ?」
分からない。
荷馬車があれば分かりやすいと思っていたけど、荷馬車の横にいるからといって持ち主とは限らない。逆に、荷物を背負って歩いている人がリーネの商人とも限らない。
十三年この町で暮らしている。
それなのに、知らない顔がこんなにいることを初めて意識した。
「とりあえず……荷物多い人かな」
我ながら雑な判別方法だった。
◇ ◇ ◇
最初に声をかけたのは、大きな木箱を二つ積んだ荷馬車の横にいた男だった。
三十代くらい。
服は少し埃っぽく、どう見ても旅をしてきた感じがする。
「あの」
「ん?」
「ちょっと、話を聞いてもいいですか?」
「今忙しい」
「はい」
終了。
早かった。
男は箱を降ろす作業に戻ってしまった。
まあ、これは仕方ない。
俺だって忙しいときに知らない十三歳から話しかけられたら困る。
気を取り直して次を探す。
二人目は布を売っている女性だった。
「ちょっと、話を聞いてもいいですか?」
「買うの?」
「いや、聞きたいことがあって」
「なら後にして」
「はい」
二連敗。
商人は思ったより忙しい。
当たり前だけど。
ベルクがあれだけ相手をしてくれたのは、かなり優しかったのかもしれない。
「……帰ってきたらちょっと感謝しよう」
値引きは別だけど。
◇ ◇ ◇
三人目。
今度は失敗を活かした。
店の前で客が途切れるまで待つ。
商品を片づけながら一息ついたところで声をかける。
「今、少しだけいいですか?」
「何だ?」
「どこの町から来たのか聞きたくて」
五十歳くらいの男が俺を見る。
「なんでだ?」
「町によって物の値段がどれくらい違うのか調べてる」
「お前が?」
「うん」
「商売でもしてんのか?」
「一応」
男が笑った。
「一応って何だよ」
「説明すると長い」
「じゃあ短くしろ」
「石鹸と背負い鞄を売ってる」
「お前が作ってんのか?」
「今は作ってない」
「よく分からんな」
「俺も説明すると毎回そうなる」
でも、追い払われなかった。
これは進歩だ。
「俺は南のカラムから来た」
「カラム」
聞いたことはある。
リーネから南へ何日か行ったところにある町だったはずだ。
「何持ってきたの?」
「豆と油、それから向こうで作った縄だ」
「油?」
思わず反応した。
男が俺を見る。
「何だ?」
「油、いくら?」
「物によるぞ」
「俺、石鹸に使うんだ」
「なるほどな」
男は少しだけ表情を変えた。
今までただ質問してくる子供だった俺が、急に商売相手候補に見えたのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「いつもどれくらい持ってくるの?」
「お前、聞き方が雑だな」
「また言われた」
「何の油が欲しい。どれくらい欲しい。いつ欲しい。それで値段が変わる」
「なるほど」
また質問の仕方を教えられてしまった。
俺はセラが石鹸作りに使っている油のことを思い出す。ただ、今ここで勝手に仕入れ先を変えるわけにはいかない。
作っているのはセラだ。
「今すぐ買うわけじゃないんだけど、リーネで買うより安い?」
「量によるな」
「少しなら?」
「大して変わらん」
「いっぱいなら?」
「話はできる」
やっぱりそうなるか。
運んでくる側からすれば、少量だけ欲しい客より、まとめて買う客の方がありがたい。
「でも、安いからって油をいっぱい買ってもな……」
「使い切れなきゃ邪魔になるぞ」
「だよね」
「悪くなれば損だ」
安い。
だから買う。
これは危ない。
前世の俺が何度もやったやつだ。
セールで買った物を使わずに放置する。
世界が変わっても、罠の形は同じらしい。
◇ ◇ ◇
「カラムでは何が高い?」
質問を変えてみる。
「何と比べてだ?」
「リーネ」
「全部の値段なんか知らんぞ」
「じゃあ、商売してて気づいたやつ」
男が少し考える。
「木工品はこっちの方が安くて出来がいいな」
「やっぱり?」
「リーネは木工職人が多いからな。俺も帰りにいくつか持ってく」
父さんの仕事だ。
ベルクも同じことを言っていた。
「逆にカラムの方が安いのは?」
「豆は安い。油も物によっちゃ安い。縄もこっちよりは安く出せる」
「なんで?」
「周りで作ってるからだ」
やっぱり産地は強い。
そして、その男はリーネへ来るときにカラムで安い物を積んでくる。
リーネではそれを売る。
帰りにはリーネで安い木工品を買う。
それをカラムで売る。
「……無駄がない」
「空荷で帰ったら儲からんからな」
ベルクと同じだ。
行商人にとって、行きと帰りは別々の商売ではない。
ずっと荷馬車に金を生ませ続ける。
「いいな、それ」
「何が?」
「ずっと売ったり買ったりしながら移動するの」
「やってみりゃ大変だぞ」
「やったことないから楽しそうに見える」
「そういうもんか」
男が笑った。
◇ ◇ ◇
「そういえば、エルダって行く?」
俺が聞くと、男は首を横に振った。
「最近は行ってねえな」
「そっか」
「エルダの何が知りたい?」
「石鹸持っていってもらったんだ」
「誰に?」
「ベルクさん」
「ああ、ベルクか」
「知ってるの?」
「何度か会ってる」
行商人同士は意外とつながっているらしい。
「エルダで売れると思う?」
「知らん」
「即答」
「物も見てねえのに分かるか」
「ですよね」
「それに、同じ町でも売る場所で違う」
「場所?」
「市場で売るのか、店に卸すのか、宿に持っていくのか。客が違えば値段も違うだろ」
また一つ増えた。
町だけじゃない。
同じ町の中でも、売る場所によって変わる。
「……考えること多くない?」
「商売なんてそんなもんだ」
みんな簡単に言うな。
◇ ◇ ◇
男と別れてから、俺は市場の端にあるベンチに座った。
忘れないうちに帳面を開く。
『カラム』
『豆・油・縄が比較的安い』
『リーネの木工品は向こうで売れる』
『少量では油の値段はあまり変わらない』
『同じ町でも、売る場所で客と値段が違う』
書いてみると、それなりに収穫がある。
でも、一つ気になった。
この情報。
どこまで信用していいんだ?
さっきの男が嘘をついているとは思わない。
でも、その人が知っている値段と、別の商人が知っている値段が同じとは限らない。
俺はもう一人、別の商人を探してみることにした。
◇ ◇ ◇
次に話を聞けたのは、カラムではなく北東にある小さな町から来た商人だった。
そこで試しに聞いてみる。
「リーネって木工品安い?」
「安いのもあるな」
「カラムでは高いらしいんだけど」
「俺はカラム行かねえから知らん」
「油は?」
「ここより安く仕入れられる場所はある」
「カラム?」
「俺なら別の村で買う」
「……違うじゃん」
「何が?」
「いや、こっちの話」
情報が食い違った。
でも、よく考えれば当然だ。
仕入れる量。
付き合いのある相手。
通る道。
季節。
全部違う。
誰か一人の「安い」が、世界共通の最安値ではない。
「商人によって違うのか……」
「そりゃそうだろ。俺の仕入れ先まで全部教えろって言われても教えねえぞ」
「あ」
「商売の種だからな」
そう言われて、ようやく気づいた。
情報にも価値がある。
◇ ◇ ◇
俺は少し調子に乗っていたのかもしれない。
「どこが安い?」
「何が売れる?」
「いくらで仕入れてる?」
聞けば教えてもらえると思っていた。
でも、それを知るために商人たちは何年も町を回っている。
失敗して。
損をして。
人と知り合って。
ようやく見つけた仕入れ先もある。
それを初対面の十三歳に全部教える理由はない。
「ベルクさん、結構いろいろ教えてくれたな」
改めて思う。
もちろん全部ではないだろう。
あの人だって商人だ。
俺に話していないことの方が多いはずだ。
でも、少なくとも入口は見せてくれた。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
もう一度ハンスの店へ寄った。
「どうだった?」
「三人に追い払われた」
「三人も?」
「いや、二人。三人目から話聞けた」
「なら上出来だ」
「あと、情報ってタダじゃないんだね」
ハンスが少し笑った。
「金を取られたのか?」
「取られてない。でも、仕入れ先とか全部は教えてくれなかった」
「当たり前だ」
「ハンスさんも教えない?」
「内容による」
「俺なのに?」
「お前だから何でも教えると思うな」
「冷たい」
「商売だ」
そう言いながらも、ハンスは楽しそうだった。
「ただな、レイン」
「ん?」
「教えてもらう方法は、金を払うだけじゃない」
「どういうこと?」
「相手にも得のある話を持っていけばいい」
俺は少し考える。
「情報と情報を交換する?」
「それもある」
「商品を紹介するとか?」
「それもだ」
「仕事につなげる?」
「そういうことだ」
なるほど。
俺が一方的に聞くから、相手には教える理由がない。
でも俺にも相手が欲しいものがあれば、話は変わる。
「……俺、何持ってる?」
「それを考えるんだな」
「また宿題?」
「今日は自分で増やした宿題だ」
確かに。
◇ ◇ ◇
家へ帰る途中、帳面を開きながら歩く。
俺が持っているもの。
石鹸。
背負い鞄。
ハンス、セラ、ダリオとのつながり。
五年間で知ったリーネの市場。
それから、少しだけ増えた金。
前世の知識もある。
ただし、これは使えるものと使えないものの差が激しい。
「意外とあるな」
八歳の頃は、本当に何もなかった。
所持金ゼロ。
知り合いも家族くらい。
商売なんてしたこともない。
そこから五年。
今なら、誰かに話を聞く代わりに渡せるものがある。
金だけじゃない。
商品。
人。
情報。
仕事。
「商売って、物売るだけじゃないんだな」
今さらだけど。
その日の帳面の最後に、一行だけ書き足した。
『欲しい情報があるなら、相手に何を返せるか考える』
我ながら、十三歳とは思えないくらい真面目なことを書いた。
そして、そのすぐ下にもう一行。
『ただし、できれば金は使わない』
こっちの方が俺らしい。
貯金3,842リル。
まだまだ減らすつもりはない。
情報が欲しいなら。
まずは、金以外で払えるものを探そう。




